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Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎月、ショートインタビュー、コメント、活動予定をお伝えします。
 

竹本真紀さん、青森時代の美術との関わりを語る… 後編

前編 ► 

竹本真紀さんアトリエで
 

・竹本真紀(たけもとまき)さんプロフィール

竹本真紀さん

美術家
1976年10月5日、青森県八戸市生まれ、天秤座、A型。
1998年 国立弘前大学教育学部・小学校教員養成課程卒業。
大学卒業後、美術館施工など各種アルバイトをしながら創作活動を行う。
現在、横浜在住。

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竹本真紀さんが、大学時代を語った!

宮島通信編集部(以後・M):平和な高校時代を過ごし、その後の進路はどう決めたのですか?
竹本真紀さん(以後・T):まだ漫画家になりたい気持ちがあり、高校を卒業して就職すると、それが難しそうだったので、大学進学を決めました。

竹本真紀さん

M:やはり美大志望?
T:はい。  でも、親から進学するなら青森県内の国立大学だけと、念を押されていたので、選択肢は県内唯一の国立弘前大学だけでした。

M:現役合格して、進んだ学部は?
T:高校の担任教師から「竹本さんは国語が得意なので、国語の先生になりなさい」とアドバイスを受け、枠の大きい小学校課程に入り、国語の勉強をすることにしました。  漫画を描くためには国語力も必要だと思ったのです。

M:大学生活はどうでしたか?
T:進学して大学で同級生と色々話をしていたら、私の志望は漫画家から小学校の先生へ傾き、そのためにかなり頑張りました。  ただ、奨学金はありましたが、親から仕送りをもらっていなかったので経済的には苦しく、生活のためにお蕎麦屋さん、家庭教師、図画工作の教室でアルバイトをしながら、1、2年生の時に、かなり小学校教員養成課程の単位をとりました。  ただ…

M:ただ?
T:入学当時から約200名いる女子寮で生活をしていたのですが、それがとても大変でした。

M:どんな風に?
T:大学入学1週間前に入寮。  そして、寮の歓迎コンパも連続1週間、入学式の時にも、かなりアルコールが体に残っていました。  今では考えられませんね。

竹本真紀さんT-シャツ作品

M:それは入寮のすごい洗礼ですね!  他には?
T:さっきも触れましたが、私はバイトをしないと大学生活を送れないのに加え、バレーボール部にも入ってしまったので、必然的に寮にいる時間が少なく、2年生の時、その状況を知らない寮生から「寮の仕事を何もしない怠け者のレッテル」を貼られてしまったのです。

M:それだけのことで、ちょっと考えられません!
T:事実です。  当時、事情を話さなかった私もよくなかったのかもしれませんが、ある時、寮生に囲まれ、手は出なかったけれど、かなり言葉で攻められました。  加えていつもの仲間が守ってくれなかったのも辛かった。  その結果、寮務委員会という5階あった寮の各階から代表で出される寮の運営をするための委員会に入りました。  その後、友人が「寮長になっても良いのだが、私は上に立つ器はない。  雑務は全て引き受けるから、真紀に上に立ってほしい」ということで、彼女を信じて承諾、寮長は自分が引き受けないとその場がおさまらないと思ってやりました。  そこから、各階から嫌々ながら出されてきた寮務委員たちのワクワク大改革劇に転換されるのです。

M:より忙しくなって大変そうな状況ですね!
T:だから、3年生の時は大変でした。  いくら楽しくても寮長の仕事が忙し過ぎて大学へも通えなくなったし、私の心安らぐ場所が何処にも存在しなくなった感がありました。  また、同時期に高校から付き合っていた遠距離恋愛の彼氏とも破局、実家の親がリストラに…、まさに不幸の連鎖でノイローゼ状態、絶望のどん底で「もう、どうでもいいや」と自殺を考えるくらい追い詰められました。  でも、死にたくない理由が一つだけありました。  それが「絵を描くこと」でした。

M:絶望の淵から引き上げてくれたのが「絵」ですか。  やはり、竹本さんにとって描くことは大きな存在。  ところで、大学での美術との関わりは?
T:1〜2年生の時に色々な学部が交流する授業があり、2年生になって美術を選択しました。  その初めての授業の時、突然、担当教授が、有名なアメリカの野外ライブ/ウッドストックや三島由紀夫の市ヶ谷籠城事件の映像を流し、「美術はここから始まった!」と叫び、心に大きなインパクトを与えてくれました。  かつて私の父はミュージシャン、だから、実家ではジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョップリン、ローリング・ストーンズの音楽が日常的に聴こえてくる環境でした。  教授のお陰で、実家で育んできた私の思考と直結し、心が解放。  抑えていた美術の思いが、一挙に爆発した感じで、父に「とても面白い授業があった」と電話したほどでした。  でも、まだ美術家になろうとは思っていませんでした。

M:では、美術家を志したのは何時?
T:寮長の時期と重なります。  3年生になると進路を決めなければならず、学校の先生になるなら、もっと専門的な勉強しないといけない。  でも、私はゼミも漢文学から美術に移り、教授には美術の道を選んだことを伝えました。

竹本真紀さん

M:大変な状況下での選択でした。
T:振り返ってみると、人生で最もキツイ時期でしたが、それを経験していたので、以後、何があっても乗り越えられたと思います。  また、後から考えると、誰もいないと思っていたけれど、何人もの友達に助けられたと気付けたし、寮長の任期が終わった途端に寮を夜逃げ同然で飛び出し、安アパートで一人暮らしを始めたら悩み病んでいたノイローゼ的な諸症状は、全て解消されました(笑)。

M:それは良かった。  で、大学での美術活動はどうでしたか?
T:弘前大学は医学部から理学部、農学部まで色々あり、分野を超えて、交流できるのが魅力。  ある意味、私にとっては美大より濃密な学生生活を送れたと思います。

M:大学で美術に関連する思い出は?
T:ひとつずつ挙げたら、キリがないほどの出来事や出会いがありましたが、中でも退官寸前だった村上善男先生からは、最も影響を受けたと言っても過言ではありません。  先生は私と同じ国語文学の出身で、当時、平面のコラージュ的な作品制作、大学ではデザインの先生でしたが、本業は現代美術の作家で、執筆も行い、「都市デザイン」にも携わっていました。  出会ったのは、すでに選択していた美術教員の授業でしたが、ある分科会での私の発言を機に村上先生が愛弟子のように接してくれるようになり、技術より思想的な指導を受けました。

M:具体的には?
T:その頃、青森県内に美術館等の施設が何もないと嘆いていた私に、村上先生は、それを悪いことと捉えるのではなく、他の可能性、別の視点を教えてくれました。

M:別の?
T:そうです。  「町に出ると、色々なアートがあるよ!」と言い、作品収蔵しているレストランを教えてくれたりもしました。  そのうえ、先生は地元青森を活かした商品開発にも携わり、都市デザインにも積極的でした。  そうした土地との縁や関係性を大切にする姿勢を、私も学び、継承していると思います。  だから、いま住んでいる土地、横浜を抜きにしての竹本作品は考えられません。  それも含め、大学時代は色々ありましたが、結果的には良い人生経験を積めたと思っています(笑)。

・今日は、ありがとうございました。  何時か、上京後のお話をうかがえればと思います。  よろしくお願いいたします!

 

(構成・写真 関 幸貴)

「政岡玄ちゃんの音楽便り」第24回

みなさん、お元気ですか? 玄です。 夏真っ盛りですね。

*7月7日PM7:07"水辺で乾杯”

記念撮影
 

今年は、岡山城下を流れる旭川で「ミズベリング岡山旭川有志の皆様」と、「水辺で乾杯」を歌いながらの乾杯予定でしたが、九州北部、中国地方の豪雨災害を受けまして中止とさせていただくという事になりました。  しかし、お世話になっている先輩から地元津山市でも、ミズべで乾杯をする情報が夕刊に載っていた事を教えていただき、少し状況を判断させていただき、開催されるという事で参加させていただきました。
イベントの出店で、美味しいたこ焼き屋ももちゃん経営&ミュージシャンのスイチさんから、主催の森さんをご紹介いただいただき、急遽にもかかわらず、歌ってみればとお声をかけていただき、「水辺で乾杯」を 歌わせていただきました♪ ギターをお貸しいただいた、ミュージシャン・赤木さんの歌声も最高でした。  また、県会議員、市議会議員の方々を紹介していただきキリンビール創業者・米井源次郎さんが津山市出身という事で、今回の水辺で乾杯させていただいたキリンビール岡山工場生まれの製品にも、吉井川を流れる伏流水も使われているそうです。

 
水辺で乾杯
 

津山での、“水辺で乾杯”も、自然の恵みを大切にする事、そして、そのようなご縁もあり、開催された流れがあるようです。 災害についても、お話しを聞かせていただきました。  先日、熊本県益城町に行かれ、災害について勉強された次の日に災害が起きたそうです。
この度の大雨による災害に遭われた方々、最初に届いた悲報が同じ消防団の方だと知った時には、なんとも言えない気持ちになりました。
自分であればどうするべきだったのか・・・。

作楽神社

地元の『作楽神社⛩』町内の草刈りでは、“水の女神様”にも、水の恵みに感謝しつつ、水害がおこりませぬよう、鎮まりますように、お祈り致しました。
ただただ、これ以上、災害がなるべくひろがらない事、早期の安全重視な救助、復興を切に祈るばかりであります。

Love&Peace♪♪

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(文・写真 政岡玄)

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