TOPInterview : インタビュー

アートが気になるインタビュアーが宮島永太良を探る!

 

「宮島永太良研究」第20回 モチーフ再び

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:前回、前々回と宮島さんの作品観についてお聞きしましたが、生と死の話をはじめ、かなり宗教的な話題にも触れてきました。今回は、また宮島さんの作品の中によく見られるモチーフについて再びお話を進めたいと思います。まず宮島さんといえば、絵の中によく虹のようなものが見られますが、あれは何でしょうか。
:よく聞かれます。また、あれこそ私の特徴のように言われることも多いです。

:そうでしょうね。
:形はその時によって違いますが、道というか、川というか、一つの太い線が手前から出発して上へと伸びて行き細くなる形を、長年描き続けてきました。いまだにはっきり何かと説明できるわけではないのですが、こう長年やっていると、次第に自分でもお馴染みの図柄と考えてしまうようになりました。


虹のようなもの

:ご自分でも意図的に描くようになっているのですね。
:はい。最初は私の手癖だったかもしれません。そんなことを言うと「手癖で作品づくりをするのか!?」と呆れる人もいるかもしれませんし、実際いましたが、手癖にも意味があるのではないか、自分で気づかないうちに心で思っていることを、手を通じてアウトプットしている場合もあるのではないかと考えられます。

:無意識の成す技ですね。
:以前、アートセラピーについて勉強に行った時、「風景構成法」というのを教わりました。絵を使ったカウンセリング方法の一種ですが、相談者に山、川、木、家、空などの風景を描いてもらい、カウンセラーはそれをもとに、相談者がこれまでどのような人生を送って来たか、どのような環境で育ったかなどを判断します。なおこの際、絵の上手・下手は全く関係がありません。

:絵の技術ではなく、描いた物のとらえ方で判断するのでしょうか。
:はい。人によって、山なら富士山のような形を描く人がいれば、左右につながる形に描く人もいる。また川も繊細に流れるような描き方があれば、画面手前にドカっと大きな川を描く場合もある。それらの描き方により、たとえばその相談者が自由奔放に育ったのか、厳格な管理の下に育ったのか等が、ある程度はわかるというものです。


「風景構成法」

:言ってしまえば描き方の「癖」のようなものですね。そう考えると宮島さんの手癖というのも、そう単純なものではない気がしますね。
:やはり同じ形を(近年では意図的にせよ)長年描き続けるということは私の半生、場合によれば前世も影響しているのかな、と思うこともあります。

:やはりあれは虹が発想元になっているのでしょうか。
:虹だけではないかもしれませんが、それもあるかもしれません。虹(虹の絵)はいろいろな場面で登場するので、幼い頃から私に少なからず影響を与えたかと思います。

:虹を綺麗だと思う人はたくさんいますから、様々なデザインに応用され、目にする機会も多かったでしょうね。
:また、虹は可視光線の象徴です。光線のうち、人が目で色を識別できるのが可視光線ですが、それは赤外線と紫外線の間にあるとされています。

:虹の両外側の色が、ちょうど赤と紫ですよね。
:はい、そうです。この虹の色こそ、唯一私たちが感じることのできる色の集合体です。不思議なのは、赤から紫までの限られた色調の中に、無限な色が存在するということです。「有限の中の無限」と言えるでしょうか。

:そう言えばそうですね。かつて、数字の1と2の間に、無限の小数点以下の数字が存在すると聞いたことがありますが、「有限の中の無限」という点では似ていますね。
:実は私もその考え方を作品にしたことがあります。横長の画面に、観音開きの扉がついているのですが、それは「1と2」あるいは「2と3」などを象徴しています。その扉を開けると、中に別な作家さんの作品が登場するというものですが、これは「1.1、1.2、1.3」など小数点以下の無限の数字を象徴しています。これは別な作家数人とコラボ作品を作り合う企画の中から生まれた作品だったのですが。結局、私の特徴と言われる「虹のような形」も、このような「無限」を求めているのかもしれません。


「有限の中の無限」
    

「有限の中の無限」


:つながっていますね。
:この世ではあらゆるものに限りがある。でも私たちは「無限の命」や「無限の喜び」「無限の平和」等を心のどこかで欲しがっている。そうしたことへの「期待の形」ともいえます。

  

 

  
Copyright © 2010- Eitaroh Miyajima. All Rights Reserved.