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☆ 未来へのミラー ☆      宮島永太良

人の記憶は定かではありません。 宮島永太良がこれまで歩んで来た道のりを思いを込めてほんの少し振り返っています…

第18回 新たな勉学環境…

学橋

 私が、少し遅れた浪人時代を経て入学できたのは、東京都町田市の和光大学である。  そして、入試で面接を担当していただいたのが、今は亡き美術評論家の針生一郎先生だった。  先生は私が生まれる前から、国際的現代美術の分野で評論や執筆で著名な活動をしており、東野芳明氏、中原祐介氏とともに日本の三大美術評論家の一人と評された。  そんな著名な方とも知らず面接をしてもらったのだが、今思えば人生に残る貴重な体験だった。  また先生は内外の多くのアーティストとも交流があった。  特にドイツの現代美術作家・ヨーゼフ・ボイスとは親しかったようで、テレビや書籍などでボイスが取り上げられると、その解説者としての役を受け持つことが多かった。  私もNHK日曜美術館のヨーゼフ・ボイス特集を何気なく見ていた時、面接で会った先生が登場しびっくりしたのだった。  この針生先生をはじめ、和光大学には個性あふれる先生が多く存在したが、残念ながら亡くなられた方もいらっしゃる。  そうした先生たちの思い出も、おいおい紹介したいと思う。

和光大学門標

 この和光大学に来てはじめて思ったのは、「ユニークな大学だ」ということだった。  まず授業の選択が実に自由なのだ。 私が入学したのは人文学部・芸術学科であったが、人文学部には、その他に文学科、人間関係学科などがあった。  それらには学科独自の履修科目はあるものの他の学科の学生も、そして学年も超えてそれらの授業を自由に選択できるというシステムだった。  もちろん卒業必要単位として認められた。

 私は美術理論(美学・美術史)を学ぶつもりで入ったわけが、作品を作る授業も普通に履修できるのだった。  美術理論を専攻できる大学のほとんどは、実技系はないことが多く、また、ある場合でも完全に切り離されている観はある。  しかし、この大学では、理論と実技の間の境界がそんなにはっきりはしていなかった。  私ももともとは絵を描いていたことから始まったことなので、理論を学びながらも実技をしたい意志は変わらず、毎年なんらかの形で実技授業(デッサン、水彩画など)も履修していた。

美術書

 また、留学生も多く受け入れており、中国や台湾の友人も後々できていった。  彼ら留学生は自国の大学を卒業してからこちらに来る人も多く、その意味では自分と年齢の近い学生もいて気持ちが楽だった。  そして日本人学生でも「かつて○○大学(かなり名門の場合もあり)にいたが、受験し直してこちらに来た」という人もいて、あまり年齢の差を気にさせる環境でないことが、自分としては良かった。  さらに、学年を超えて授業やゼミが選択できることから、学年の違う友人もできやくす、互いに学年の違い、年齢の違いなど気にしない付き合い方、いわいるタメ口会話が通じる仲をしている人が、多いのもこの大学の特徴であった。  もちろんスポーツ系のサークル等では、他の大学と同じように学年の序列の厳しい関係もあったかもしれないが、それはそれで付き合い方の区別だろう。  大人の世界でも「職場で年下の上司」とか「趣味が同じ年上の友達」とかいるものだ。  また、種類を問わず障害を持った学生の受け入れも積極的であった。  私もそれまで障害を持った人とそう積極的に接したことがなかったが、この大学で、体の一部が不自由な人との接し方を大変有意義に学べた。  授業の一環で目の不自由な学生と山に登った時は、エスコートを得意にしている友人に、そのコツを教えてもらったり、目の不自由な人でも「今日○○を見てきたんだ」という言い方を普通にすることも知った。  また、耳の不自由な友人二人と休み時間を過ごした時、手話のやり方を知らない私でも、身振り・手振り・筆談などで一時間会話ができた時は、自分でも大変嬉しかったことを覚えている。

ニューヨークの街並み

 以前入った大学と比べるのは悪いが、この大学ではうって変わって勉学家の学生も多かった。  大学生といえば授業をサボることに工夫を凝らす場合が多いが、ここでは授業に出席することに積極的な学生も多く、中には履修していない授業まで進んで出る学生までいた。  考えてみれば、授業はいくら出ても学費は変わらないわけだから、そちらのが「お得」である。  そもそも学費を払っているのだから、授業をサボるのが勿体ないのだ。

 現代芸術の授業も多かった。  実際コンテンポラリーアーティストとして活躍している先生の授業では、本人がかつてニューヨークで制作活動していた時の話も聞けた。  誰もいなくなったビルの一室(ロフト)を自由にアトリエとして使っていた、というアメリカらしいダイナミックな話も新鮮だった。  また、千葉県佐倉の「川村記念美術館」、茨城県水戸の「水戸芸術館」なども授業の一環で見学し、生の現代美術を情緒あふれる場所で見る、という贅沢気分も味わえた。  その他にも、プロの現代芸術家が講演に来たり、パフォーマーが演じに来てくれる機会も多く、学生自らがそういう人たちに声をかけていたことも多かった。  とにかく現代芸術に興味津々だった当時の自分としては、格好の勉学環境であったと言える。

(写真:関 幸貴) 
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