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AKIRA・シモンと宮島永太良がアートについて語り合った! 前編

 
AKIRA・シモンさんアトリエで
 

◎AKIRA・シモン(あきらしもん)さん プロフィール

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アーティスト。
Meets Art Clubメンバー 、Art Q会員。
1960年9月19日、熊本県熊本市生まれ、乙女座、B型。
1983年 和光大学人文学部芸術学科卒業。
1988年 銀座ギャラリー・オカベで個展。
以後、個展、グループ展多数参加。
1998年 新潟県(株)福田組「感動創造美術展」で優秀賞を受賞。
2017年 第14回「花まつり」に参加予定。
現在、横浜在住。



 

今春、「花まつり」に参加するアーティストAKIRA・シモンさんと、宮島永太良が
アートについて熱く語り合った!

 

宮島永太良(以後M):アキラさんとは長年の付き合いですが、今日は改めてアート関連の質問をさせていただきます。  よろしくお願いします。  まず、唐突ですが、好きな作家を教えてください。
AKIRA・シモンさん(以後A):欧米のアーティストに目を向けると、新潮文庫の小説、F・サガンの表紙に使われていたベルナール・ビュフェ。  そして、ジャン=ミシェル・バスキアが好きです。

AKIRA・シモンさんと宮島永太良

M :二人のどこに惹かれたのですか?
A :以前から私は、自分自身を面と色彩の作家だと思っています。  しかし、それに比べて、ビュフェ作品の本質はモノクロと線で構成、私とは対極にある存在。  私は、そこに憧れを抱き続け、静岡県長泉町にある世界最多ビュフェのコレクションを所蔵すると言われるベルナール・ビュフェ美術館へは3度も行きました。  一方、バスキアは線と色彩が一体化している作品で独特の世界観を表現。  そこにたまらない魅力を感じます。

M :では、これまで、どんな思いを託して描いてきたのですか?
A :私は優柔不断な人間。  何かを思って描いてきたのかと言われても、分かりません。  ただ、生きている限りずっと絵を描きたいと思っています。  強いて言うなら、自由ため。  自分自身の自由を獲得するために描く必要があります。  究極的に精神、物質からも自由になれたら、素晴らしいことだと思います。

AKIRA・シモンさん

M :精神、物質からの自由?
A :宮ちゃん、ピカソを考えてみてください。  青の時代のピカソは、貧乏のどん底でした。 ところが作品が売れ、世界的に名声を得たお陰でピカソは、精神だけなく物質からも自由になり、彼の生活にお金が介在する必要が、ほとんどなくなりました。  日常的な例ですが、レストランで食事を終えたピカソがチェックする時、小切手に金額を入れずにサインをするだけで良かった。  つまり、それで小切手一枚がピカソ作品となり、食事代よりもはるかに価値があったのです。  ピカソもそれに気付いていました。  ただ、ピカソに限ったことでなく、生きているうちに大成功した各分野一握りのアーティストが、その領域に入ることができるはずです。

M :ピカソがさらに小切手に一筆加えたら、より凄いことですね(笑)。  しかし、売れない場合は?
A :そうですね。  売れない作家で終わる人は精神を解放できても、自分の境遇、物質からの自由を得ることはできません。  例えば、ゴッホです。  生前に売れた彼の作品はただ一枚。  悲劇的な人生の最後を迎えました。  それでも、ある意味、ゴッホは自分の世界を突き進むことができたのだと思います。  ただし、それには弟のテオの経済面で大きなバックアップがあったから。  それも悪くはありません。  できるなら、私もそうなりたいです。

宮島永太良

M :そう考えると、アーティストの生き様って本当に個性的で人それぞれ。
A :正に各人各様。  各種メディアから伝えられるエピソードが、アーティストの個性を表していると思います。  またピカソです。  彼がパリに住んでいた頃、自宅アトリエでピストルを発射、大騒ぎになり警察沙汰にもなったそうですが、当時のモンマルトル、モンパルナスに住むアーティストにとって、こうした滅茶苦茶は日常茶飯事。  今、私もたまに脱線しますが、それに比べたら可愛いものです(笑)。

M :人としては個性的でも、アーティストとして、作品面ではどうでしょう?  私、かなり前からお弁当を描いていますが、ここに来て似た作品を発表する若手がいます。  私が先だと自負しているのですが、二人の作品を見た人には、後先の判断がつきかねると思うのですが?
A :私が敬愛する日本人アーティストは、横浜在住のロコ・サトシさん。  彼の作品は、キース・ヘリングに似ていると言われていましたが、ロコさんに言うには、キースが世界的に認められる3年前に桜木町のガード下に描いていたそうです。  つまり、作品の発表時、発見時のタイミング次第で評価されるのかもしれません。  私も好きなロコさんと似たような作品も描きます。  でも、それだけではなく30代には具象画も描いていました。  見る側の解釈には介入できないけれど、やはりアーティストは何を描いても自由。  自分の心を羽ばたかせれば問題ないと思います。

AKIRA・シモンさんの作品

M :そうか、大切なのは自由ですね。
A :そう、誰も咎めません。  例えば、デザインの世界にはクライアントがいます。  当然、仕事だから、その意向に一定程度添わなければならず、自由ではありません。  でも、純粋な芸術家はお金のヒモが付いていないから、犯罪さえ起こさなければ何をやっても自由。  また、作品の中でなら犯罪も自由に表現できるのです。

M :小説の中で殺人を犯しても問題ありません。
A :そういうことです。  世界の生き物の中で、それができるのは人間だけ。  アートが人間性の礎と言えるかもしれません。

画具

M :世の中で誰も価値を見出していないものを、見出すのもアート。  私のことですが、幼い頃に見た雑誌「太陽」の1ページの一部分に人の顔みたいに見えるビジュアルがありました。  それが、あまりに印象深く心に残り、かなりの時を経て描いたことがあります。
A :何歳ぐらいに見て、何時頃、描いたのですか?

M :5歳ぐらいに見て、30歳を過ぎてから描きました。
A :幼かった宮ちゃんの思いを、四半世紀を超えて具現化したんだ。

M :そうです。  「太陽」と言われると、何時も、そのイメージがポンと浮かんできました。  今、「J」で開催中の個展にも、その作品を展示しています。
A :アートだからこそのエピソードですね。

つづく

(構成・写真 関 幸貴)
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