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東京・黄昏から宵の日本橋…

 
宮島永太良

 新しい年を迎え、新春を祝うムードにあふれる街、東京・日本橋が注目である。  今回はその中でも水天宮、人形町を中心とする、日本橋東部を訪れた。  この地域は昼と夜とがそれぞれ特徴のある趣を持っており、この日は時間的に、その両方を体験できた。

水天宮前

 まず訪れたのは水天宮。福岡県の久留米水天宮の分社であり、江戸時代より、安産・子授けの神として知られている。  子供を授かりたい夫婦が祈願に、また無事授かった夫婦はそのお礼参りに、はたまた普通に神頼み人も行き来し、つねに人並みが絶えない。  この日も、赤ちゃんを抱いた若い夫婦もおり、おそらく子を授かった御礼参りだろうか。  また専属の巫女さん三人が、東西南北であろう各方向に向かってそれぞれ一礼している場面に遭遇した。  一日のうち何時間かに一回、決められている日課なのだろう。

水天宮 水天宮の提灯

 この水天宮のすぐそばには「水天宮前」という地下鉄半蔵線の駅があるが、かつてはここが終点であったことは記憶に新しい。  半蔵門線は東急田園都市線から乗り入れているため、その頃は神奈川方面からも「水天宮前行き」の電車が多く出ており、遠くからの知名度も高い神社であった。

東京メトロ半蔵線の水天宮前駅で

 ここからロイヤルパークホテルを経て南へ行くと、東京シティエアターミナルがある。 (略称T-CAT)。  空港へのバスターミナルとして開業した施設だが、以前は搭乗手続き、出国審査まで可能なのが特徴だった。  飛行機は発着しないまでも、空港とほぼ同様の役割をはたしていたのだ。  しかし2001年のアメリカ同時多発テロ事件から、アメリカの入国審査が厳しくなったのを機に、それらの手続きをすべて空港に譲り、現在は周辺空港行きのリムジンバスのターミナルとしての役割をはたしている。  こうした経緯から、今でも空港を連想させる雰囲気を持っている。

T-CATで

 ちなみに宮島永太良が初めてここへ来たのは、10代後半に家族で北海道旅行へ行った時だった。  そのため、当時はなぜかこの場所が北海道の入口のように感じた。  そして、二度目に来たのは、高校時代の同級生がアメリカ留学に再出発した時だ。  見送りに行くことになったのだが、友達は成田まで来てもらうのも悪いからと「T-CATに見送りに来てくれればいい」ということになった。  しかし、飛行機が飛ばない場所での見送りも実感がなかったため、結局一緒にバスに乗って成田まで行ってしまったという。

 ところでT-CATは「日本橋蠣殻町」という場所にある。  この地名に宮島は昔から馴染みがあったそうだ。  歌遊びで「にゅうめん、そうめん、冷やそうめん、蠣殻町のブタヤのツネコさんが・・・・」と二人で歌い、その歌詞に合わせ、互いに腕をくすぐったり、(にゅうめんを手繰るように)掻いたり、(蠣殻町)ブったり(ブタヤ)、ツネったり(ツネコさん)するもので、幼い頃よくやった覚えがあるのだが、今では知らない人が多いのは残念だという。

洒落たブックカフェ

 そして蠣殻町の隣は、地下鉄の駅もある日本橋浜町になる。  周囲を川で囲まれている地形は、浜町という海を思わせる地名も自然な雰囲気を持っている。  浜町公園と、歌舞伎も行われる劇場・明治座で有名な場所だ。 宮島は一度だけ明治座に入ったことがあるが、芝居見物ではなく、なんと美術評論家の講演であった。  そのためではないと思うが、館内には優れた絵画作品が多いという印象を受けた。  また最近この地域には洒落たブックカフェ等ができ、イメージもわずかに変わってきているようだ。  この浜町と言えば、馬喰町方面まで続いている、高速道路下の遊歩道も印象深い。  上に道路がありながらも、都会では珍しく緑に恵まれた感のある落ち着いた通りである。

今半のオブジェ 甘酒横丁幟

 日が沈んで少し経った頃には、人形町メイン通りの提灯が一斉に点灯され、ひときわ賑やかな印象になる。  江戸時代に人形芝居や浄瑠璃を行う人形師が多く住んでいたことからついいた町名らしく、今でもそれを表すようなオブジェが通りを飾っている。

 甘酒横丁と呼ばれる通りは、夜の賑わいが盛んな通り。  全国でもよく聞く魚や肉の老舗が軒を連ね、買い物客の波が今日も絶えない。  それらの店の建物こそわりと新しいものが多いが、その合間合間にかなり年季の入った建物も見られ、大げさに言えば、江戸の街並みはこういう感じだったのだろうか?とも想像できる気がする。

試しに入ってみた居酒屋で

試しに入ってみた居酒屋は焼き鳥や焼酎がうまい店。  窓から外を眺めながら飲み食いしていると「ここは今でも江戸なんだなぁ」とつくづく感じてしまう空間であった。  江戸が東京となった現在も、その「粋」だけは守り通してくれている。  日本橋東部は、そんな印象を受ける街であった。

 

(文 / 宮島永太良 ・ 写真 / 関幸貴)

 
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