TOPTalk : 対談

IZMIN、真鶴の森で絵との関わりを語る…

IZMIN


◇IZMINプロフィール
画家
アメリカに拠点のあるSCBWI JAPANに所属
KS(志茂田景樹)アーティストクラブ所属
1956年:長崎県長崎市生まれ
1974年:長崎純心女子高等学校卒業
2008年:第21回 上野の森美術館「日本の自然を描く」展 入選
2009年:川崎市市民美術展 入選 
2010年:第23回 上野の森美術館「日本の自然を描く」展 入選  
2015年:クリエイティブメディア出版 絵本大賞 準大賞受賞 
2017年:現展 入選 
2019年:アートサロン入選

◇展覧会のお知らせ
☆KSACアートフェスタ
会期:2021年9月24日(金)〜10月9日(土)
会場:中目黒MDPギャラリー
☆IZMIN個展
会期:2021年10月5日(火)〜10月9日(土)
会場:SPACE M
*所在地 共に:東京都目黒区青葉台1-14-18
 電話 共に:03-3462-0682

IZMIN
 

☆前号からの続き…


月刊宮島永太良通信編集部
(以後Q):中国から帰ってからは、どうしたのですか?
IZMIN(以後A):中国旅行ための長期休暇がとれなかった衣料品店はやめていましたが、帰国後、「青年の船」の関係者紹介の病院で働き、学生時代からの夢だったアメリカ留学の費用を貯めていました。

Q:中国の次はアメリカですか?
A:はい、夢が実現したのは私が31歳、1987年の冬でした。

Q:アメリカ行きはスムーズに決まりましたか?
A:あらかじめ親の反対はわかっていたので、貯めたお金で前もって入学金等の全費用は払い込み、留学は翻せない状況にしたうえで、まず母を説得。その後、母がとても頭を働かせた一芝居をうち父から承諾の言葉を得て、私の留学は実現しました(笑)。

Q:アメリカはどちらに?
A:サンフランシスコのカリフォルニア大学バークレー校に英語の研修機関があり、10週間のコースがあったので、そこに入りました。勉強だけでなく、観光をすることも考え滞在期間は3ヶ月間にしました。

Q:アメリカでの体験はいかがでしたか?
A:日本で予約したステイ先は男女一緒の2食付レジデンスクラブ。ところが、最初の夜、隣室の男性が深夜になっても壁をドンドン叩くし、大声で喚くので最悪でした。その翌日、日本を経つ空港でお友だちになっていた女の子とショッピングの約束をしていたので、会った時に事情を話したら、すぐにその子がホームステイ先のお母さんに電話をしてくれ、幸運にも私は緊急避難的にそのお宅へ移ることができたのです。お陰で人生で初めて本場のクリスマスを過ごせたし、様々な名所へも連れて行っていただき、貴重な経験を積むことができました。

IZMINと宮島

Q:それは得難い経験ですね。ところで、語学学校は?
A:1988年1月4日から始業だったので、私は女性専用のレジデンスクラブに移り、怖いこともなく安心してそこから通いました。

Q:学校生活はいかがでしたか?
A:1クラス12人中、日本人が10人だったので、より真剣に英語を学ぶため考え、自費留学している同年代の日本女性とイタリア女性と3人で、学校内では英語だけで過ごすことを決め、実践しました。

Q:留学の成果は?
A:10週間で先生の言葉は聴き取れるようになり、日常会話は大丈夫になりましたが、まだ突発的な会話には自信がありませんでした。だから、もっと勉強をしたかったのですが、経済的に無理だったので帰国しました。

森の中のIZMIN

Q:ところでアメリカで絵は描いていましたか?
A:英語に一所懸命だったので描いてはいませんが、写真は撮っていました。

Q:アメリカでは英語に気持ちが行っていたのですね。帰国してからの生活は?
A:地元長崎で以前と変わらぬ日常生活を送っていましたが、父の意を汲んだ母が、私に強く結婚を勧めるようになり、断ってばかりいたお見合いを、とうとうすることになりました。

Q:お見合い?
A:お見合い相手がとても強引な方で、私もやりたいことは一通り済ませていたので33歳の時に結婚、長崎から長野へ移り、善光寺の近くに住みました。

Q:九州から信州とは、結婚でかなり環境が変わりましたね。
A:はい。でも長野は親切な方が多くて住みやすかったし、北野美術館や長野県信濃美術館 東山魁夷館などがあり、絵画作品に親しむことができ、いつかは絵を描こうと思っていた私には最適な土地でしたが、その何年か後には富山へ移りました。

IZMIN

Q:富山ですか?
A:夫の転勤ですから仕方ありません。でも、お陰で嬉しいご縁に恵まれました。

Q:どのような?
A:お隣のご夫婦は共に大学の先生、ご主人は中国の方で、はなちゃんとののちゃんはという2人のお嬢さんがいて、彼女たちは毎年夏になると、お父さんの実家のある中国の内モンゴル自治区に行っていました。ある日、はなちゃんがウチで遊んでいた時に描いたのが、果てしなく広がるモンゴルの草原と一軒の家。その頃、また描くことに強く惹かれ始めていた私は、この絵を見た時の感激を忘れる事ができず、絵本にすることを決心。お隣さんからお話を聴いたり、写真を借り、初の絵本「野の花のように」を2005年に出版しました。また、念願だった日本画教室へ通っていた頃だったので絵は日本画の画材で描きました。

Q:絵本とは、かつての経験が生きていますね。あと日本画はどれくらい習ったのですか?
A:地域の教室の先生が引っ越しするまでの約2年間。その後は自己流ですが、今は日本画の概念にはとらわれていません。そして、この頃から私自身も絵を描くことに傾倒、2008年には、上野の森美術館「日本の自然を描く」展に入選、2010年頃に初個展を開催。その後、渡邊智美さんらアート仲間らとの交流も本格的に始まり、子どもの頃から夢だった描くことを主体にした生活になり、61歳で28年間の結婚生活にピリオドをうちました。

IZMINと宮島

Q:人生色々ですね。ところで現在の絵のテーマは?
A:花の絵は多いかもしれませんが、テーマにこだわりはなく心に浮かんだもの、究極的にはずっと観ていたくなる絵を描きたいです。そうそう、「現展」に出した時、先生から「あなたの絵には哲学がある」と言われた時はとても嬉しかったです。

Q:「観ていたくなる絵」とは素敵です。さて、最後の質問です。現在、神奈川県真鶴町にお住まいですが、どのようなご縁で転居されたのですか?
A:2019年春、中目黒のMDPギャラリーが企画した真鶴の「提灯イベント」に参加、初めて訪れた時に知った原生林の存在と、新たにアトリエやギャラリーができるといった情報に加えて、海と山がある環境が故郷の長崎のイメージが重なったからです。今年で真鶴へ来て3年目になりますが、すっかり馴染み、地元のボランティアガイドまでしています(笑)。

Q:IZMINさんの子どもの頃のエピソードが重なるような現在の動きですね。どうもありがとうございました。

 

終わり

取材日:2021年7月12日
*マスクは撮影時のみ外しました。

(構成・撮影 関 幸貴)

 
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