7月6日、オープン当日のマルタハウスで宮島永太良に寿ショートインタビュー♪
大阪にニュータイプのギャラリー「マルタハウス」を作る話は、今年の初めからありました。 イザ、こうして出来上がった内装を見ると、自然に微笑みがこぼれ、心が踊ります。 今夜、初公開されるこのスペースも何もない状態から知っていましたが、こんなに明るく開放的になるとは予想もしていませんでした。 良い方向に期待を裏切られました感じです。 気軽に多くの方に遊びに来ていただきたいです。 お待ちしています(笑)。
それから、今日を機に、ここを西日本の拠点とし、色々な方々と、これまで以上にコミュニケーションを深め、東京とは違う意味の刺激を得、制作分野でも新たな挑戦して行きたいです。 以前から、個人的にも関西に縁があり、大阪や京都の雰囲気は親しみやすくて好きでした。 だから、東京だけでなく、大阪が、私の情報や作品の発信地になっても良いかもしれないとも考えています。 また、原画だけでなく、これまで以上に版画やグッズの販売にも力を注いで行きたいです。 グッズの新製品も開発中ですから、今以上に見ていただく楽しみも広がると思います。
是非、関西へお越しの際は、大阪駅前の明るいマルタハウスを覗いてください。 東京とは違う表情のマルタが見られることをお約束します。
どうぞ宜しくお願いいたします♪
▲『信楽焼の自作品を手に!』▲
陶芸家 勝尾龍彦さん登場
◎勝尾龍彦さんプロフィール
本名:勝尾 龍彦(かつお たつひこ) 京都府京都市出身。 1971年12月27日生まれ、 山羊座、A型。 祖父の代から続く信楽焼陶芸家。 宮島永太良 / 陶芸作品の制作協力者。 ■ Official site ≫ |
陶芸家 勝尾龍彦さんにインタビュー♪
編集部(以下Q):
最初に陶芸の道へ進んだ経緯をお聞かせください?
勝尾龍彦さん(以下A):
私は日本六古窯のひとつ信楽焼の3代目になります。 生まれた時から陶芸に囲まれた環境だったので、この道を進むと自然に決めていました。
Q :現実的には、何時頃から焼き物と向き合っていますか?
A :小学生です。10歳頃から学校を休んで窯炊きしていました。
Q :では、経験30年の以上ですね。
A :はい。 現在の窯の主流は電気やガスですが、ウチは『登り窯』と、桃山時代からの方法『穴窯』もあり、薪でも炊いています。
その時は大変な作業量で、祖父を筆頭に職人全員で行っていました。
そんな状況でしたから、私も学校を休まされて、皆に加わっていました。
Q :どんな事をしていたのですか?
A :私は温度計を見なくても窯の音と火の色を見たら、薪を入れるか入れないのかが、分かるぐらい窯の火加減を調節できたので、オトナが疲れ切っている時に窯炊きの番をしていまいした。
Q :その能力は、どの様に体得したのですか?
A :子どもはたき火等の火遊びが好き。
だから、興味が増したのかもしれませんが、小学生ながら窯のスケッチや作業の要領についてノートに書き留めていました。
でも、本当の所、小学校の卒業文集に夢は『陶芸家』と書く程、陶芸が好きだったからだと思います。
ロクロもすぐに出来る様になりました(笑)。
Q :修業は大変だと思いますが、どのようにされて来たのですか?
A :違う癖が付くので他所で修業をしたことはありません。
技術的なことは父の勝尾青龍洞から直接指導を受け、感覚的な面では20歳ぐらいからお茶花、お茶の先生に付き、現在もご指導を仰いでいます。
Q :何故、お茶花やお茶を?
A :陶芸作品は和食器が主。 茶陶を作るにはお茶に通じていることが大切なのです。
そのためにお茶やお花の稽古は、日本人の心を知り、触れる意味でも欠かせません。
Q :稽古はいかがですか?
A :奥深い世界。勧められて始めたので、当初は作法に慣れるまでは大変でした。
しかし、習い事の本質に触れ、落ち着いて見られる様になると、人の手の内、制限のある茶碗の扱い方を幾重にも体感。
結果、制作の視点が定まり、独自表現が膨らんで行くのを感じます。
つまり、伝統を糧として学び、新しい次の時代を見定めているのかもしれません。
Q :話題は飛びますが、現時点での陶芸との関わりについてお話ください?
A :現在、自分で作りたいと思って技術的にできないものはありません。 カタチはできますが、その先の感覚が重要になります。
Q :その先?
A :言葉にするのは難しいけれど、陶器に必要なのは間合いです。
器全体のバランスを見て、線1本を入れるにしても、ここと言う場所があります。
それが調子の善し悪しで変化する。 それでは良くないので見極める目が大切になります。
Q :目を養うには?
A :お茶花、お茶に代表される様に他所から学ぶことです。
日常的に私は、どうしたら良いのかを考えるために古いものを見ます。
お陰さまでお茶会でも道具に触れる機会があるのは幸せなことです。
そこで得た新たな感覚を自分のフィルターを通して積み上げ研磨し、常に感覚は技術をリードして行かなければならないと思っています。
Q :陶芸は楽しいですか?
A :そうですね。 ただ孤独な仕事ですから、個展で多くの人に見ていただく時は、その反響が楽しみです。
Q :個展のエピソードをお願いします。
A :恵まれたことに25歳から個展はしていますが、確か28歳ぐらいの時でした。
多くのお客様が作品を見て、『ここは厚くした方は良い、薄く…』と、ご自分の意見を言うので、若かった私は何を作ったら良いか分からなくなりました。
そして、制作時にその言葉が蘇り皆に波長を合わせようとしたのですが、これが悩みの元でした。
暗中模索、色々考えましたが、30歳過ぎに自分で出せるのはこれしかないと決めたら、嘘の様に霧が急に晴れました。
しかし、これも若いうち言われて悩んだお陰、皆様には感謝しています。
自分で言うのも変ですが、悩んで期間に感覚も良くなる感じがして、それ以降は迷いもなくなり統一感が出た気がします。
Q :龍彦さんのカタチができた?
A :半信半疑ではなく自信を持って作れる気がしました。
だから、それ以降は反響が楽しみです。
『いいな〜』の声も以前より増え、皆様の優しい支持を実感します。
ただ、それに満足することなく日々精進して行かなくてはと考えています。
毎年、新宿の柿傳ギャラリーで個展を開催しているのですが、近年、そこへ顧問で入られた陶芸評論の第一人者・林屋晴三先生との出会いもあり、折りに触れて色々とご指導をいただいているので、作品制作の楽しみが広がりました
Q :出会いと言えば、陶器の制作協力している宮島永太良さんの最初の印象は?
A :人を介してお会いしましたが、優しくて真面目な印象を受けました。
そして、この方だったら、お付き合いできるなと思いました。
最初から絵と陶器のコラボレーションが出来たら楽しいと考えていましたが、今回の試みは、こちらが用意した器に宮島さんに描いていただいただけで、私の主張も出ていないので制作協力だけ。
宮島作品を立体的な陶器にしただけでコラボはまだまだです。
二人とも初めてのことなので基礎作りの段階です。
Q :今回の試みは何時頃からありましたか?
A :今年1月からです。
Q :宮島さんが描いたのは何度?
A :2度、20点ほどで、サイズ違いの白いベースのお皿等に描かれました。
Q :何時頃出来上がりますか?
A :パリの個展に間に合う様に9月には全作品を完成予定です。
Q :最後に宮島作品の感想をお聞かせください。
A :宮島作品はカラフルで明るく、私とは雰囲気が全く違うので、新鮮でした。
そして、絵を立体にどう表現させるのか興味がありました。
しかし、初めての挑戦なので様子を伺う感じです。
ただ、今回の出来上がりに関しては、現在の宮島作品に近い陶器と考えました。
将来的にこれまでと違う表現をふたりで出来ればと思いますし、それができる状況になれば面白いですね。
そのために宮島永太良さんとはお付き合いを重ねて行きたいです。
ありがとうございました。