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Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎回、親しい視線と言葉で宮島の実像に迫ります。

2ヶ月連続で舞台女優の山口晶代さんが出演!
7月は自らの体験を通しての「演じる理由」を、8月は宮島永太良の「言葉」について語ります。

8月 更新:宮島永太良の「言葉」について ►

◎山口晶代(やまぐちあきよ)さんプロフィール

山口晶代(やまぐちあきよ)さんspace
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茨城県日立市出身。6月9日生まれ、双子座、B型。
99年に前進座を退座。
以後、フリーの舞台女優として活躍。
近年はシアターX[カイ]名作劇場に連続出演中。
《 シアターX名作劇場/出演代表作 》
2008年02月:宇野信夫作「俥(くるま)」おすえ役
2009年01月:伊藤左千夫作「野菊の墓」主役・民子役
2009年09月:池田大伍作「根岸の一夜」遊女・黛役
2009年10月:黒田玄プロデュース「宵闇せまれば」月子役
2010年03月:室生犀星作「茶の間」主役・おつや役
 出演予定の次回作
2010年08月31日〜09月5日
第31回シアターX名作劇場:灰野庄平作「芭蕉と遊女」主役・小萩
 

◎舞台女優 山口晶代さん

山口晶代さん1

 年子の弟がいて普通のサラリーマン家庭に育った私が、人前で演じ始めたのは小学校5年生の時。 授業のひとつ『クラブの時間』で、何となく演劇クラブに入ったのがきっかけでした。 当時、得意科目は音楽で勉強はあまり好きではありませんでしたが、演劇には不思議と最初から一所懸命になれました。理由はわかりません(笑)。

  そしてクラブ長になった6年生の時、『クラブの発表会』のため、休み時間も返上して下級生を集め、稽古を繰り返し、本番を迎えました。 当日、新任で顧問の若い女の先生はお休みでしたが、それも気にせず全校生徒が集まった体育館で精一杯演じきりました。 観客が、声ひとつもたてず見守ってくれたことがとても嬉しく、私にとっては素晴らしい舞台でした。 そのうえ、翌日には登校した顧問が校長室に呼ばれ、誉められたほど先生の間でも好評でした。 顧問の先生も校長の賛辞に余程嬉しかったのでしょう、放課後に演劇クラブ全員を集め、ひとりひとりにイチゴのショートケーキを配ってくれました。 学校で先生からケーキを貰えるなんて想像もできなかったので、嬉しかった♪ それが女優になる小さな一因(笑)。 そして、本気で将来進む道を決めたのはケーキを持ち帰った夜のこと…

山口晶代さん2

 食卓を囲みながら、私は有頂天。満面の笑みで家族に向かって楽しかった一日の出来事、夢は女優さんと、女の子らしいお喋りを楽しんでいました。 ところが、今考えれば、ひとり娘を思う親心から、普段は優しい父が何時になく厳しい声で『簡単に女優にはなれないぞ!』と、大きな雷。私も負けずに必死に言い返しましたが、叶うはずがありません。 泣きながら心で女優になること誓い、涙のまま寝入ってしまいました。

山口晶代さん3

 でも、その後も気持ちは変わらず、中学でも不良のたまり場の演劇部に入り、ひとりだけいた真面目な先輩と部を変革。 私は『夕鶴』のつうを演じ、部長にもなりました。高校では、学校の演劇部と地元劇団に所属。 本当に明けても暮れても演劇、演劇の日々。でも親は、将来安定した平穏な生活を送ってくれることを望み、私の強い思いとは平行線でした。 しかし、高校生の私は両親を説得して演劇科のある大学への進学を理由に上京。受験はうまくいきませんでしたが、高3の夏冬、東京での講習でお世話になった俳優の渥美國泰先生のアドバイスで前進座の養成所へ…。 そして1年後、入座試験にもなる卒業公演では主役を務めましたが、生意気にも私から入座を拒否。前代未聞と言われましたが、翌年考えを改めて前進座に入りました。

山口晶代さん4

 それから約6年間お世話になり、その間、舞台で大きな役はつきませんでしたが、良い経験が積めました。 旅公演では沖縄以外日本全国を回りましたが、若手ですから舞台でも何役もこなし、自らの演技を実感することなく、先輩の世話や雑用に明け暮れ、仲の良い友だちに3ヶ月間も会えなかったこともありました。 ただ、私に欠けていたお茶の入れ方、目上の方への接し方、着付け等日常的な所作が身に付いたのは、女性としても良かった。
 思えば、現在の演劇の素地ができたのもあの時代でした。 ある深夜、テレビで瀬戸内晴美さんの作品を『ひとり語り』する番組に感銘を受け、翌日、必死で作品名を調べ、夕刻には古本屋で原作を入手。 作品の内容は約20ページあり、語りにすると約40分、暗記するのは無理かと思いましたが、それ以後、毎日コピーを持ち歩き、時間があれば暗記。半年続けたら、語りができそうな感じ。 それで、入座5年目の発表会で試み無事達成。その時、他の座員はグループで、私だけがひとり演じましたが、充足感は格別でした。以前から言われていた集団のカラーに染まらない『晶代ワールド』が少し顔を出したのかもしれません。

山口晶代さん5

 その翌年、前進座を退座したのですが、辞めた2週間後に、喫茶店を借り友人、知人向けに初の自主公演を企画。 早いリスタートと言われましたが、演目は頭に入っている瀬戸内作品と自作の『無垢の涙』でした。 ところが、公演直前に諸事情で瀬戸内作品ができなくなってしまい、代わりに、やはり瀬戸内さんの『冬薔薇』を朗読。そして、この作品との出会いが、後に大きく影響するのですから、人生は不思議。

 退座した翌年の晩秋、前進座時代から可愛がっていただいていた有馬稲子さんの付き人として京都・南座の長期公演にご一緒しました。 有馬さんはいつも楽屋に一番乗りして、毎朝全ての台詞を一通り練習してから舞台に臨みます。 その有馬さんに、当時、公私共にうまくいってなかった私が『女優、思い切って辞めようかと思います』と、相談したのですが、返事は『そうね』の一言。 その言葉に触発され、やりきっていないことにチャレンジしてからもう一度考えてみようと、懸案だった『冬薔薇』の暗記を開始。

山口晶代さん6

 暗記するのに選んだ場所は、南座から程近い冬の気配が少し漂う鴨川の河原でした。 三条から五条の間を時間があれば、毎日歩きながら真剣に覚えました。 そして、練習用のコピー用紙が風に吹かれボロボロになった頃、以前より長い作品を短い期間で暗記することができました。 しかし、それ以後も全てが順風満帆とは行きません。仕事が来ない辛さも味わって来ましたが、お陰さまで昨年は6本の舞台に出演することができました。

第31回シアターX名作劇場フライヤー

 その私に『女優の魅力』とは何かと質問されることがあります。 正解はないと思いますが、最近、少しだけ答えがわかりました。 苦しい稽古の末に舞台に立つ素晴らしさ、そして観客の皆様からカーテンコールの拍手を受ける快感、その魅力はもちろんあります。 でも、それだけではありません。例えば、今年3月、初舞台化された室生犀星の『茶の間』で主演のおつや役を務めました。 私はいつも上演前に原作者のこと調べます。室生犀星は不幸な生い立ちで命を削って書いていたことがわかりました。だから、その気持ちを私なりに推し量り、心に受け入れて愚直に体現できればと、舞台に立ちました。 それができることが、私にとっての女優の魅力です。そして、いただく役についても縁があるから来たと考えるようになりました。 まだまだ人生では、色々なことが待ち受けているはずです。でも私はこれからも女優として一歩一歩噛みしめながら演劇の世界を歩いて行きたいと思います。

 

◎舞台女優山口晶代さんが、今月は宮島永太良の「言葉」について語ります。

 
山口晶代さん7

 宮島永太良さんと知り合ったのは、今から数年前のこと。  当時の住まいから便利な代官山にあり、宮島さんも運営に関係していたJトリップアートギャラリーが「Tシャツデザインコンテスト」を開催。 締切り直前でしたが、そのことを偶然、雑誌で知った私が応募。  幸いにして上位入賞したのが始まりでした。  私、子どもの頃から絵に興味があり、現在も美術モデルもしているので絵画鑑賞は好きですが、それまでは遊び以外で描いたことはありませんでした。  でも、コンテストを知る直前に行ったスペイン旅行で強烈なインパクトを受け、そのイメージをある方に頼まれて描いたのがきっかけでした。  もし、あの時、情熱的な女性の横顔にアクリルで描き加えて応募していなかったら、今の様に宮島さんと私、互いの表現活動を認め合う親しいお付き合いはないわけですから、人の縁は本当に不思議。
 最初に宮島さんの作品を見た時は、既成概念にとらわれないフレッシュなイメージを受けました。  絵を見る時、私は『台詞』と言う『言葉の世界』に生きている女優のせいか作品内容を自分の言葉にしないと納得できない性分なのです。  だから、展覧会で作品を見ているときは、わからないことがいっぱいあり、自問自答、自分自身が解釈をするためにかなり時間が必要になります。  しかし、宮島作品には一緒に言葉が添えられていたので、私にとっては親しみやすく、新鮮な一体感を感じ、初めから作品に溶け込むことができました。

『妙な絵物語』

 作品内容も興味深く、一見すると大人しい坊ちゃん風な宮島さんの外見とは違い、美しさを追うだけではなく、生きることへの問いかけ、自然への敬意、他者に対しての大きな慈しみ、人間臭さが漂う宮島ワールドを絵で表現。 それに彼独特の心に染みる言葉が加わって、もっともっと私を奥へ誘ってくれました。  その魅力的な絵と言葉で構成された作品群から30編選び、初の詩画集として08年2月に出版されたのが、『妙な絵物語』。
発売後、すぐに読みましたが、宮島さんの気持ちが素直に心に響いたのをよく覚えています。
 掲載された作品をひとつ紹介します。
題名は、『代われるものなら 代わってあげたい』

山口晶代さん8

お腹がいたい?
代われるものなら代わってあげたい。
頭がいたい?
代われるものなら代わってあげたい。

だけど私は代われない。
心がどんなにあなたと同じでも
体だけは違うのだから。

あなたは私が持っていない、
素晴らしいスタイルを持っているよね。

世の人はあなたを
「抱きしめたい」と思うだろう。
それを嬉しいと思うのなら、
これから先も自信を持って生きていってほしい。
私が代わることのできないその体を
もっともっと磨いてほしい。
それは痛みに耐えるのと同じくらい
辛いことかもしれないけれど。

でも、そんなあなたに会えなくなったら、
私はもっと辛いんだよ。

山口晶代さん9

 実は、一番感銘を受けたこの作品をはじめ『妙な絵物語』から8編を選び、08年5月10日、Jトリップアートギャラリーで、私は万城目純さんの演出で宮島ワールドをひとり演じました。 公演前には宮島永太良さんからお話を伺い、作品について語っていただき、『代われる〜』の真意は特定の人、例えば、恋人へのメッセージではなく多くの人々への呼びかけだと聞き、納得。 加えて桜好きで、数年前の桜が咲く頃に同年齢の親友を亡くした私が、とても気になっていた『満開だった桜が散りはじめた』と『窓の外にはいつも風景が』のふたつが、実は宮島さんの中でもつながっていたことがわかり、作品による心情の伝わり方の不思議さをあらため実感。 そして、ひとり語りをする好きな瀬戸内作品同様、宮島作品を暗記。でも、学生時代には嫌いな授業は全然頭に入らなかったけれど、好きな言葉は無理なく自然に入るのだから女優である今の自分が面白いと思います(笑)。
 公演当日は宮島作品を背景にして2度の舞台を無事に務めることができました。 お客様からも暖かい拍手をいただき、最後の挨拶で宮島さんが、『私の描いた作品、書いた作品が、人には違う意味で評価される』と、語った言葉が印象的でした。 それは、私が行っている演劇をはじめとした表現行為、芸術全般に通じることだと思うからです。

山口晶代さん10

 モノを創作する立場になると、悩んだり迷ったりすることもありますが、その心情を共有できる人が近くにいると安らげます。でもね、あのTシャツデザインコンテストから、こんな風になるなんて想像もできなかった。 素敵な出会いって本当にありますね。これから、宮島永太良さんも私のこれまで同様の道をしっかり歩んで行くと思いますが、お互いが常に刺激しあえる関係を保っていければ嬉しいし、また、何かでご一緒できれば楽しいですね。
宮島さん! 素敵な作品、お待ちしていますよ(笑)。

by Sekikobo
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