Friends : 友達
Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎回、親しい視線と言葉で宮島の実像に迫ります。
◎ 優しさを紡ぎ出すアーチスト ‘ フジモト芽子 ’ さんが連続で登場します♪
◎フジモト芽子(まいこ)さん プロフィール
本名、藤本名子(ふじもとめいこ)。 大阪府堺市出身。 1963年12月5日生まれ、射手座、A型。 甲南女子大学文学部卒業。 大学卒業後、 姉の有子さんと雑貨店を経営、その後ベビー服店でアルバイト。 アーチストとしては、関西を拠点に1980年代後半から、 独特な優しい世界観を表現した作品を発表し続けている。 現在は個展の他に雑誌、新聞等に多数作品発表。 父君は、直木賞作家の藤本義一(ふじもとぎいち)さん。 |
芽子さんがアーチストに至るまでの私的エピソードから始まります♪
編集部(以下Q):子どもの頃は何になりたかったですか?
フジモト芽子さん(以下A):記憶の最初にあるのは童謡歌手です。
Q:動機は?
A:きっと、テレビの子ども番組に出ていた由紀さおりさんや田中星児さんに憧れたからです。
それから、幼稚園の先生が母に『名子ちゃんは音への反応が良いですね』と一言話したら、何故か母がその気になり、私の音楽教育のために『聴音』を始めました。 それも一因かも…
Q:聴音?
A:音の聴き取りをして音楽を学ぶことのようです。
私も嫌いではなかったし、大学出たての先生が、ルパン3世に登場する峰不二子さん似で、私が生まれて初めて見たカッコイイ女性だったので始めました(笑)。
Q:峰不二子?
A:そうです。 その先生は、髪もきれいに巻いて、可愛いアクセサリーを付け、ロペの服を着こなし、いつも良い香りを漂わせていました。
子ども心にも本当に素敵でした。 だから、先生が忘れていった鉛筆を宝物にしていました。 楽しい思い出です。
Q:聴音は何年ぐらい学びましたか?
A:続けて10年位は習っていましたが、先生の結婚やウチの引っ越しがあって、中学時代に自然消滅しました。
Q:中学時代の部活は?
A:目指したわけではなく、姉の影響でブラスバンド部でした。
Q:高校は?
A:軽音楽部です。
Q:ずぅ〜と音楽ですね。どんな楽器を?
A:キーボード、少しギターです。 それから、演奏ではヘビーメタルも♪
Q:ヘビーメタル!
A:私はデヴィッド・ボウィさんとかケイト・ブッシュさんが好きでした。 でも、高校生になって私が髪を伸ばしたことでヘビメタと関わりました。
Q:髪が縁ですか?
A:短いと分かりませんが、元々、伸ばすと学校からは注意されるぐらい、私の髪はクセ毛で少し茶色がかっています。
それにセーラー服。 このビジュアルでは、かなりそれっぽいです。
で、軽音の活動で他校生と知り合い、誘われてメンバーになりました。
そして練習用に渡された曲が、ハードロックやヘビメタの知らない作品ばかり。
でもカッコ良く、滅茶滅茶ヘビメタにハマりました。
最初は『ウルサイ!』、後は『ええ感じ!』と、大きく思考変化。 主体的に音楽で一番ハマったと言えます。
Q:音楽とは縁が切れませんね。
A:私にプロ志向はなく、音楽やっている時は楽しめれば良く、20代中頃まではガールズバンドで演奏活動。
今も1時間半一人カラオケするくらい、音楽を楽しんでいます(笑)。
Q:それが何故、描く世界へ?
A:小さな時から、絵と音楽はいつも複線の様な関係で、私が主体的だったのは絵。
でも、描いたと言うより立体物の制作になるかもしれません。
Q:立体物?
A:例えば、南海電鉄堺駅の新型自動券売機とかお店のレジスター等が大好きでした。
でも、買えない。 それで家に帰り、欲しいモノは段ボールで作っていました。
あと、紙類では郵便局に置いてあるカーボン付きの振り込み用紙が好きでゴッソリ持って帰って来たことがありました。
当然、後で親に叱られて返しに行きました(笑)。
それから、文房具の卸しをしている親戚がいて、そこには印刷された紙がたくさんあったので、脇目も振らず黙々と描いていました。
Q:白い紙ではない?
A:白い紙には興味がなく、印刷された上に描くのが楽しかった。
技法としてはコラージュっぽく、今の作品に通じます。 だから、絵画のジャンルではないかもしれません。
Q:小さい時からずっと描いていましたか?
A:はい。 小学校1年生の時に帰国した私のヒーロー横井庄一さんに憧れ、廃棄自動車をベースにした秘密基地を友だちと作り、必要なモノは制作。
そして、小学校の卒業文集に将来の夢は『漫画家』と書き。
学生時代にはイラストを友人のノートに描き、姉と雑貨屋をやっていた時は、売れ残ったノートに描いていました。
同じ絵を何度も描けないので漫画家は諦めたけれど、私が小学校低学年頃から父の関係で家によく遊びに来てくれたイラストレーターの成瀬國晴さんは、聴音の先生同様、憧れの存在でした。
Q:絵は習いましたか?
A:いいえ。 小学校の頃、習いたいと母を通じて父にお願いしたのですが、父に反対され、諦めました。
Q:反対理由は?
A:小学生では意味不明、中学生でやっと理解できましたが、今、父の反対理由を言葉にすれば、『絵が好きだったら、習わなくても描けるはず』と『絵や文章の技術は何時でもつけられるので、後でも大丈夫。
何故なら、最初に技術を習い身につけると、それが枷になるので、そこから脱するのが難しい!』になると思います。
Q:絵や言葉の重さを知っている方の意見だけに奥深いですね。
A:遠回しに、ひとりで一所懸命描きなさい!と、言われた訳です(笑)。
でも、あの時、反対されたことで、私自身が音楽より絵に重きを置いたとも考えられます。
そして、あとひとり大きな影響を受けたのが…
Q:誰ですか??
A:それは…
次号に続く、乞うご期待!
フジモト芽子 作品展『手に手をとつて』が近鉄上本町店6F 美術画廊で7月7日より13日まで開催されます!