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月刊宮島永太良通信では、2023年9月更新号より 「ミュージアム」ページを新設。宮島永太良が代表理事を務める一般財団法人 健康とアートを結ぶ会 の活動状況を紹介させていただきます。よろしくお願い致します。

 

第1回「健康をめざすアート公募展」最優秀賞受賞者 吉澤幸子さんに
宮島永太良がインタビュー!

◇吉澤幸子(よしざわさちこ)さんプロフィール
1947:東京生まれ
1968:トキワ松学園女子美術短大(現:横浜美術大学)美学美術史科 卒業
2022:吉澤幸子展 〜青い海から、青い空へ〜 を京橋のギャラリイKで開催
2023:第1回 「健康をめざすアート公募展」作品「火傷」で最優秀賞受賞

 
ミーツギャラリー
 

宮島永太良(以後M):制作活動をされて、どのくらいになりますか。
吉澤幸子さん(以後Y):今から4年前(2019年)がはじめてです。アーティストの内海信彦先生と出会い、先生が早稲田大学で主催されている「ドロップアウト塾」から絵画研究会に内海信彦先生から、貴女のエネルギーを作品にして見てはとお誘い頂き初めて絵画を描き先生に見て頂きました。その後ギャラリーKでグループ展や新人展に参加したのですが、その時がはじめての作品制作になりました。

M:それ以前にアートに対する興味、いつか制作してみたい、というような思いはありましたか。
Y:実は私の通っていた高校は美術史に力を入れている学校で、私が卒業する時に、美術短大を作りました。その時の短大の修学旅行は、ヨーロッパの美術館鑑賞旅行でした。その頃から多くの古典的作品を見る機会はありました。また海外に初めて行き、日本に戻りたくないと思うほど、海外に憧れました。しかし作品制作に関する知識は全くなく、子供の頃から絵は下手と思っていました。まさか今頃、絵画を制作するようになるとは思ってもいませんでした。

 
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     最優秀賞受賞作品「火傷」 

M:その時制作されたのは、どのような作品だったのですか。
Y:自分の身体に墨を塗り、そのまま紙に体を和紙にぶつけました。その時は特に、胸の部分に墨をつけて強調しました。かつて死産して、しばらく母乳が溢れて悲しい経験をしました。

M:いわゆる「人拓」のような作品になると思いますが、現代美術の世界でも時々見ることがありますよね。
Y:はい。でもその当時は現代美術の基礎知識はほとんどありませんでした。個展の時も「これはイブクラインだね」と言われたのですが、その時は恥ずかしながら有名な作家の名前も知らず、あとで画集などで確認した有様でした。

M:今回の公募展もそのタイプの作品を出品され、最優秀賞を受賞されましたが、タイトルが「火傷」でした。「火傷」をテーマに選んだのはどういう経緯からですか。
Y:実は私の作品から、大道あやさんを連想された方がいたのが始まりです。大道さんといえば、「原爆の図」の作者・丸木位里さんの妹さんで、実際に広島で被爆されました。絵本作家であり綺麗で美しい絵がほとんどですが、90歳を過ぎてからほんの数点だけ原爆の絵を残しています。それから「原爆の体験とはどんなものだろうか」と考えるよになったのです。偶然、友達の家族で爆発事故にあい、大やけどをした方がいて、いかに火傷との戦いが悲惨で大変である事を身近で知りました。おそらく原爆はその比ではないだろう。そう思って、せめて自分が原爆で被爆した気持ちになって、はじめて背中に墨を、しかも衝撃をあらわす赤の墨を塗ってイメージを作ってみました。その中の1点が、今回公募展に出品したものです。額に入れると規定の出展サイズを超えてしまうため、額装をしていないものから選びました。

 
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M:吉澤さんにとって、世界で起こって来た悲劇、そしてその中に見る葛藤を昇華することで、現代を生きる人々へのメッセージを作品にしていると言えるでしょうね。ありがとうございました。

*作品写真は、東京都中央区京橋3-9-7 4F Gallery Kで撮影。

(撮影 関 幸貴)

 
 
 
 
 
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