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毎月、ショートインタビュー、コメント、活動予定をお伝えします。
カブキさん語る! プライベート編
◇小池カブキ茂秋(こいけかぶきしげあき)さんプロフィール
陶工。
1950年11月17日新潟県糸魚川市生まれ、蠍座、A型。
新潟県立糸魚川商工高等学校 工業化学科卒業。
自身による性格分析:「しぶとい」
ArtQメンバー。
facebook :
https://www.facebook.com/shigeaki.koike.75?fref=ts ►
2015年12月13日小雨の日曜日。 カブキさんの作品制作の場「横浜市陶芸センターで、プライベート面と陶芸について色々伺いました。
*
宮島通信編集部(以後・Q):今日はよろしくお願いします。
最初の質問ですが、カブキさんの言う「しぶとさ」はどこから来ているのですか?
小池カブキ茂秋さん(以後・A):寒い新潟の糸魚川に生まれ、冬になると北風や雪が身近にある暮らしをしていると、じっとしていないといけない時期が年に数ヶ月かあります。
そうした環境育つと、耐え忍ぶことが自然に身につき、「しぶとい」性分になったと言えます。
Q:「しぶとさ」は何に対してですか?
A:家族、仕事、人生全般です。
多くの人は壁にぶつかると挑むことをせず、別の道を目指します。でも「逃げ」になるので僕は絶対にそれをしない。
一度逃げると、反省がつきまとうじゃないですか。
それが嫌です。
Q:少しカブキさんのベースが見えた気がします。
ところで、前から気になっていたのですが、何故ミドルネームに「カブキ」が入っているのですか?
A:30数年前、僕は若い時からジャズが好きで、今も日の出町にある「ドルフィー」というジャズバーに入り浸りでした。
確か「本牧ジャズ祭」が始まって2回か3回目の頃、バーベキューや飲酒もできる珍しい会場だったので、そこへドルフィー仲間とテント持参して行き、楽しくライブを聴きながら飲食。
しかし、僕は酒にかなり酔い眠ってしまったら、誰かが口紅で顔にイタズラ描きをしたんです。
それに気づかず僕は、起きてからその顔でロコに会いに行ったんです。
そうしたら、ロコが笑いながら僕を指差し、「カブキが来た!」と大きな声で一言。
何かと思ったら、歌舞伎の隈取りに似たメークをした自分がいました(笑)。
しかし、いつもは口が軽い仲間が結束して黙っていたのは面白かった。
以来、ロコのグループでは、「カブキ」と呼ばれています。
Q:「カブキ」と呼ばれるのはロコさんのグループだけ?
A:そうです。
ニックネームは他にもありました。
もう呼ばれませんが、何故かドルフィーではBUNちゃんとも言われました。
それから、会社のスキー仲間からは「G」。
これは今も使われ、Greatの頭文字の意味で、スキーの上手さを表しています。
しかし、ふたつ合わせて「Great Kabuki」にすると、かつてのプロレスラーになってしまいます。
Q:カブキさんの新たな面が見えましたが、少し話を戻します。
生まれてから18歳までの糸魚川では、どんな日常生活でしたか?
A:親父は漁師をしながら農業も営んでいました。
冬はダークグリーン、そして夏のオーシャンブルーが印象的な日本海は目の前でした。
Q:何を捕っていたのですか?
A:甘エビ、イカ、太刀魚等、色々な魚介類を季節で捕っていました。
だから「海が凪いでいる、荒れている。 船が出る、出ない」で家の中の動きは変化。
海次第の生活で、波が荒れていると親父は朝から酒を飲み、そうこうしているうちに仲間が一升瓶を持って遊びに来て小宴が始まりました。
また、凪いでいれば海に出て、大漁だったら神棚に御神酒をあげ、晩飯前に親父はそれを飲み干していました。
つまり、何時でも酒を飲んでいたわけ、横浜では考えられない生活です。
Q:カブキさんは、どんな感じでしたか?
A:僕の子ども時代は、かつて有名な絵の題材にもなった様に漁船は係留せず浜にあげていました。
だから末っ子でおっとりしていましたが、船はしっかり引っ張っていました。
Q:小さくて大きな戦力だったのですね。
A:そう、稲刈りもしたし、子どもながらに働いていました。
ただ、糸魚川で良いものばかりを食べ過ぎたから、60歳を過ぎたら甲殻類と貝類のアレルギーになってしまいました。
ある意味、罰が当たったのかもしれません!?
Q:やはりカブキさん! 子ども時代から中身の濃い生活環境ですね。
A:ただ、僕が中学1年生の時、56歳の親父はガンで他界。
その時は高校進学をどうするか悩みました。
でも、姉4人兄3人、8人兄弟の末っ子だった僕は、「茂秋は高校へ進め!」と姉たちからの叱咤激励を受け、一所懸命に勉強して、無事高校に入学、そして卒業。
横浜の某重工に就職を決めました。
Q:良いご家族に恵まれましたね。
ところで重工ではどんな仕事でしたか?
A:最初は職人として修繕船に乗り、大きな船のベッセル修理に従事。
ただ、外国船籍の船が多かったので、20歳頃には夜学で英語を学び、仕事面での会話は不自由しなくなりました。
Q:ジャズを聴きながら飲むだけではなく、勉強もしていたのですね。
A:そうです。
だから25歳の時には競争率4倍、社内の「技術者登用試験」を受け合格。
神戸の技術員養成所で1年間きっちり学び、そこを出た後は修理の現場に戻りましたが、1年後には何故か総務へ異動。
そこで約6年間勤務した後は日本初のゴミ焼却プラントの建設に携わり、以後はその分野で日本全国を渡り歩きました。
Q:長年、大きなプラントを全国各地で建設、大変そうな印象を受けます。
A:まぁ、確かにそうですが、終わらない工事はありません。
だから、子どもの頃から培った「しぶとさ」が活かせるわけです。
・ありがとうございました。
陶芸編につづく…
「政岡玄ちゃんの音楽便り」第5回
みなさん、お元気ですかぁ〜
ボクは、約3年振りにレコーディングしました。
上京したての時に作った“歌”を10数年以上も経って録るのは、不思議というか、感慨深いというか、時は止まったまんまというか、そんな感じを受けました。
今回は、地元の先輩のスタジオ「BE WEST」で数十万円のマイクに世界最高峰のマスタリングシステム機材などを使用、
最高に楽しかったです!
【Clover Rail Stone】
バンド時代の曲“Sailing”=“航海”にDon't give up“Sailing”と、ちょっと付け加え、
“横浜”での“水辺ミュージシャン”としての想いも込めてアレンジ。
【Stay with me】
結成当時の歌☆
Liveを見に来てくれていた人に懐かしい曲。
【Pain rain】
そして世界平和を願った“歌”。
以上の3曲です。
自分の想いを音楽に作りあげるアーティスト感覚がホント楽しい♪
ミックス&マスタリングと徐々に仕上げて世界配信へ!
是非、みなさんに聴いて欲しいです。
そして、アッと言う間に師走ですが、
みなさんにとって幸せな年末年始を願っています。
また、お会い出来る日を楽しみにしています♪
Love & Peace (^_^)v
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(文・写真 政岡玄)