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宮島永太良、八木哲雄さんと「三渓園」で語る♪


八木哲雄さんと宮島

◎八木哲雄(やぎてつお)さんプロフィール

八木哲雄 さんspace
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1948年7月8日、群馬県前橋市生まれ、蟹座、B型。
1966年 前橋工業高校建築科卒業。
以後、建築業界で働き、3年前に第一線を退く。
現在は、月2〜3回、横浜にある*三渓園でボランティア・ガイドを務める。

*三渓園(さんけいえん):
明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家 / 原三渓(本名 富太郎)さんが、東京湾に面した“三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造りあげた、広さ53,000坪の日本庭園。
詳しくは、http://www.sankeien.or.jp/ ► へ。

 

宮島永太良、八木哲雄さんと三渓園で「庭」について語る…

三渓園の紅葉

宮島永太良(以後・M):
『花畑の庭』と言うタイトルで作品にもしましたが、私が生まれて初めて庭を意識したのは、最近解体された小田原の自宅でした。  南に向かって左右に和風と洋風に造られ、和風側には森を彷彿させる木立や、私が勝手に『ピュー』と名付けた石灯籠があり、子どもながらに頭の中でイメージを膨らませ興味津々で庭を眺めていたものです。  今日、八木さんのガイドで、案内していただいた三渓園を巡りながら、その庭を思い出していました。  ところで、八木さんは建築のお仕事をされていたとか、その関連で庭に興味を?
八木哲雄さん(以後・Y):
私が建築の世界に進んだのは、小さい頃から絵を描くのが好きで、高校への進路相談時、中学の担任に『先生、高校で絵が描けるところはありませんか?』と、質問したら『工業高校の建築科なら絵が描ける』と返事。  そして高校卒業後、18歳で現場監督として建築業界へ飛び込み、仕事の関係から庭に興味を持つ様になりました。

三渓園

M :私立大学の建築科へ進んだ同級生がいましたが、彼はあまり絵が得意ではなかったので、もう時効だとは思いますが、課題を私が代わりに描き、学校へ提出したこともありました。  だから、建築家が絵を描くのは知っていましたし、何故か設計図が小田原の自宅にあり、子どもの頃に、それをヒントに建築物と庭の組み合せで描いたこともありました。  ささやかな私の経験ですが、八木さんに共感ができます。
Y :私が建物も含めて庭の勉強をし始めたのは業界に入って5年後、仕事で初めて京都へ行った時でした。  色々なお寺を巡りましたが、私が最も惹かれたのは、「石庭」で有名な「龍安寺」です。  石庭の広さは75坪で、25mプールとほぼ同じ大きさですが、実際はそれより広く見えます。  理由は庭を囲む土塀にあり、庭の奥に行くほど塀の高さが低くなっているのです。  高低差は最大50cm。  手前側は高く、奥は低くするという技、遠近法を用いてより広く見せているのです。  いや〜、素晴らしい人の知恵に心から驚きました。

紅葉

M :庭とは違いますが、鎌倉の鶴岡八幡宮の若宮大路でも段葛(だんかずら)と呼ばれる遠近法を用い、実際の距離より長く見える様にしていると聞きます。  それから、龍安寺は私にとっても京都で一番好きなお寺。  枯山水の石庭は、宇宙さえ表現していると言われていますね。
Y :確かに普通では考えられないこと、キラビヤカな表現とは違いますが、本当に定まった空間で小さな世界を展開している京都の古い建築や庭は素晴らしい。  あと、豊臣秀吉の正室 / 北政所が造った「高台寺」の庭の手入れ法にも驚かされました。

M :どの様に?
Y :年々、庭木が成長して大きくなると庭のバランスが崩れてしまう。  高台寺では、それでは具合が悪いので、『みな切ってしまう』と言われたので、さらに念を押したら、『切って植え直す』と返事されました。  そうした方法もあるのだと、私はただただ驚きました。

三渓園聴秋閣

M :独自のやり方ですね。  しかし、今日改めて三渓園を見学して思いましたが、ここは日本三名園と言われる金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園に勝るとは言え、劣ることはありませんね。
Y :四国香川県の高松にあり面積が日本一と思える程広い栗林公園を始め、日本各地の庭園を巡りましたが、それぞれに魅力を感じます。  この三渓園にしても四季折々だけではなく、一週間経つと光景は変化。  また、一日の中でも、午前と午後、時間の経過に伴い光景で変化して行くのが、6年近くしているボランティア・ガイドのお陰で分かる様になりました。

M :留まる回数が多いことで、分かることがあると言うことは、『庭=生き物』みたいな感覚でしょうか?
Y :そうとも言えます。

M :植物の成長具合だけでなく、太陽光線の違いで、さぞや美しい光景に出会えるでしょうね。
Y :三渓園を造った原三渓さんは、ご自分でも絵が好きで、相当な枚数を描いています。  そして、そう言う目で自然界を見ているから、庭内でも微妙な部分に手を加えて反応しているのが、私にも分かることが多々あり、『おっ、凄いな!』と思う発見があります。

M :ご自分で描くことで、そう言う目を持ってしまったのかもしれませんが、三渓さんは凄いだけでは、収まらない方ですね。
Y :三渓さんが、明治39年に個人で三渓園を開園した時、現在の外苑を無料で一般に開放したそうです。  本当に尊敬ができ素晴らしい方です。

M :そうですか。  庭だけでなく、三渓さん個人にも興味が湧いてきました(笑)。

八木哲雄さんと宮島

次号に続く…

(文・写真 関 幸貴)
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