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築地市場

 今回、宮島永太良が訪れたのは、市場の移転で目下注目の場所となっている東京都中央区築地。 1935年(昭和10年)から83年間存在した市場の豊洲移転が決まり、解体されることになった築地市場。 宮島が訪れたのはまさに解体工事がはじまる直前の10月8日であり、街全体が慌ただしい様相を見せていたと同時に、緊張感ある活気に満ちていた。

築地「本願寺」

 また、築地といえば市場と並んで「本願寺」が名所だ。 まずはここで参拝。 この日も外国人観光客の姿が目立つ。 江戸時代初期、京都・西本願寺の別院として、もともと日本橋の地に建立されたが、明暦の大火での類焼後、当時の諸事情により移転せざるを得なくなったという。 そのため、埋め立て地として幕府から与えられたのがこの築地ということなので、まさに本願寺あっての築地と言えるだろうか。 古代インド様式をモチーフとした鉄筋コンクリート制の本堂は、いわゆる日本の「お寺」のイメージとは遠いが、仏教を世界的に見た場合、むしろ象徴的な建築といえるのだろう。 有名人の葬儀が執り行われることでも有名なこの寺院。 近年では宮島もファンであった歌舞伎の十八代目中村勘三郎氏もここで弔われた。 享年57歳。 その早世は今も惜しまれる。

築地「本願寺」の鉄筋コンクリート制の本堂

 参拝後はいよいよ市場方面に向かう。築地市場はいうまでもなく東京最大の市場であるが、魚貝類などの水産物のみならず、野菜・果物、鳥卵なども扱われていることも、この市場の規模の大きさをあらわしている。 この市場は上から見ると半円のような形をしているのが特徴的だが、それには理由があった。 かつてJRが国鉄だった時代、国鉄東京市場駅というのがあった。 その線路が市場の建物に平行していて、そこへ鮮魚貨物列車などが乗り入れていたという。 やがて輸送法がトラック等へ取って代わるようになり、駅と線路は廃止されるが、現在でも線路跡通りがあり、踏切警報器等が残されている。

築地市場入口

 この築地市場は、市場本体である「場内」と、外にある一般客向けの商店・飲食店街からなる「場外」で構成されている。 宮島はこれまで築地界隈にあまり深く入り込んだことはなかった。 そのため場内には一回も入ったことがないのは残念だったが、場外には何度か訪れたことがあった。 特に新大橋通り沿いの「門跡通り商店街」には、昔から寿司や海鮮丼、あるいはラーメンの店まで並び、どれも「採れたて」の美味しさだったのは忘れられない。

もんぜき通り

 そして、今回ほぼ初めて、場外の中まで入り込んだ。 この場外は、場内が移転してもここに残るというから嬉しい。 魚をはじめ、貝やエビ、カニ、タコ、イカ、ウニ等、どれも新鮮な海産物を扱う店が軒をつらねる。 観光客の立ち寄り所としてもすっかりお馴染みになっている。 東京の中でも歴史を刻んだこの場所、実に味わい深い風格がある。 特徴的なのは、古い建物と新しい建物が混在しているところだ。 そしてなぜか独特な看板が並んでいるのも特徴だ。 真面目に作ったのか洒落で作ったのかわからないような屋号やも見ていて楽しい。

場外の商店街 場外の商店

 また近年はインバウンド需要にあわせ、外国人客が喜びそうな設えをしている店なども多い。 この日も、主にアジアからとも思われる外国人客でかなりにぎわっていた。 それ以上に日本人客が多いのももちろんだが。

外国人客用・・ 場外の専門店

 こうした市場街の中にひっそりと建つお寺は、ひと呼吸得るような存在感を示している。 漁業といえば、昔から神仏に祈ることも多い。 一つは生き物の殺生であることには変わりないので、魚介への鎮魂、感謝の祈りをささげること、もう一つは、海に出た漁師の無事の帰りを祈ること。 また魚籃観音などの仏像も昔からあるが、こちらはまた別な意味合いがあるようだ。

ひっそりと建つお寺

 この日は日程的にも緊張感、またそれに反動するかのような開放感とで混沌としていた。 築地市場正門の前を通りかかった人が「あ、〇〇がもうない!」等と言っているのを見ると、この場所に慣れ親しんだ人たちからしたら、場内移転を控え、もう徐々に変わっているのだろう。 また場外の中には場内とともに移転したり、あるいは閉店してしまう店もわずかにあるのだろうか、シャッターを閉めてしまった店、建物のほとんどが解体されている店もあるにはある。

場内

 場内が移転してしまう前にも、もっと来ていればよかったと思えてならない。 しかし、この移転を機会に、場外の魅力を知ることができたのは新たな楽しみの始まりだった。 83年の歴史が刻まれ、賑わい続けた市場の街。間もなく豊洲にも新たな市場の街ができるであろう。 そこは新しく、かなり綺麗になるかもしれないが、築地のような歴史を刻んだ市場街になるには、やはりあと80年待たなければならないのだろうか…

(文・写真 宮島永太良)

 
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