Road : つれtakeロード
多摩川で異空間…
今回のつれtakeロードは、東京都と神奈川県の間を流れる多摩川の河川敷をレポートする。
新型コロナウイルス感染防止による、全国の緊急事態宣言が解除されてから3ヶ月、街にはようやく人の流れが戻ったようだが、現実には緊急事態宣言中を上回る感染者が毎日出ているようだ。また各都道府県では独自に緊急事態宣言を再び発した所もある。あるいは検査の数が増えたことも、感染者の増加(発見)につながっているのかもしれないが、陽性率も上がっていることを考えると心配は続かざるをえない。
そんな中での人々が日常に戻って行く過程は心配でもあるが、過去の何ヶ月かの経験で「この行動なら感染しない」「この場所なら大丈夫」という感覚がわかってきたというのも一方であるだろう。とにかく引き続き「三密」を避けること、この注意が当分続くことになるのは致し方ないようだ。
そういうわけで「三密」が限りなく起こりにくい場所の一つが、多摩川をはじめとした河川敷ではないかと思う。この界隈には地形を利用した運動場、ゴルフ競技場などがあるが、屋外の広い場所でそれぞれが運動に励むのは、緊急事態宣言中でも唯一の運動不足解消の場所となり得ただろう。ジョギングやマラソンの練習をしている人も、老若男女問わず多く見かける。ただ、この日は晴れていたが、雨が降り、水かさが増した時にはグランドもゴルフ場も水の下になっているだろうことを想像するとミステリーだ。
昔から、川というのはあらゆる行政単位の「境」」になることが多い。都道府県に市町村、「この川を越えたら○○県だよ」「この川を越えたら○○市だよ」等というのはよく耳にする。この多摩川も、下流では東京都の大田区、世田谷区と神奈川県の川崎市の間を流れている。というか、逆に多摩川を境にそう設定されたという方が正しいだろう。そんなことから、一方の岸からは川を挟んで隣県(隣都)がよく見えるという不思議な世界観を味わえる。
川といえば橋の存在も忘れられない。今回レポートした地では、丸子橋という橋が有名だ。中原街道を渡しているこの橋は、水色の二つのアーチが特徴で、「かながわの橋百選」にも指定されている。歴史は古く、1934年(昭和9年)の建設というが、今の橋になったのは2000年(平成12年)のことである。それ以降は、アザラシのタマちゃんが出現し、見物客で賑わったことでも知られる。また宮島個人にとっては、出生地にゆかりのあるタレントが、数年前この橋から飛び降りて命を絶ったのは辛い記憶だ。喜びも悲しみも見据えながら、今も昔もこの橋は人や車を渡してきた。
またこの丸子橋に沿うように、JRの鉄道橋(東海道新幹線、東海道在来線)、東急電鉄の鉄道橋も走っている。ふだん電車から何気なく眺めている風景が「ここだったか!」といった、ちょっとした感動も味わえる。
河川敷というと簡易的な公園もあちこちに見える。中には子供用のブランコやすべり台など遊具が備わっている所もある。昨今、コロナ対策により公園の遊具が使用禁止になるという事態も起こったが、この川の近くなら、そんな様子とは縁遠い感じもするのが不思議である。やはり子供には遊具で遊んでほしいと誰もが思うことだろう。
スポーツの中でもとりわけアマチュア参加者が多いのか、ゴルフ場、ゴルフ練習場はたいていの川沿いに存在する。この丸子橋付近も、東京側に一つ、川崎側に一つあり、川崎側にはさらにショートコースまで設置されている。宮島も東京側の練習場に参加してみたが、この広大な空間に向けて球を打つ感触は爽快であり、ついついコロナ禍のことなど忘れてしまいそうだ。川沿いを走る人たちも、おそらく同じ心境だろう。「苦しい時には体を動かす」ことの効用が、この場所に来ると感じられる。
コロナ禍で旅行に行くこともままならず、日常に飽きている人も多いかもしれない。しかしこうした川の周辺に来ると、水の効果もあってか、どこかリフレッシュしてくれるような、小旅行につれて来てくれているような感覚をおぼえる。今のような時期はぜひこの場所に赴いて、ちょっとした異空間を味わってほしい。
(文・写真 宮島永太良)