TOPTalk : 対談

7・8月は、画家・ギャラリーオーナーの大山一行さんが登場!

前号はゴヤの名画「エル・エンペシナード」を日本で発見した半生に迫り、
今号では、宮島永太良との対談を掲載します。

前号:大山一行さんとの対談 ►

◇大山一行(おおやまいっこう)さん プロフィール

 
大山一行 さん
鹿児島県肝付町出身。1954年8月1日生まれ、獅子座。
京都市立芸術大学卒業。
子どもの頃から絵を見るのが好きで中学時代から絵筆を握る。
高校一年生までパイロット、画家、どちらを選ぶか迷うが、
宮崎航空大学校で空を飛ぶことが体に合わないことを知り、
表現の世界へ。
一浪後、京都芸大に入学、学部・専攻科合わせて7年間在籍。
在学中は10回の個展を開催。それが縁で知り合った実業家に才能を認められ画家としての活動開始。 以来、新たな美術界の一翼を担う。
現在、画家・京都/上海「同時代ギャラリー」オーナーとして活躍中。
 

◎同時代ギャラリー大山一行さんと宮島永太良が、
夏の京都で上海、春秋の展覧会、創作、モロモロについて語り合いました♪

京都「同時代ギャラリー」オーナーの大山一行さんと

宮島永太良(以下M):
私の上海オペラハウス画廊でのチャリティー個展も来月に迫って来ました。大山さんと上海の関わりを教えてください。
大山一行さん(以下O):
2年前の春、『上海アートフェア』に『同時代ギャラリー』のブースを出し、龍門藍さんの個展を開きました。  その時の経験が面白く発端でした。 それ以前に中国では北京の美術街798等も訪れていますが、上海は経済だけでなく文化的にも盛り上がってくる気配があり、進出しようと決めました。  そして、今年2月に賃貸契約を終え、宮島さんの展覧会が上海美術館で開催中の4月1日にギャラリー開設。  アート面で上海は北京に比べ、小規模かもしれませんが、港町の開放感が良く、そこにも惹かれました。  ミナト横浜も活動拠点にしている宮島さんの上海の印象は?

上海 同時代ギャラリー案内

M:街全体を考えると横浜より上海の方が開放的ですね。
O:僕も開放感と若い力の可能性を感じ、その雰囲気を日本の作家にも伝えたくて、『窓』の役目も担いギャラリーをオープン。  ところで、上海美術館の展覧会は過去10年の回顧展の様でしたね。  どの作品を見ても宮島さんが存在、オリジナリティが立ち上がって来る世界観が表現されていました。  感慨深く拝見しましたが、自らの作品を振り返って見る時間はありますか?

上海 同時代ギャラリー外観

M:あると言えばあるし…。  ただ、前から感じているのですが、普通、画家は年代で作風が変化して行きますが、私の場合は違う気がします。  以前、10年以上前の作品を見つけたのですが、現在描いたのと大差ない印象を受けました。  ある意味、それは成長がないのかもしれないけれど、私の表現法がテーマ別で年代を超えて同時進行している気がします。
O:
変化について言えば、美術の世界では80年代から90年代にかけてポストモダンの風が吹き荒れました。  僕らはどうしてもアカデミックな教育を受けているので、美術史だとかテクニックにがんじがらめにされ、その呪縛からなかなか解き放たれない。  ところが、最先端の分野では、基礎を継承しつつも新たな世界に分け入っています。
M:最先端の分野とは?

A:僕は宇宙論が好きなのですが、20世紀末にその分野で色んな発見がありました。  特に大きいのは、今まで夜空に見えているのが宇宙だと思っていたものが、実は宇宙全体の数パーセントに過ぎないこと、目に見えない物質の方がはるかに多いことが判明し、すっかり宇宙論は変化。  アインシュタインは3次元プラス時間で4次元と唱え、ところが、80年代から90年代にかけて『超ひも理論』が出てきて、宇宙は10次元。  でも最近では、11次元。最新科学の世界では、これが標準。新発見で変化しますが、それを導き出すベースの数字、計算式、つまり道具は何ら変化していません。

大山一行さん

M:宇宙論の変化と私の関連は?
O:一般の美術の世界では過去の流れに縛られることがありますが、嬉しいことに宮島作品は変わらない。  現在の宇宙論の様に導き出すベースは変わらず、新発見をしている姿勢が垣間見えます。  何と言うか、宮島さんは心のパレットに色んな色や形や線、ついでに言葉も絞り出し、それら全てを道具として使っている。  具象画とか抽象画のカテゴリーも必要ない、全てが同質で好きな時に好きな様に使用。  普通はできないことで、アカデミズムに対するアマチュアリズムの素晴らしさを持っています。  ただ、最近うまく意図的にやっているのではないかと、少し疑いも感じています(笑)。
M:学生の頃、グループ展で発表しようとしたが、その頃は常識の範囲内。  ある時期からコンテンポラリーアートとか、抽象とかそう言うのではなく、シュールって言うか、90年代に流行ったマンガチックな作品を見ているうちに自分が描きたかったら描いちゃって良いのだと思い至り、女子高生、乗り物、お弁当等々を素直に描く様になりました。  意図的と言えば、そうかもしれません(笑)。

O:それは僕らが知っている宮島さんになる以前のことですね。  ぱっと見ると、天然無垢に自分の世界を切り開いて来たと想像していましたが、実は内的な葛藤があった訳だ。

同時代ギャラリーの作品展示

M:最初は、ちゃんとした形をと考えていました。  でも、逆に純粋の大切さを学びました。  だから時々、子どものように純粋に描いていると言われますが、そこへ行き着く過程が私なりにあったのです。  つまり、自分自身を開放することがわかったのです。
O:言葉に関しては、最初からそれができていた。  文章を読ませてもらうと、ロジカルで言葉を素材として踊らせている。  絵の上で、色、形、モチーフ、使っているのと同じ様に言葉が持つ意味より、言葉そのもので遊んでいます。
M:言葉は自由にと思っています。 ただ、自分で思っているのは文の基本はしっかりして、単語だけを並べても駄目だと考え、嫌いな言葉は決して使いません。

同時代ギャラリー案内

O:パレットの上に絵の具と同じ様に言葉も置いてあり、作品にする時、文章や言葉が出て来るのですか?
M:近いです。 自分を出す時、言葉の方が良いと思えば使うし、色が良いと思えば…。  春の上海でも言葉を展示したのですが、残念なことに文章の内容を考えずに直訳され、言葉と対の絵があるのに別の場所に展示されてしまい、雰囲気作りになったのは残念でした。

O:確かに違う言語体系の場合、その国との関わりが作家の中に出てこないと難しい気がします。  とは言え、宮島さんの展覧会初日、若い人たちがたくさん来ていました。  ユニークだったのが、ドローイングの作品に群がり、何を喋っているのかはわからないけれど侃々諤々。  視野を変えれば、記念写真撮影。 なるほど、言葉は違ってもイメージ、ビジュアル面では国境を越え共感可能だと思いました。  会場で若い人とコミュニケーションはとりましたか?

大山一行さんと宮島

M:サインを求められたり、投射されている映像と見比べられたりしました(笑)。  その程度でしたが、嬉しかったのは絵の前で皆が記念写真を撮っていたこと。  私の作品を喜んで迎え入れている優しい空気を感じました。
O:お国柄だけど、みんな遠慮なしに美術館で撮影。  僕も見ていたけれど、確かに笑顔が多く楽しかった。
M:私の帰国後、小学生の子どもたちが課題で見に来て、好きな絵を選んで模写したそうです。  そして、出来上がった絵を持って記念撮影。 今、その写真をお願いしています。そうしたイベントが日本でもできたら画期的ですね。

O:子どもとか障害者の展覧会は中国では少ないですね。  そう言えば、先日、ウチに中国で障害者のアートを立ち上げようとしている人が来て、協力を求められたのでバックアップの約束をしました。  そういうときに模写をさせるのも良いかもしれません。 ところで、秋の上海オペラハウス画廊での個展は、どの様に捉えていますか?
M:全作品ではありませんが、販売する方向です。チャリティーの対象になるのは18点。

O:絵を買えるのは良いことだと思います。  気に入った作品を画廊で見つけて、家に連れて帰る。  それは、作品が作家の手を離れることを意味しますが、作品が生きて行くひとつの道でもあります。  春の展覧会で絵を展示、秋で販売、良いリズムですが、心理的にはどうですか? 本当は、手元に全作品を置きたい?

宮島

M:う〜ん、展覧会のために描いた絵より、自分で描きたくて描いた作品には思い入れが強いですが、上海はひとつの卒業式だと思っているので覚悟は既にできています。
O:そうすると秋の個展は、プロの宮島永太良として一大イベントになり、次の一歩を踏み出すターニングポイントですね。  次の宮島さんの動きを楽しみにしています(笑)。
M:この次はあらたな段階への入学式です。
今日はありがとうございました。

by Sekikobo
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