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アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!

 

「宮島永太良研究」第22回 宇宙観 死生観

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:今回は前回から続き、宮島さんにとっての宇宙観や死後の世界観といったものに触れたいと思います。
:はい、宇宙には求めているものの答えが全てあるのではないかという思いがあります。ある意味「宇宙」というのは便利な言葉かもしれません。地球上に見つからなければ、あとは宇宙にあると信じよう、となるわけですが、そこがまた宇宙のロマンでもあるでしょう。

:そこには未知なる世界全てがあると言ってもまた良いですね。
:まだ確認されていない異星人の存在やブラックホールなど、ひとたび宇宙に目を向ければ人間が遭遇していないこと、解明できていないことだらけです。そんな中で死後の世界、いわゆる天国や地獄と言われるものは宇宙と別次元にあるのか、あるいは四次元や五次元といった世界は宇宙の範疇にあるのか、それらははっきり言ってわかりません。しかし亡くなった親しい人が宇宙のどこかで元気にしていると考えると、そう寂しくはないかもしれませんね。


 

:「元気にしている」というのは魂として、ということでしょうか。
:そうです。私は、人間は本来、魂だけのものであり、この地球上にいる間だけ肉体を伴って生きている、とだいぶ前から考えるようになりました。それについては後ほど説明します。

:宮島さんはもちろん宇宙には行かれたことはないと思いますが、そのように、宇宙の謎を解くことも制作の基本になっているわけですね。
:謎を解く、というより思索するという方が良いかもしれません。宇宙の謎は一生解けないでしょうから。そうした思索の一つで、これは子供の頃から時々考えていたのですが、「宇宙はどこまで広がっているのか?」という問題があります。

:ああ、考える機会は少ないですよね。
:日常生活ではあまり考えない、というか、考える必要もないのですが。しかし、ふと考えると不思議ではないですか。

:そうですね。地球は一つの球体ということで一つ範疇がある。太陽系も、銀河系も一つの範囲の中で成立していますよね。しかし宇宙の果てはどこかというと、まだその答えはありませんね。
:かつてSFドラマで、宇宙の果ては花畑になっていた、というものがありましたが、ではその花畑の外は何か、と考えて行くと、マトリョーシカが逆になったようにどんどん広がって行きます。これは考えていると気が変になりそうなこともあるのでやめるのですが。ただ、一つの案として、ある時期、宇宙を果てまでどんどん行くと、逆に顕微鏡でしか見えないミクロの世界になるのでは、と考えたことがあります。以前著作「発見美術館」にも「マクロの世界は無限だ。どこまで行っても、(中略)限りなく広がる世界がある。そしてその行き着いたところが、(中略)微生物の細胞だったとしたらどうだろう」と書いたのはそういう意味です。しかしながらそれでも「またその外側は?」の問題は消えません。私はこうした謎は「人間としての一生を終えた後にならなければわからない」と結論づけ、自身を助けています。同じような問題で「時間はいつから始まったのか」というのもありますが、こちらはまたの機会に考えます。


 

:いずれにしても、時間・空間の真意は人間にはわかりませんよね。ところで先ほど宮島さんが言いかけた、人間の本質は魂だけ、というお話もお聞きしたいのですが。
:はい。私たち人間、あるいは生物の最大の謎は、死んだら「心」とか「気持ち」はどこへ行くのかということであり、未だ解明されていません。死んだ人は何も話しませんが、生前あれだけ喜んだり悲しんだり怒ったり、いろいろした「気持ち」が、肉体が死んだからといって突然消えてしまうとは当然思えないのです。

:私もそう思います。「亡くなったあの人も天国で喜んでくれているよ」などとは普通に言いますからね。
:つまり「魂」は死なないと思うのです。私たちは人間として生まれる前に、魂のみで存在していた世界があり、生存中はそのことは忘れていますが、死んだらまたその世界に帰って行くのではないかと思います。それは天国、あるいは神や仏と一緒にいる世界といえばわかりやすいかもしれませんが。肉体というのはこの世で存在するために必要な「発言マイクつきスーツ」のようなものなのではないでしょうか。このスーツの存在は深刻で、たとえば事故で破損してしまい使えなくなった、または病原菌に蝕まれて維持できなくなったとなれば、魂は離れて行かざるを得ません。これが普通にいう「死」ということです。

:この世では「発言マイクつきスーツ=肉体」を通じてコミュニケーションしますが、あの世ではもっと自由になるのですね。
:生まれる前にいた、そして死んだ後に行く世界では、肉体に束縛されず自由に行き来でき、縁のあった人々とも再会しながら、「何とか申告した期間だけ人間をやって来たよ」等と、喧嘩もストレスもなく話す(というより伝える)ことができる。それが私がイメージしている「あの世」なのです。

  

 

  
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