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☆ 未来へのミラー ☆      宮島永太良

人の記憶は定かではありません。 宮島永太良がこれまで歩んで来た道のりを思いを込めてほんの少し振り返っています…

第16回 バブルから遠く離れて…

小田原の生家

 美大のデザイン科をめざし、デッサンやデザイン画の勉強を続けていたが、次第に周りからいろいろな情報が入って来るようになる。  「本当に美大を目指すのなら、町中の小さな研究所に通っていても刺激にもならない。  マンモス予備校に行かねば」といったように。  研究所の先生にもことの次第を聞いてみたところ「夏期講習など、試しにマンモス予備校に行ってみるのはよいが、自信を無くして帰ってくる受験生も多い」ということだった。  迷いながらも、やはり他の受験生の状況も見てみたく、夏休み等に二ヶ所ほどの大手予備校美術科に行ってみた。  どこもだいたいは、デッサンの勉強がメイン。  最後に必ずデッサン作品の品評会があるのだが、私の作品はどこでも散々な評価が下された。

小田原城

 ある生徒が講師から「こんなのを描いているようでは、望みはない」と散々言われ、その次の私は「もっとひどい」と言われる。  そのたびにショックを受けたものだ。  そして次第に、美大受験などやめようかという気持ちになり、先生の忠告は、そのまま自分に跳ね返ってきてしまった。  後に、いろいろな人から聞いたことだが、こうした美大予備校では「合格しやすいデッサン」を教えているという。  もともと個性的な画風を持っている人でも修正されてしまうのだ。  予備校側としても、自校から芸大や美大への合格者を多く出したいはずだ。  そんな状況下で、個性ある作風を抹消されてしまう受験生もいるのかと思うと、どこか虚しい美術界だ。

 ちなみに、浪人となっていたこの頃は、世間はバブル真っ盛りの時代であった。  世間の若者の中にはバブルの波に乗って遊び歩いていた者も多かっただろう。  特に同級生は大学生になっている者が多かったので、そうした遊びに長けた友人もいたのではあろうが、立場上私は、逆にひきこもっている状態だった。  そもそも当時の私は、今がバブル時代などということもあまり意識していなかった。  それほど関係がなく関心もないことだったのかもしれない。

ドラムセット

 しかしながらテレビ等を通じて、そうしたバブリーな、浮かれた雰囲気が、よく垣間見られた。  この頃はテレビも執拗に軽いノリのものが多く、お笑いがテレビの中心になり、バラエティ番組が急増して行く頃でもあった。  ドラマでもさえもバラエティ化していた記憶がある。  「タモリ、ビートたけし、明石家さんま」が「お笑いビッグ3」と呼ばれ、その他にも人気のお笑いタレントが連日テレビに出ていたが、今や大御所となっているタレント(ダウンタウン等)も、この頃はまだ新人扱いであった。  お笑いタレントの地位も急に高くなり、子供も「将来はお笑いタレントになりたい」等と、それまででは考えられなかったことを言うようになった。

 私も、時折お笑いのテレビは楽しみながらも、こうした軽いノリがはばかる社会はいかがなものか、とも思ってはいたが、以前からファンであったタモリさんには注目した。  「笑っていいとも」は32年続いた長寿番組となったが、この頃、既にかなり長く続いている番組だった。  (実際にはこの倍以上続くのだが)正午に番組が始まると、「ああ、今日も生きていて良かった」と感じるのが、数あるテレビ番組の中でも超越している感があったが、タモリさん本人はそれ以上に超越した芸能人(もしくは人間)と感じた。  この頃の氏は、かつてのようなハナモゲラ語などの芸はやらなくなっていたが、フリートークの才人としての地位が確立した頃であり、ステージの上も下もあまり変わらない話術が大好きだった。  その数10年後、タモリさんが関係しているライブハウスで個展を開催させてもらうようになることを考えると、この時の気持ちは天の声だったのかもしれない。

客船

 また、そうした全国ネットのテレビ局と一線を画していて好きだったのは、少しそれらと違う道を歩んでいるテレビ神奈川(TVK)だった。  そこでは当時バブルの象徴ともなったディスコの様子を中継したり、突然交通安全コーナーをやったり、新車情報番組や、素人のカラオケ番組など、それは、それはバラエティに富んでおり、受験で疲れ、講習で落ち込んだ心身を癒し続けてくれた。  またTVKは場所柄、横浜の風景をよく流していたが、私にとって、それはユートピアの世界のように思えた。  あれから数10年後、このテレビ局に、マルタとともにお世話になることを考えると、この時の気持ちもやはり天の声だったのかもしれない 。  実際の横浜にも予備校の講習などで何度か通ったが、不思議とここに来ると「受験など恐れることはない」と思えるパワーをもらえるのだった。

 しかしながら、現実の受験世界は厳しく、私のさらなる迷いは続いて行くことになる。

(写真:関 幸貴) 
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