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☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆     文 宮島永太良

このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。

〇 損か得かは人のものさし。嘘か真かは仏のものさし。

これはあるお寺に置いてあった御札の一言。

仏像

「損か得か」と聞くと、 「すぐあの人は自分の得ばかりを考えて・・・」 と、いった批判めいた言葉が出てきそうだ。  人間誰しも、自分の得ばかり考えて生きている人を、 あまり好きにはなれないのだろう。 でも、自分自身を考えるとどうだろうか。  やはり自分の得は少なからず考えてしまうのではないだろうか。

「ここで買えば、あそこで買うよりもっと安くすむ」とか、 「あの人には貸しがあるのだから今度こそ奢ってもらおう」とか。

日々の生活をなんとかやりくりするためには、 仕方ない発想と言えなくもないかもしれない。  さらには、電車の一区間をタダで乗ることを考えたり、 あわよくば見つからなければ、ただ食いしてしまおうか、 といった軽犯罪にまで発展するかもしれない。  それよりも何よりも、毎日の生活費まで困っているような状況であれば、 悪いとわかっていながらも、軽犯罪をせざるを得ないといったことも、 あり得ないことではないだろう。

塔

犯罪になってはいけないとしても、人間は多かれ少なかれ、 自分の得を考えなければ、生きることが困難な生き物なのかもしれない。  しかし、みんながみんな、自分の得を優先して生きていたらどうなるであろうか。

きっとこの世の秩序は乱れ、その乱れが蓄積し、 やがて争いが起こるだろう。そうはなりたくないものである。

「嘘か真かは仏のものさし」(あるいは「嘘か真かは神のもの さし」とも言い替えられるかもしれない)というのは、 そのような人間の心を調整する言葉と言っていいかもしれない。

誰もが金持ちにはなりたい。 しかし自分が金を儲けるために、 人を騙していいのか。  誰もが自由にはなりたい。 しかし自分が自由になるために、人 を束縛していいのか。  多くの人がそれに対して「NO」と答える傾向にあることは、 ある脳科学の実験でも証明されているようだ。 そのことからして も、人間は本来、人のことを思いやれる生き物なのは確かなようである。

生きていく上では、必然的に「損か得か」は考えざるを得ない。  それは人間であれば仕方のないことである。  しかし、その前提には「真」というものがあってこそ、 また理想の人間の姿と言えるだろう。 「嘘か真か」の判断があることによって、 初めて互いが助け合える人間社会となり得るのではないだろうか。

宮島永太良

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