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好評連載!
 宮島永太良、沖縄へ 後編!

第14回 「大切な思い出に誘われた沖縄の旅…」後編

 
シーサー

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 再び10年前を回想する。  写真教室は午後から自由行動となり、宮島も前島周辺の町々を歩いた。  2日目の最後には自分の撮影作品を発表する、という大きな課題がある。  どういう写真を撮り、どういうタイトルを付けるか…?  前島から少し足を延ばすと国際通りがあり、そこの土産店にはなぜか男性性器を模った木製のオブジェが並んでいた。

国際通り むつみ橋通り街

「ばれないようにその状況を撮影し『陳列』とタイトルを付けましたが、提出するには躊躇しました。  
結局、同じ種類で色違いの車が2台、しかも片方が、一部破損した状態で並んで止まっている写真を発表し、タイトルは、『怪我をした兄弟』としました」。  発表の時、「車のフロントは顔に見える」ということを、言ったら、先生も同じ意見を述べたらしい。  「残念ながら、その駐車の場所はどこだったの か、今ではわかりません。  しかし、どこにもここにも同じような状況の場所があり、本当に懐かしい」。

空き地 ブーゲンビリア

 そして、この写真教室が終わって10年間、やはり宮島はその時の先生の影響をずっと引いてきたという。  「先生は文筆活動も大変優れていますが、かつて著した小説で、その後、人の死について考察した作品を読みました。  自身の父親の死と墓作りについての内容でしたが、墓というのはこの世に生きていた記録であり、それ以上のものでもないという考え方には説得力がありました」。  また、老いについてマイナスではなくプラス思考で考えたエッセイを読んだときは、宮島自身老眼ぎみになった時「また一つ大人になったんだ」と考えられるようになったという。  「先生が発案した、この宇宙全体を缶詰めにしてしまおうという壮大なプロジェクトも、いつか自分の手で実行してみたいと思っています」。 
翌日にはマルタの出番である。  前島の思い出を後に引きながら、旭橋近くのホテルへ向かう。 
すると、思わずカメラを向けずにいられない光景が運転免許の写真を撮影する店のようだが、ずいぶんと歴史を刻んでいる。  すぐ近くの海からの潮風も、この風格をさらに強めたようだ。

歴史を刻んでいる写真店

 「やはりここへ来ると、どうしても珍奇な写真を撮らずにはいられません」。  現地での師との思い出を振り返りながら、「先生にもいつかマルタを見てもらおう」と思いながら、明日のイベントの準備に取り掛かる。  それにしても、この思い出の主役である先生とは誰 なのだろうか?  「もうお気づきかもしれませんが、赤瀬川原平さんです。  残念ながら、この回想の旅から10か月後の10月26日にお亡くなりなりました。  ただ旅の当日、昨年12月にはまだご存命だったことを考えると、残念でなりません。  マルタを見てもらうのも、今となっては叶いませんが、写真教室で赤瀬川さんに作品を見ていただけたのは、一生の思い出です。  その後赤瀬川さんとは2010年、テレビ番組「アート夢ぽけっと」でもう一度ご一緒しましたが、お会いしたのはそれが最後となってしまいました」。

ブーゲンビリア

 高松次郎氏、中西夏之氏とともに「ハイレッドセンター」(それぞれを頭文字の英語を合わせた名前)というパフォーマンス芸術集団で活動を行い、また小説「父が消えた」で芥川賞を受賞。  
エッセイ「老人力」はベストセラーとなった赤瀬川氏。  その芸術を考察する眼、物事の考え方、これらは宮島自身にも多大な影響を与えたし、これからも語り続けられて行ってほしいという。  「赤瀬川さんの考えられた宇宙をまるごと缶詰にするプロジェクト、これは今日にでもやろうやろうと思いながら時間が過ぎてしまいました。  買ってきた缶詰の中身を抜いて、内側に『宇宙の缶詰』と書いたラベルを貼り、蓋を閉める。  すると缶の内側(この場合外側)から見れば、今私たちのいるこの場所は、すべて缶詰の中身なのです。  赤瀬川さんは、今もこの缶詰の中で、不思議な物を探し続けていらっしゃることと思います」。

おわり

赤瀬川さんオートグラフ
by Sekikobo
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