TOPTalk : 対談

宮島永太良、のーじーさんとジャズ談義♪  前編


のーじーさんのライブ

◎のーじーさんプロフィール

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会社員/ジャズスボーカリスト。
本名:大竹幸一(おおたけこういち)。
1957年4月5日 東京生まれ O型。
東洋大学卒業。
趣味は俳句。

 

ノージーさん、ジャズの道を語る!

 1月初旬の土曜日、銀座でのーじーさんと宮島永太良がライブ以外で初めて会い、ジャズ談義で盛り上がった!

宮島永太良(以後・M):今日はよろしくお願いいたします。  最初の質問ですが、何故「のーじー」と、呼ばれるようになったのですか?
のーじーさん(以後・N):かつて、浅草にあるジャズのお店のホームページにライブの感想を書き込んでいました。  普通なら最後に「レポート大竹幸一」と書くのですが、NHKのラジオ番組「昼の憩い」に農業情報を伝えるコーナーがあり、そこで各地のレポートをする人たちの肩書きに使われていた「農事通信員」が気に入っていたので、つい「大竹幸一農事通信員」と書いていました。  そうしたら、何時しか「のーじー」と呼ばれるようになっていました。

のーじーさんのライブトーク

M :何時頃のことですか?
N :1999年、ライブ活動を始めた頃です。  
オトナになってから付いたあだ名なので、嬉しく思っています。

M :独特の雰囲気があるラジオ番組ですね。  あの日本的なテーマ曲良いです。  1度聴いたら印象に残ります。  では、ジャズの話題に移りますが、何時頃から歌い始めましたか?
N :学生時代からジャズファン。  その縁で、映画好きなジャズボーカリストと知り合い、その人に影響されて何故かタップダンスを始めたのですが、上手くなりませんでした。  でも、幸いなことに一緒にダンスを習っていた仲間にジャズを教えている人がいて、「僕は譜面も読めないし、英語も話せないけれど…」と相談したら、「そういう人は、たくさんいる!」と言われたので、ジャズボーカルを習い始めました。  1989年だったと記憶しています。  その後、年1回行われるボーカルスクールの発表会を楽しみにレッスンを続けていました。

M :その間、個人的なライブはしなかったのですか?
N :僕の初ライブは、今から10数年前に最初の会社を辞め、約1年間プータローをしていたのですが、その間に行った「失業記念ライブ」です。  40歳を越えていました。

宮島永太良

M :それ以降、どんなペースでライブを?
N :最初、年1回やればいいかなと思っていましたが、それだとお客様とのレスポンスが悪くなるし、僕のライブ感も鈍ってしまうので、月一のペースにしたのですが、それでは多すぎたので、現在は年に5〜6回のペースです。

M :何処で?
N :首都圏でのライブが主、宮島さんと出会った横浜/白楽、
東京/浅草と埼玉/南与野ですね。

M :白楽駅前では、路上ライブを行ったと聞きましたが?
N :ウクレレをメンバーに加える時は、電気が必要ないので、「ブルースエット」で行うライブの呼び込みを兼ね、ゲリラ的に本屋さんの前で行いました。  僕、歩いている人に向かって歌うのは大好きです。

のーじーさん

M :そう言えば、のーじーさんと最初にお会いしたのは、私の知人でもある大橋美加さんのジャズライブでしたが、お付き合いは?
N :僕がボーカルスクールの発表会でタップダンスや人形で腹話術的なことを披露していて、それが目に止まったのが始まりかな。  あと、大橋さんのラジオ番組にリクエストカードやメールを出し、自然の流れでお付き合いをさせていただくようになりました。  今では俳会もご一緒させてもらっています。

M :実は私も1回だけ大橋さんから、ボーカルを習ったことがあり、「また、いらっしゃい!」とも言われているのですが(笑)。
N :歌うと、楽しいですよ。 是非!

M :カラオケなら何とかなるのですが…。  まぁ、それはそれとして、私は初めてのーじーさんのライブを見た時、歌だけでなく、パフォーミングがすごく面白かった。  特に「ハニーサックルローズ」をベースにした歌「変なおじさん」は最高、とても心に残りました。  それで一度質問したいと思っていたのですが、ジャズでダジャレをやっている感じですか?
N :ジャズのアドリブのセンスとダジャレのユーモアのセンスがかなり近いと、僕は考えています。  と言うのも、1930年代まで、ジャズは大衆向けのエンターテインメントでした。  例えば、ドラマーだったら、空中にスティックを投げて受け取るとか、そんなパフォーマンスも行い、聴衆を喜ばせていたのです。  モダンジャズが生まれるまで、アメリカでジャズが最もポピュラーな音楽でした。

M :当時と現在でジャズのポジションは、かなりの隔たりがありますね。
N :ダジャレにして歌うのは、アドリブで他の音楽のメロディーを無理矢理入れるジャズ独特の遊び方、それを日本でも身近に感じてもらいたくて「変なおじさん」にしました。  とにかくジャズを楽しんでいただければ満足です。  かつてジャズは大人だけでなく、子どもを含め全世代の楽しみだったので、僕は、それを再現しているだけなのです。

ジャズライブ

M :ジャズの歴史が垣間見え、音楽好きな私としては興味深いお話です。
N :戦前、エノケンや宝塚がポピュラー音楽を和訳して歌い、その歌が日本に同化していることもしばしばありました。  戦後、モダンジャズの時代になると、シャンソンは和訳され日本独特の発達を見ますが、たぶんジャズはスキャット等、音の面白さを追求したので英語で歌うことになったのでは。  それはそれで正しいけれど、その影響で日本の大衆娯楽とは縁遠くなり、アメリカでもジャンル違いの音楽が好まれるようになってしまいました。

M :確かにジャズには英語で韻を踏んで歌詞もあり、それは無理に訳せないし、歌詞そのもののリズムが面白いモノもあり、やっぱり訳しきれないのでは…。
N :私、英語が全くできない「空耳イングリッシュ」なので、音の面白さが、伝わればいいかなと思っています。

M :こうしてのーじーさんとお話していると、小さな頃に見た「クレージーキャッツ」を思い出します。  彼らは、ジャズをしながらパフォーマンスやお笑いをしていましたね。  幼心に楽しかった(笑)。
N :「クレージーキャッツ」ですが、メンバー全員ジャズミュージシャンでした。  そうしたケースは、他にもドラマーで俳優のフランキー堺さんらがいました。  ジャンルは違いますが、現代にそれを継承しているのが、ジャニーズ系ではないかと思います。  何故なら、彼らは音楽、芝居にコメディ、司会もできるじゃないですか。  正に二枚目のエンターテインメント集団ですね。  とにかく、ジャズとお笑いは深い関係性があります。

スコッチアンドソーダ

M :本場アメリカでも、そうした人はいますか?
N :最初に思いつくのは、ジャズの巨匠ルイ・アームストロング。  彼はコメディアンではありませんが、ステージに登場しただけで、聴衆を暖かい気持ちで包んでくれたと言われています。

M :他にジャズを歌えた俳優さんは?
N :1番の大物はフランク・シナトラ。  ボーカリストが本業ですが、映画俳優としても有名でした。  ビング・クロスビーもいます。  昔は垣根がなく、芝居がうまい人は歌もと、言われていました。

M :今の日本でも、心当たりがありますね。  ところで、のーじーさんの好きなジャズボーカリストは?
N :ルイ・アームストロングは、神様だから別格。  「ハニーサックルローズ」を作った名ピアニスト、歌手で作曲家でもあるファッツ・ウォーラー。  それから、ジャズボーカリストではないと言われていますが、フレッド・アステア。  アステアのジャズアルバムはオスカー・ピーターソンのバンドで歌っている「アステアストーリー」1枚しかありませんが、これ以上のジャズはないと言われる程、白人ボーカリストしては最高の作品です。  でも、考えてみると、ルイ・アームストロングもトランペッターで歌ったら、味があってうまい!   そんなリラックスした歌の感じが僕自身好きだと思います。

M :トランペットを吹きながらの歌は難しそうですね。
N :ただ、ラッパと歌は息を使うことで関係性が深いです。

M :スキャットを始めたのもルイ・アームストロングだとか?
N :初めてレコードにスキャットを吹き込んだのはルイ・アームストロングだと言われています。  その時に歌詞カードを落としたからだとも。  楽しいエピソードですね(笑)。

のーじーさんと宮島


 次号に続く

(文・写真 関 幸貴)
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