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山北町

真夏の日も増す7月末、宮島永太良は神奈川県西部の山北町を訪れた。静岡県と山梨県に隣接するこの町は大半が丹沢山地に属する。神奈川県では箱根とともに、「山の町」としての印象が強い。

山北町

国府津と沼津の間を走る御殿場線の山北駅が町の中心の最寄り駅である。町全体の面積は224.70平方キロメートルで、神奈川県の市町村の中では横浜市、相模原市の次に広い(2007年に相模原市が近隣郡を吸収合併するまでは2番目だった)。
駅を降りると、かつての時代にタイムスリップしたかのような懐かしさがある。駅が南部にあり、そのため市街地もその地域に集中しているが、古い建物も結構多く残っているという印象だ。駅前からはミニバスも発車していて、町内の観光地を回っている。

山北町

宮島も出身地・小田原と近く、子供の頃や若い頃もたびたび訪れたことがある。しかし、同じ「山の町」である箱根より地味な存在で、小中学校の遠足の半分くらいが箱根だったのに比べると、この山北に遠足に来た記憶はないという。
「小田原の隣に箱根という便利な場所があったので、遠足にはよく利用されました。しかし学校側もちょっと視点を変えてくれれば、この山北をはじめ、もっと近隣のいろいろな場所に行けたのでは、と今になって思います」
ただ、家族のレジャーではよく訪れたことがあるという。南部市街地と遠くはない場所にある酒水の滝は、今は亡き祖父に連れてきてもらったことがある。その滝の水は、今や日本の名水100選に選ばれている。また町北部に位置する中川温泉にも両親と一緒に泊まった思い出がある。

山北町

「泊まった旅館がいのしし鍋(ぼたん鍋)を売りにしていて、食べたはいいが硬くて硬くてなかなか呑み込めなかった記憶があります」
この温泉はかの「武田信玄の隠し湯」の一つと言われ、現在でもファンが多い。また、日本のダム湖100選に数えられる丹沢湖もその時に立ち寄り、人工湖でありながらその壮大な姿は印象深く記憶に残っているという。

山北町

このような家族のレジャーの思い出のせいか、この山北はホームタウンに近いながら、全く別の空間を感じるという。むしろ昨年このページでも取り上げた「上高地」などに雰囲気は似ているだろうか。山北町は森林セラピー基地に認定されてもいるので、首都圏の中では自然の恵みを感じられる貴重な場所なのかもしれない。また、神奈川県内を代表する日本酒の産地でもあるので、宮島も次に訪れた時はぜひその味を体験したいという。

山北町

ところで、この山北を通る御殿場線だが、かつては東海道線の線路だったというと意外かもしれない。現在の東海道線が通っている熱海と三島の間には伊豆箱根山地がそびえ、かつては電車どころか、普通に超えることすら容易でない山々だった。それで小田原の手前・国府津で迂回したわけだが、このルートとて山道の険しさは避けられず、登坂専用の補助機関車を連結するなど苦肉の策をとっていた。しかし1934年(昭和9年)に丹那トンネルが開通すると、現在もお馴染みの小田原・熱海・三島ルートに変更され、距離も短縮し、より効率的な路線が実現したということだ。

山北町

ただ、この丹那トンネルの工事は想像を絶するものだったらしく、湧き水との戦い、地盤の崩落事故等、それまでのトンネル工事では考えられない様々な難関が待ちわび、完成までには関係者67人が犠牲になった難解な工事だった。多くの命と引き換えに開通した丹那トンネルだが、宮島も時々電車でこのトンネルを通過すると、感慨深い気持ちになるという。

山北町

そんな歴史を背負いながら、かつての東海道線の一部が今もこうして残っている。この山北町を含む御殿場線沿線は、今も都会の喧騒を洗う広大な風景を広げていた。

(文・写真 宮島永太良)

 
 
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