TOPRoad : つれtakeロード

Road : つれtakeロード

 

モンゴル 後編

テレルジ国立公園のゲルに泊まる夜、旅行者の間で「せっかくモンゴルに来たのだから星を見よう」ということになり、日も変わる寸前の時間、わざわざバスが来てくれて、公園近くの丘へ登る。首都ウランバートルや東京くらい灯りが多いと星を見るのは難しいが、ここテレルジの地の灯りの少なさは、星を見るには最適だ。こんな状況の中では丘に登るにも懐中電灯が必要だが。現地の案内人が「寝転がるとさらに星がよく見える」と毛布を持ってきてくれていた。

モンゴル 後編

確かに、仰向けに寝て見れば、夜空に浮いている感覚になって心地良い。旅行者には星や星座に詳しい人が多く、一目見ただけで「北斗七星だ」と断言できるほどレベルは高い。そしてなんと人工衛星の動きまで確認できる人もいた。
「私は星に関しては詳しくないのですが、確かに他の星と違い、少しずつ動いている光がありました。人工衛星の動きをあれだけはっきり見るのは初めてのことでした」
宮島も稀なる体験をした夜だった。

モンゴル 後編

テレルジ国立公園の凍るような朝を迎え、次の場所への出発となる。時々ジェットコースターのようになるバスに揺られ2時間、ホスタイ国立公園へと向かう。日本と違い、バスは近道であれば道路でないところにも入って行く。そんな状況では自然の流れかもしれないが、トイレ休憩も比較的自由な所で行なえる(トイレ休憩という言葉が正しいかは疑問)。どこまでも草原は続き、人はおろか、動物すらいない場所も広大に続くことがある。なのに風景に飽きさせないのがこの国の魅力だろう。

モンゴル 後編

そして到着したホスタイ国立公園も、テレルジ国立公園の構造と似て、ゲルが立ち並ぶ中にやはりレストランがあった。このレストランではかなりボリュームのある羊肉が出てきたが、見かけの無骨さとは反対に、とても柔らかく美味で、醤油味に近いタレをつけるとまさに日本人好みとなる。

モンゴル 後編

この公園では、現地で昔ながらの遊牧生活をしている家族らが、そのままの形で観光スポットの人物として登場する。
「日本人の私たちを遠くに見ながら、馬やラクダに乗りながらだんだんと近づいて来た時は、緊張感と期待感とで胸が高鳴りました」
宮島は大昔のテレビアニメで、日本人の男の子が、船でやって来る外国からの友達を望遠鏡で見ながらワクワクしていたシーンを思い出したという。
そして「サインバイノー」(こんにちは)の言葉を交わしながらながらみんなで握手。彼らが暮らすゲルに招かれ、中で作っているお茶やチーズをご馳走になった。そしてモンゴルでは独特の、一人で二通りの声を出して歌う「ホーミー」という歌唱法も披露してくれた。うなるような声と、甲高い声とを交互に出すもので、習得にはかなり年季がいるものらしい。外には動物の毛皮を成らす作業場もあり、現地人になった気持ちで仕事の体験もさせてくれた。普段の生産生活をしながら観光の舞台の人たちにもなっている。これはビジネスモデルとして非常に面白い。

モンゴル 後編

ひとときの友となった現地の人たちとの別れは名残惜しいが、そろそろ夕食に向けて帰宅、というかゲル帰りだ。夕食でも塩入りミルクティーを飲み、明日に備えて休もうと、外に出てゲルに向かったものの、たちまち震えるような寒さに襲われる。ゲルに入っても寒さはおさまらず、ひたすらストーブ用の薪が来るのを待つ。薪を持ってきてくれた現地スタッフが神のように思える夜であった。翌朝は前の晩よりいくらか和らいだとは言え、寒い朝に変わりはない。ホスタイ公園に立ち並ぶゲルを後に、バスはいよいよウランバートルへの帰路に着く。行きに来た道と同じ筈ではあるが、行きには気がつかなかったものも見えて来る。

モンゴル 後編

そして新たな訪問先は、モンゴル日本病院。この病院は2019年に日本の資本により創立されたもので、かなり新しい病院である。以前、「月刊 宮島永太良通信」のトークのページにも登場いただいた元神奈川歯科大学教授、高橋常男氏の導きにより、院長のアディルサイハーン・メンデジャルガル氏との面会が実現した。

モンゴル 後編

この病院では今後院内へのアートの導入、美術展の開催を検討しているということで、宮島主宰の「健康とアートを結ぶ会」は、今回日本から真っ先にその協力に手を挙げた。すでに院内の何ヶ所かには、現地のデザイナーが手掛けたと思われる壁画(アイキャッチが主な役目)も見て取れる。また隣接するモンゴル国立医科大学にも招待され、副部長のボルドバートル・ダムディンドルジェ氏への挨拶も叶った。

モンゴル 後編

日も暮れると、高橋医師が所属する横浜のロータリークラブと、モンゴルのロータリークラブとの懇親会の会場へ移る。モンゴルには親日家の人が多く、この会でも多くのモンゴル人が日本のことをよく知っていて、なんとカラオケで日本の歌も披露してくれたとしう。
「私の隣に座ったモンゴル人の男性は、最近日本語を勉強するために『ブルーライトヨコハマを歌っていると話していて、私もよく知っている歌だけに話が盛り上がりました』
いつの時も、楽しい時間というのはすぐに終わってしまうものである。これでモンゴルで予定されていたプログラムは全て終了した。明日は早朝のバスでチンギスハン空港に行き、帰宅の途につく。 しかしながら、これだけ広大な土地を見ていると、何か新しい希望が湧いて来そうに思えるのが不思議である。

モンゴル 後編

そして追記…
帰国後、宮島は所用で昔から知っている山岳地へ行ったのだが、そこにモンゴルの風景がダブり、全く新しい景色が見えたという。この旅の影響はかなり大きかったといえよう。

 

(文・写真 宮島永太良)

 
 
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