☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆ 文 宮島永太良
このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。
〇 命あっての物種
どんなことでも、生きているからこそ、命が無事だからこそ成し遂げられる、という意味で言われる。 しかし、命と肉体の存在をよく考えると「肉体あっての物種」あるいは「肉体に命あっての物種」と言う方が、意味が通るような気がするのだ。
魂(=命)という、もともと形のないものは、肉体という形ある物体に宿ることにより、初めて人間、あるいは動物となって存在することができる。 語弊はあるが、簡単に言ってしまえば肉体は「生きている人間」を実現できる唯一の容器のようなものだ。
その容器である肉体が何らかの形で破損してしまえば、魂は宿ることが困難となり、破損がひどければ魂は抜けていってしまう。 悲しいが、これがいわゆる「死」である。 この「肉体の何らかの破損」とは、病原菌に蝕まれるとか、血液が全部抜けてしまうとか、首が取れてしまうとか、そういうことである。 腕や脚が取れたとしても、それはまだ魂が抜けていかないでいられる程度の破損であろう。
私たちはこうした状態にならないため、日々努力しているようなものだ。 もちろん、病気をしない、ケガをしない、というように気をつけることもそうであるが、食べていかなければいけないから働く、というのもその努力のうちだろう。 食べていかなければ死んでしまうのだから。
人間としてこの世に生きているということは、一言で言って、この肉体との戦いではないだろうか。 その肉体との戦いには二種類あると思う。一つは、病気やケガとの戦い。 もう一つは誘惑との戦いだ。
病気や怪我との戦いというのは先に述べたように、病気にならないように、怪我をしないように日々用心すること、またなってしまったらそれを回復させるための闘病などである。
もう一つの誘惑との戦いというのは、いわゆる男性が好むと言われている「飲む・打つ・買う」に代表されるような欲望との戦いだ。 なぜ欲望と闘わなくてはならないのか。 それは欲望が高じると、結果的に、個人のこの世で唯一の宝である肉体を結果的に滅ぼしてしまいかねないからである。 それは病気や怪我を患うのと同じになってしまうのだ。 最もわかりやすい例は酒やタバコ。 採りすぎれば病気を誘発するのは言うまでもない。
果たして私たちはこの世での生を全うし、天国に行った時、それらの戦いから解放されるものなのだろうか。 それは死んだ後でないとわからないだろう。 この世での営みを成就していくには、「命あっての物種=肉体あっての物種」という心構えを忘れないことが大事だろう。
宮島永太良