アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!
「宮島永太良研究」第2回
Q=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良
アートが気になるインタビュアー(以後Q):宮島さんが初個展を行うに至るまでには、少し時代を遡ってお話しを聞かなければと思いました。
大学で美術史を専攻していたのは、前の連載でも読ませていただきましたが、もともと絵を描くことが好きだったわけですよね。
宮島永太良(以後A):そうです。ただ、学生時代は実作者というより美術を研究している人間という意識があったので、その流れで在学中から、美術雑誌の委託ライターをやっていました。
私が担当していたのは、展覧会の紹介記事にはじまり、美術館や画廊の取材記事、アトリエ訪問、公募展受賞者へのインタビューなど、大変でしたが貴重な体験をしました。
知人で教員をやっている人からは「その仕事を続けるだけで大学4年分の知識がつくよ」とも言われました。
やがて、いろいろな画廊にも知人ができた頃、かねてからの一つの夢を叶えたいと思うようになりました。
Q:どんな夢ですか?
A:「画廊で働いてみたい」ということでした。
Q:画廊を自分で持ちたい、と思われたのですか?
A:いいえ、そんな大きな夢ではありません。
ただ画廊のスタッフをやってみたかったのです。
そして運よくその願いが叶い、ある現代美アートのギャラリーでアルバイトをさせてもらうことになりました。
ライターもアルバイトだったので、特に二重労働にはなりません。
Q:では、夢がかなって満足でしたか。
A:いいえ、それは今思えば一過性の夢だったかもしれません。
いずれ作品を作りたいと思っていたし、できることなら公募などにも挑戦したかったです。
ただ、公募と言ってもそれが美術作品を対象にしたものか、デザイン的なものなのかはごっちゃになっていました。
Q:そういえば前の連載でも、高校時代に、デザインを志望したとありましたね。
A:そうです。
デザインへの興味も、まだ持ち続けていました。
結局、現在でもその要素は維持され続けるのですが、それは後々お話しします。
Q:デザインではない、いわゆる純粋美術に関してはどう考えていましたか?
A:美術史を学んでいただけに、絵、美術というのは、何か哲学や主張がなければ、ある意味高尚なものでなければ、プロの作品にはなり得ないと考えている面が強かったのです。
自分でも時々絵は描いていましたが、それはあくまで趣味の絵であり、正式な発表に耐えるものではないと思っていました。
そのため、この時点では絵を発表しようという勇気がなかなか持てなかったのです。
Q:実際、この2年後に初個展を行うわけですが、どういう変化があったのでしょうか。
A:憧れのギャラリーの仕事に就けたのはよかったですが、ギャラリーの仕事を続けるとも思えない。
この頃私はすごく悩んでいました。
自分はこの先何をしていくのだろうかと。毎日悩みながらのギャラリーの仕事でしたが、そこで扱っている作品を見ていると、どうも様子が違うのです。
ギャグのようなもの、またフェティシズムを扱っているもの等、自分の日常目線に近い作品が多くありました。
そこに哲学のようなものがないとは言いませんが、思っていたような難解なテーマを感じ取ることがなかったのです。
Q:その作家さんたちは、どのくらいの世代の方ですか。
A:当時の私とほぼ同じ30代前半くらいの方が多かったです。
同じ世代がもうプロとして活躍している姿を目のあたりにしたことも、自分の将来を悩ませた理由の一つだったでしょう。
また同時期、雑誌の仕事である公募受賞画家の取材をしたのですが、その方もほぼ同世代で、作品は風景の中に巨大な女性ヌードが横たわっているものでしたが、制作時期を聞いてみると「山を見た時に女性のお尻に見えたから」というのです。
当時の同世代の作家たちによるこれらの事実は、私の心を動かしました。
Q:それまで美術とは高尚なもの、と考えていたのに、拍子抜けしてしまった、という感じですか。
A:いいえ、自分もアーティストになれる、と思ってしまったのです。
先のような制作同期なら、当時の私にもたくさんあったのです。
そして、この時は一大決心で絵をやっていこうと決めました。
32歳の時です。画家(この名称はその後検証が必要になるのですが、ここでは便宜上)として始めるには若干遅い年齢と思ったのと、同世代がすでに活躍している事実を見ると「今しかない」と思ったのです。
そう決心してアルバイトをしていたギャラリーも辞めることにしました。
アルバイトながら、あるプロジェクトにかかわらせてもらうことになっていたのですが、それを行うと制作時間が持てないと思ったからです。
ギャラリストを目指すのなら、かかわった方がよかったかもしれないですが。
Q:以前から続けていた、美術雑誌のライターの仕事はどうしましたか。
A:それは続けました。
それまで辞めてしまったら仕事が無くなってしまうのと、今後美術をやって行く上で、自分一人ではカバーしきれない貴重な情報も得られるのではないかと思ったのです。
Q:画家として、作品制作に集中しようと決めた宮島さんですが、制作にはすぐ取り掛かれましたか?
A:早速、抽象絵画に挑んでみようと思いました。
以前から、カンディンスキーやクレー、モンドリアンをはじめとした抽象絵画に興味があり、いつか自分でも描いてみたいと思いながら、なかなか描けませんでした。
ところがこの時ばかりは、次々と抽象のイメージが浮かび出し、絵にすることもできたのです。
文様などの抽象的なイメージもあったし、具象から抽象に変化したものもありました。
Q:そ決心するということは、予想外の力を授けられることがあるのですね。
つづく