スペシャルインタビュー 宮島永太良が語る2011年と2012年!
宮島永太良さんへのインタビュー Q&A
編集部(以下Q):
2011年、宮島さんは、「なよたけ」の二人展から始動。 今日は、卯年を振り返って2012年・辰年の抱負をお聞かせください。
宮島永太良(以下A):
偶然か必然か、卯年はウサギのマルタで明けました。
新春早々「なよたけ」での展示作品もマルタとその仲間たち。
マルタが2010年に生まれ、2011年は自分が何を目指してアートを行ってきたのか、目的が明確になった気がします。
Q :アートによる目的?
A :それについては、私が文にして『月刊宮島永太良通信』のトップページに掲載いたしました。
是非、お読みいただければと思います。
Q :では、順に2011年を振り返って見て、何が最も印象に残っていますか?
A :何と言っても3月11日に起こった『東日本大震災』です。
発生時刻、私は東京の銀座でミュージシャンの和さんと打合せ中で、突然これまでにない強い揺れを感じました。
そして、それ以後の報道の数々…。
秋に被災地の宮城県を訪ねましたが、震災の爪痕が強く残り、その光景を目の当たりにすると複雑な気持ちになりました。
でも、それに反して復興のために出来ることを自分自で積極的に探し、挑んで行きたいと考えています。
Q :震災被災者のための支援活動は迅速に動いたのでは?
A :震災直後、何か自分に出来ることはないかと考えて『マルタ募金』を創設、皆様からの善意を募りました。
お陰様で36万円以上(2011年12月21日現在)が集まり、全額ユニセフに委ねることができました。
本当に感謝です。
Q :震災直後、色々なイベントが自粛しましたが、4月に宮島さんが主催する『花まつり』を例年通り開催、どんなお気持ちでしたか?
A :確かに世の中とは逆でした。
しかし、ここで自粛してしまったら、アートの存在意義がなくなってしまうと考え、『花まつり』をやめる気は全くありませんでした。
例え話になるかどうか微妙ですが、以前、『あるアーチストが病院に展示したいと考えたが、結局はやめた』と、言う話を聞きました。
展示をやめた理由は、『病気の人は絵を見る状態、余裕がない』と、考えたからだそうです。
でも、病気の方々の気持ちを癒すのもアートの役目だと思います。
『余裕がないからやめよう』では寂し過ぎます。
震災後の状況も同様ではないでしょうか。
だから、私は参加作家の方々と一緒に、あらゆる気持ちを込めて『花まつり』を催し、引き続き、ひとりでチャリティー展を約2ヶ月間行いました。
Q :病気については実体験は?
A :私は子どもの頃、あまり体が丈夫ではありませんでした。
だから、布団で寝ていると目に入るは天井の木目だけ、違うモノ、気分を変えてくれる何かを見たかった。
あと、これも昔聞いた話です。
あるお年寄りが脳梗塞になり、入院先にふたつの病院を紹介されたそうです。
ひとつは、明るくて居心地良さそうで、家から離れて入院生活を送っても安心な感じ。
もうひとつは、言い方が悪いけれど、内部は暗く鉄格子もあって、マイナーなイメージ。
ふたつのカタチを比較すると、空間の使い方が、私が考えているアートの存在に繋がるのでは、と思い至りました。
だから、入院する人の気持ちを考えたら、どちらが良いのか自ずと答が分かます。
当然、明るい病院を選んだそうです。
その方が患者さん、家族も含めて皆が、心休まると思います。
そして、その話を聞き、自分が子どもの頃に行っていた小田原の病院を思い出しました。
Q :かかりつけのお医者さま?
A :扁桃腺が弱くて、小児科と耳鼻咽喉科と通いました。
でも、好きなのは小児科、明るい雰囲気の『石田病院』です。
ご夫婦共にお医者さま、皆がパパ先生、ママ先生と呼んでいました。
普通、子どもは学校を休まされて、病院へ行くのを嫌がります。
でも、私は、『学校を休んだけれど、あの病院に行けるなら良い』と、考えたものです(笑)。
そこに似ているのが、2008年、第1回目の『生きる』コンサートの作品を寄贈した『神奈川県立子ども医療センター』も爽やかで清々しい感じの良い施設です。
Q :7月には、大阪と東京に『マルタハウス』が誕生しました。
A :東京だけなく、大阪にも作品展示やイベントができる活動拠点ができたのは、大きな意味があります。
現地情報も得やすく、関西での可能性が広がりました。
Q :マルタと言えば、8月には目黒パーシモンホールの『井上あずみコンサート』で、『着ぐるみマルタ』が大々的にデビューしましたね。
A :コンサートでは、私の作詞作曲、コモリタミノルさん編曲、井上あずみさん歌唱の『マルタで行こう!』を初披露。
コモリタさんと井上さんのおふたりは初めてのお仕事だそうですが、息が合っていました。
また、休憩時間のロビーでは、子どもたちのマルタ人気が凄かった。
最初から、あんなに親しまれるとは思わず、作者である自分自身の想像をはるかに越えて嬉しかったですね。
Q :それは、御殿場で行われたファンケルクラッシックに続きます。
A :はい、イベント会場で人気はありましたね。
ただ、あのときは『マルタです!』と、立っているだけで、役立ったのは10分間くらい打ち水をしたことぐらい(笑)。
これだけではダメだと思い、これからはマルタでプラスアルファができればと考えています。
Q :プラスアルファ?
A :例えば、マルタが主体になって来場者にサービスをするとか、最近の子どもたちの骨が弱いとか聞きますから、健康チェックをするとか。
何かマルタで出来ることをプラスアルファしたいですね。
これも来年に向けた新たな課題です。
Q :そして、10月には新webサイト『マルタの冒険』の発信とパリでヨーロッパ初個展がありました。
A :新サイト『マルタの冒険』は、進めているプロジェクトの一環であらゆるマルタの情報を皆様に知っていただくために発信。
まだまだ試行段階ですから、暖かく見守って欲しいです。
また、パリ個展については先月のインタビューでもお話をしましたが、街に対しての違和感もなく本当に実りが多かった。
そのうち、パリについてはマルタ同様の楽しいお知らせが出来るかもしれません。
Q :そして、2011年12月14日に絵本『マルタの冒険』が全国発売になりました。 そろそろ反応があるかと思いますが?
A :まだ、そんなに反応は聞こえてきませんが、絵本を購入した日から毎日繰り返して読んでいる子もいるそうです(笑)。
それから、まだ本決まりではありませんが、2011年12月から2012年の12月まで、井上あずみさんが、毎回ご自分のコンサートで、マルタの歌と絵本の読み聞かせをしてくれるそうです。
日本全国でのことですから、ここから何かが生まれるかもしれません。
* 『 みんなの演奏会U 』
Q :マルタ以外の創作はいかがですか?
A
:面白かったのは、今までの作品とマルタは平行線の様で、どちらが宮島永太良か分からないと言う意見もありました。
ふたつが交錯するとは、考えられなかった様ですが、2011年「生きる」*のための作品を見ると一体化しているのが、分かっていただけると思います。
いつも、創作については、あらゆることを模索しています。 これからもその姿勢が変わることはありません。
Q :駆け足で1年を振り返っていただきましたが、最後に辰年の展望をお聞かせください。
A :今年、日本全体は東日本大震災もあり辛い年でした。
でも、その状況下、マルタが生まれていてくれて私は良かったです。
お陰で行動指針が見えました。 とにかく、2012年は2011年の良かったモノを継承、熟慮を重ね公私共に成長出来ればと考えています。
宜しくお願いいたします。
今日はありがとうございました。
(文・パリを除く写真 関 幸貴)