TOPFriends : 友達

Friends : 友達

Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎月、ショートインタビュー、コメント、活動予定をお伝えします。
 

ロコ・サトシさん緊急インタビュー!

ロコ・サトシさん

ロコ・サトシさんプロフィール
愛媛県宇和島市生まれ。横浜在住。
1970年代後半から桜木町の高架下で壁画を描き始めた日本ウォールペイントの草分け的存在。
1989年の横浜博覧会では最大級パビリオンのペイントを行う。以後、自身の制作活動と同時に子ども向けワークショップや絵本の執筆など、アートで多岐にわたる活動を展開し続けている。1989年から5〜6年間、日米を往復しながら制作活動を行い、アメリカ西海岸サンディエゴのバルボアパーク・カルチャーセンターにはロコさんの作品が数多く残され、2018〜19年には現地で個展開催。2013年から個人活動に加え、横浜をベースにしたアーティストグループ「ArtQ」を主宰。2018年で画業40年を迎え、現在も精力的に活動中。

 

コロナウィルスで揺れ動く今をロコ・サトシさんが語った…

今はコロナウィルスで大変だけど、こうなる前に俺が関わっていたいくつかのイベントを無事に終えることができて何よりだった。しかし「大岡川の桜まつり」も中止になったし、他のイベントがなくなったりして世の中の動きが停滞縮小しているのは事実。そんな現状だから、クライアントであるイベント会社や企画会社もほぼ休止状態、例年なら春のイベントのために描く依頼が俺にある頃だけど、それもなく、この調子で行けば仕事は減るのは避けられない。とは言っても、こうしたピンチの時こそ落ち込んじゃダメだと思う。子どもの頃から、数多くの危機的状況に直面して来た俺が言うんだから間違いない。

ロコ・サトシさん

まぁ、振り返ってみると我ながら凄い人生ですよ。6〜7歳で愛媛県宇和島市から上京して、当時はメキシコみたいだった蒲田に移り住んだ。この頃、同じアパートだった画家志望の若くて目のキレイな片腕の紙芝居屋さんと知り合い、描くことで遊んでもらっているうちに俺の中にあった遺伝子が本格的に目覚め、絵を描き始めてしまった。これが人生を決定付けたのかもしれないな。でも、その後に人生最初の一大危機が訪れたんだ。小二か小三の初夏だったと思うけれど父と母が相次いで家出、信じられないかもしれないけれど俺はアパートの部屋にたった一人残され、最初の1週間はただただ泣いて暮らした。でも、いくら泣いてもどうにもならないことは分かったし、ふと腹がとても減ったことに気がついたんだ。

作品とロコ・サトシさん

そんな時、部屋に給食のパンを持って訪ねて来た苦労人の同級生に同情され、彼の家でご飯をご馳走になったり、彼の兄弟たちと屑鉄を集めて業者に売ったり、また乾物屋さんを営むアパートの大家さんが良い人で、店の手伝いをするとご飯を食べさせてくれ、お風呂にも連れて行ってくれたんだ。そうした周囲の人のお陰で小学校低学年の俺はなんとか一人で生活できたんだと思うよ。ただ、アパートの共同炊事場でよその家のおかずを盗み食いした時は、オバサンからかなり叱られたな(笑)。でもさ、普通の絵描きは室内で描くことが多いけれど、俺の場合は外で描くことが多くて皆の協力が必要になるから、あの時の経験が今もかなり役立っているんだ。

ロコ・サトシさん

その後、父や母は戻って来たけれど安住とは無縁。夜の引越しも何度かあり、両親は出たり入ったりで親子3人それぞれが勝手に生活していたから、中学を卒業したら俺は働く気だったんだ。ところが、品川のスケートリンクでアルバイトしていた俺のスケートの才能に目をつけた私立高校の関係者が、創設するアイスホッケー部へ俺を入れるため特待生として招いてくれたんだ。だけど、うまい話はそう続かずホッケー部設立は1年先になったのでフィギュアへ(笑)。当然のように俺の居場所はなくなり、学校へも行かなくなって中退。それを見ていた中学時代の3名の恩師がとても心配してくれ、違う高校への進学を勧めてくれたんだ。そこは東京都立駒場高等学校芸術科、美術科は定員20名の狭き門、確か競争率は20~30倍だった。入学試験の実技は問題なくても学科は自分でも無理だと思うから何度も断ったんだけど、先生たちが熱心に勧めてくれたのに加えて中学時代に憧れた同級生が勉強を手伝ってくれると言うので受験を決めた。それからの数ヶ月間は必死になって勉強したよ。後から聞いたら、受験を勧めてくれた恩師全員が口を揃えて「絶対落ちる」と思っていたそうだけど、奇跡的に合格。学生運動はなやかなりし頃で高校でも色々あったけれど、なんとか卒業できた。

ロコ・サトシさん

こんな感じで各世代にわたって話しきれない俺のエピソードはまだまだあるけれど、危機的状況を迎えても人生の指針は自分で決めなくちゃいけないと思う。ましてアーティストの人生の8〜9割はヤバいよ。でも、ピンチをチャンスに変えるのがアートの力の醍醐味。1970年代後半、俺だって四畳半の中で描いていてもしょうがないと思って桜木町のガード下で描き始め、それをTBSがドキュメンタリー番組にして放映、その縁で横浜市から仕事を依頼され今につながっている。アートってさ、失敗しても怪我しないし、アイデア次第で年齢性別に関係なくチャンスは何処にでもある。だから状況が悪い時は落ち込まず静かに考えながら爪を研ぎ、好機をのがさない態勢にしているのが一番だと思う。だから、俺はこれから仕事場に籠もります(笑)。

 

(構成・撮影 世紀工房)

 

「政岡玄ちゃんの音楽便り」第56回

みなさん、お元気ですか?
玄です♪

今年のはじめから言い続けて、いろいろありまして、
しばし長引いてしまいましたが、

ついに、新たな【世界配信音源🌏🎶】
【G・CLOVERU】3曲世界配信始まりました🌈🎶
1.《風に吹かれて》
2.《All needs you love》
3.《世界の果て》

【風に吹かれて】
3.11震災の時、仲間と助けあったこと。
歌いに行ったことを きっかけに、
豪雨災害での、災害ボランティア活動の経験なども通して、
いく年、月日を かけて出来た、希望へ向けての歌。
【All needs you love】
映画、ドラマなどのワンシーンをイメージした、
いつまでも想い続けるLove Song♪
【世界の果て】
この歌を作るきっかけは、
シンガー・ソングライター仲間、高間啓ニとの急な別れ。
天国へ旅立ち、仲間たちと追悼Liveをした時のこと。
二人の娘さん、幼い次女から「パパは、いつ歌いに来るの?」
と、言葉を失いそうになり衝撃で、涙腺が崩壊しそうになった。
そして、大切な人達、ニュースで見る突然な別れなど、
何故この世に生まれて来て出会ったのか、
自問自答しながら出来た“玄Blues Song”
玄のLove&Peace魂を是非ぜひ聴いてください!
Spotify/Apple music/Line Music/iTunes musicなどでも聴けます♪
☆Spotify(アプリ)から、無料で、MP3音源での試聴も出来ます


玄ちゃん

*世界配信ジャケット写真

☆【政岡玄☆Music】
☆世界243ヶ国配信♪→http://masagen.amebaownd.com/pages/1246468/blog

◇政岡玄の水辺タイム♪》 生中継でお届けしていきます!
(毎月“最終水曜日”19:30〜20:00放送予定)
“水辺ミュージシャン☆政岡玄”
《水辺の楽しい情報や、水辺クイズ》🛶
みなさんと一緒に《水辺タイム♪》楽しんでいけたら幸いです!
web
☆HP→http://www.gencrs.com

Love&Peace♪♪(^-^)v

【政岡玄】


(文・写真提供 政岡玄)

Copyright © 2010- Eitaroh Miyajima. All Rights Reserved.