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☆ 未来へのミラー ☆      宮島永太良

人の記憶は定かではありません。 宮島永太良がこれまで歩んで来た道のりを思いを込めてほんの少し振り返っています…

第17回 新たな出会い…

 デザイン科受験生となりながら、自分の能力に自信を無くしかけている頃、私は偶然西洋の20世紀美術が出ている本に出会った。  おもに抽象絵画を中心に掲載してあり、ほとんど見たことのないものだった。  それまで知っている絵画といえば、人物、静物、風景がほとんどであり、そういう身からすれば、一体何が描かれているのか見当がつかず、また好きにもなれなかった。  受験でデザイン構成画などもやってはいたが、自分では模様の延長ぐらいにしか、考えていなかった。

20世紀美術の本

 しかしここにあるものは何かが違う。  特にカンディンスキーは、完全な図形しか描いてなく、絵というよりはスカーフの柄のようにさえ見えた。  今思えば晩年の作品の一つだろう。  これらの作品からは、最初は嫌悪感しかなかったが、気になり出すと忘れられない。  しかしながら、こうした絵画の存在も知らずに大学で美術を専攻していたのだから、恥ずかしいというしかない。

 カンディンスキーをはじめ、巨匠と呼ばれる芸術家たちがなぜこのような絵を描いたのか、またはこのような絵を描いたから巨匠となったのか、そうしたことが知りたくなった。  そんな気持ちから、それまでほとんど読んだことのなかった美術の本(画集ではなく文章が中心のもの)も読み出した。  高階秀爾著「名画を見る眼」、今道友信著「美について」・・・・・を読んで、今まで自分が知らなかったことを知れるようになるのが嬉しかった。

小田原の海岸

 いくつかの著作から学んだのは、「絵(美術)というのは見える対象を再現するばかりではない」「画家の内なる感情は、色彩や線そのものとして表現されることが多い」ということであった。  単純に言えば「見える通りに描くばかりが絵ではない」ことを知ったのだ。  中でも抽象絵画はその最たるものなのだと感じた。  嫌悪感から一気に興味の対象へと変わり、自分でもそうした抽象絵画を描いてみたいとも思ったが、どう描いてよいか見当がつかなかった。

 こんな経験をしているうちに、自分はもしかしたら絵(デザイン)を創作するより、絵を探求する方が好きなのではないかと思い始めた。  受験する大学の学科も、美術理論系に転向してみたいと思いはじめていた。  そこには実技で良い点を取れないという劣等感も働いていたかもしれないが。  しかし実技で良い点を取れないからといって理論に行くのは無知な考えであり、理論はある意味実技以上に難関だ。  そうしたことを覚悟の上で、受験する先は理論系の「美学」「美術史」と呼ばれるコースに転向することにした。  この学問、特に「美学」のことをフランス語で「Esthétique=エステティック」というのも知った。  エステティックサロンでおなじみの言葉は、もともとは美学の意味だったのだ。  その方面の予備校にも通い始めることになるが、そこでは英語の美術書の日本語訳、作品を見ての記述(ディスクリプション)など、自分としては斬新であり、かつとても難しい課題であったが、一度決めたこのコースを嫌になることはなかった。

プラットホーム

 そしてこの教室は「とりあえず東京芸大を受けてみよう」というスタンスだった。  美学や美術史というのは、かなり限られた大学にしかない。  文学部や経済学部がどこにでもあるのとはわけが違う。  (現在では当時より多少増えてきているとは思うが)なので、おのずと最高峰の東京芸大も、受験必須校となってしまった。  ちなみに東京大学にも美学があり、東京芸大と両雄といった感じだった。  周辺は東京芸大第一志望派がほとんどだったが、普通よりも身近に、東大受験の噂も耳にする環境だった。  東大はさておき、私は東京芸大も受験できる実力ではなかったが、まわりの生徒がみな受けるので、つられるように受けることとなる(結果は言うまでもなかったが)。

 そして、国立の大学を受けるには、この時代「共通一次試験」を受ける必要があった。  今でいうセンター試験だ。  そんなわけで私も一度だけ、共通一次試験というのを受けたことがある。  一番印象深かったことと言えば、試験前に自分の顔写真を粘着シートで貼らなければならない箇所があったのだが、それが一度貼ると絶対取れないくらい強力だった。  一人の受験生が貼る場所を間違えてしまい、教官に「どうしたらよいですか?」と質問したところ、その教官は数秒考えた後、なんと「はがして貼り直せ」と言ったのだった。  それは無理だろう。  用具の性質も不測の事態も把握していない教官の「はがして貼り直せ」という言葉は、私にとって共通一次試験の一番の思い出として残っている。

美術館

 こんな経験を経ながら、入試期の一番遅い時期、都内のある私立大学を受験した。  ここも美術理論系として受けたが、よく覚えているのは面接だ。  案内人から「あの先生と面接して下さい」と言われると、そこには立派な髭のある、とても威厳のある風貌の先生が座っていた。  「怖そうだ!」そう思いながら、これまで入試の面接でいきなり怒られたことがあるのを思い出した。  一回目は高校卒業後すぐに受けた大学で「甘ったれるな!」と、二回目はデザイン系を受けた某大学で「こんな実力でよく受けに来られるなあ」ということを言われた。  しかし前に座ってみるとその先生は大変穏やかな口調で、私のことを聞くのみならず、自分のことも話してくれたりしたのが意外で、安堵した。

 私はこの先生との面接がとても印象に残ったが、しばらくして、この大学から合格通知が届いた。  しかし高校生の時の大学合格と違い「ヤッター!」などという感じではなく「取り敢えず行く所ができてよかった」といった、わりとクールな心境だった。

 いずれにしても一安心をしながら、何気なくテレビの美術番組を見ていたら、なんと面接の時の先生が映っていたのだった。

(写真:関 幸貴) 
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