☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆ 宮島永太良
このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。
〇 光陰矢のごとし
「光陰矢の如し」。 有名な中国の故事諺である。 「時が経つのは、矢が進むかのように早い」 という意味なのは、言うまでもないだろう。
「本当に一年経つのは早いねえ」など、 年が押し迫ってくるとよく耳にする言葉だ。 しかもその言葉は喜びを表しているのでなく、逆に「虚しさ」などを表しているニュアンスが多いように思える。 確かに、この間正月だったのに、もう一年が行ってしまうというのは、あっけないものである。
よく、暇な時間は長く感じるけれど、忙しい時間はすぐに過ぎていってしまう、ということが言われている。 しかしこれは、その「現時点」で感じることであり、 後から振り返ってみると、逆に暇だった時間の方が、より短く過ぎてしまったように感じないだろうか。 少なくとも私はそういう感想を持っている。
たとえばある月の月末を迎えた時「今月は長かったなあ」と思ったら、 その月は充実していたことになるし、「今月は短かったなあ」と思ったら、その月はあまり中身がなかったことになる。 どちらが良いかは、人それぞれなのだが、私はやはり前者に満足感を覚える。
私もその昔、昼と夜が逆転してしまっていた時期があった。 夜に目が覚めて、朝になると眠くなり、午後に起きる日も珍しくなかった。 後から思うと、あの約半年間くらいは、本当にあっという間だったように思う。 もちろん、その当時は眠れない夜が大変長く感じられたのだが。
余談だが、昼間ずっと起きていても「時間が長い、暇だ」などと思わないのに、夜起きているとそう感じてしまうのは不思議なものである。 やはり周りが相手にしてくれないからだろうか。 (人は寝てしまうし、店は閉まってしまうし・・・)
後から振り返って、長い一年だったと思えたら、その分、寿命も長くなったように思うのかもしれない。
「光陰矢のごとし」。 確かに早く行ってしまう時間だが、そこに充実感があるかないかでは その時間の重さも違うことだろう。 しかしこれは私の勝手な想像だが「矢のごとし」という言葉に、もう一つの意味が隠されているようでならない。
月日の早さ(速さ)を言い表していることはもちろんだが、 矢というのは、もともと的を絞って当てるものだ。 うまく狙えば「的中」なのだが、狙いが不確かだと外してしまう。
充実感のある時を過ごすことはもちろん良いことなのだが、本来の目的からそれた矢の動きであれば、人生の最後、またはそんなに最後を待つまでもなく、ある節目の時などになって、「こんなはずじゃなかった」 「全く的外れだった」という結果に終わって しまうこともあり得るだろう。
「光陰矢のごとし」とは、その速さ(早さ)に惑わされないと同時に、狙いもある程度定めなさい。
と、そんなことを言っているようにも思えてくる。
宮島永太良