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☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆     文 宮島永太良

このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。

〇 人生は、長いスパンの暇つぶし

 この言葉は、故事・諺などの類ではなく、私の親しい友人が何かの時に言っていた言葉である。
 この言葉を聞く以前、私は「退屈」とか「暇つぶし」という言葉が、あまり好きではなかった。 「退屈」と思う時間がちょっとでもあるのなら、何か一つでもためになることをすれば良いではないか。  また、暇つぶしに何かをするというより、何か身になることをしようと思いながらことを進める方がよほど気持ちもよいのではないかと。  しかし、この「人生は、長いスパンの暇つぶし」という言葉は「そうか、そもそもこの世に生まれてきたこと自体、大きな暇の始まりを意味しているのだ」ということを教えてくれた思いがした。

西湖にて

 そもそも私たちがこの世に生まれてこなかったらどうだろう。 勉強することも、働くことも、体を鍛えることも、ひいては死ぬこともないのである。  生まれてきたがために、少しでも限られた時間を「暇」にすることなく、一生懸命生きようとするのだろう。  もし、全く何もせずに、何の足跡も残さずに死んでいったとしたら、それは生まれて来なかったも同然になってしまう。  しかしそんなことは可能だろうか。人間、生きていれば必ず何かを(良い意味でも悪い意味でも)やらかしてしまう。
 何かを「行なう」場合、大きく分ければ、時間を計画的に見て、いつまでに何を、という感じで何かをしようとする場合と、取り立てていつまでということなく、思うがままのことをやろうという場合とがある。  前者は仕事に多く、後者は趣味などが多いといえるだろう。

宮島永太良

しかし、たとえ仕事であったとしても、一週間、一ヶ月計画というのと同じようなノリで、一生計画というのを立てられる人はどれだけいるだろうか。  計画期間が長いほど、計画というのはズレてくるものだし、実際のところ計画で動くのも難しくなってくるのだから。  かと言って、計画を立てるのが無意味かと言えば、それはNOだろう。  最近は一部の知識人の間で、一生を計画的に考えるべきだという意見も多く出され、またそれを実行している人も多いかもしれない。 それは人生の節目節目の目標を持つ意味で大事だと言える。  しかし、たとえ計画した通りでなくなったとしても、自然体から発生して実行に向かったことの方が、結果的にその人の生きた証につながることが多いのではないだろうか。
 ある人は一流の学校を出て、一流の会社に就職し、世の中を変えるような仕事をするかもしれない。  またある人は、ほとんど人の役に経たない生活で終わるかもしれない。いずれにせよ、一人の人の一生の行動のうちに変りはないのである。

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