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「三渓園」で八木哲雄さんと語る。後編♪


八木哲雄さんと宮島

◎八木哲雄(やぎてつお)さんプロフィール

八木哲雄 さんspace
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1948年7月8日、群馬県前橋市生まれ、蟹座、B型。
1966年 前橋工業高校建築科卒業。
以後、建築業界で働き、3年前に第一線を退く。
現在は、月2〜3回、横浜にある*三渓園でボランティア・ガイドを務める。

*三渓園(さんけいえん):
明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の実業家 / 原三渓(本名 富太郎)さんが、東京湾に面した“三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造りあげた、広さ53,000坪の日本庭園。
詳しくは、http://www.sankeien.or.jp/ ► へ。

 

宮島永太良、原三渓さんにも興味津々…

三渓園三重塔

八木哲雄さん(以後・Y):
三渓さんの「庭」も含めた表現芸術に対しての才能と眼力には並々ならぬモノがあったと伝え聞きます。  おそらく建築分野の才も我流だとは思いますが、その証に三渓園のランドマーク的存在の三重塔は園内の何処の建物からも見えますし、晩年、三渓さんが夫人と暮らした「白雲邸」の真ん中の部屋から見る三重塔は大変美しいです。  加えて、映る効果を考えて池の水面の反射も計算、庭の石もひとつひとつ京都の鞍馬山でご自身が選んだそうです。  そうして考え抜かれて造られた光景を目の当たりにして思い至るのは、やはり三渓さんの比類ない才能に他なりません。  また、あらゆる行動に共通していますが、コトを丁寧に進めたそうです。  例えば、他から建造物を園に移築する時には、建材ひとつひとつをサラシに巻いて運ぶとか、素晴らしい心配りをされたとか。

宮島永太良(以後・M):
やはり、三渓さんからは庭を含めた総合芸術の理解、実践者だけでなく、人間としてスケールの大きさを感じます。  凄い人ですね。

Y :美術品収集家としても際立った行動をされていたようです。  例えば、明治時代の著名な政治家でユニークな美術品の愛好家としても知られた井上馨氏が、所有していた作品「孔雀明王」を、三渓さんは欲しくてたまらなかったそうです。  でも、氏は譲りたくない。  それで一計を案じ、多くの人が無理だと諦める高値『1万両(今で言うと1億円)なら良い』と、伝えたそうです。  ところが翌日、三渓さんは全額現金で耳を揃えて持参。  だから、井上氏はどうしても作品を手放さなければならない状況になったそうです(笑)。
M :確かに桁外れですが、三渓さんの行動は理に適っていて納得ができます。

八木哲雄さんと宮島

Y :まだ、その話の続きがあります。  1923年に起こった関東大震災後、三渓さんは、それまで収集した貴重な骨董品、芸術作品、あれだけこだわって手に入れた「孔雀明王」も含めて約9000点を『自分を育ててくれた地元横浜復興』のために、全てを投げうってしまったのです。  歴史的に見ても非常時だからとは言え、三渓さんのとった行動からは三渓園の外苑を一般開放した時同様、モノを一人占めしない人としての徳の高さをヨリ感じます。  本当に類い稀な人物です。
M :聞いた話ですが、三渓さんがある時、修行のためにあるお寺へ赴いたら、そこのお坊さんから『あなたに修行の必要はない』と、言われたことがあったとか。

三渓園聴秋閣

Y :ありそうな話ですね。  そのエピソード、私は初めて聞きました(笑)。
M :そうですか。  しかし、三渓さんの美に対する態度を今のコレクターにも見習って欲しいです。  何故なら、現実を見回すと、多くのコレクターが高額で作品を手に入れてしまうと、それを自分の所有物だと考えています。  かつて、世界的名画を所有したお金持ちが『死んだ時、一緒に棺桶に入れて欲しい』と、私には信じられない暴言を吐いたこともありました。  そんな心貧しい考えはやめ、手に入れたのではなく、今の時代の所有権を得たと考えて欲しいです。  そうした考えや行動が、世に広まることで人々の心はより豊かになる気がします。  
突然ですが、ここで話題を三渓園に戻します。  八木さんが一番オススメの見学場所は何処ですか?

Y :まず、350年前の「臨春閣」、織田信長の弟・有楽(うらく)の作と言われる茶室「春草廬」をはじめ三渓園全てが、注目に値します。  その中で私がオススメするのが、残念ながら今日は見られませんでしたが、三渓さんの出身地岐阜県にあって、御母衣(みぼろ)ダム建設のためダム湖に沈む運命にあった白川郷から、昭和35年に移築された合掌造りの「旧矢箆原家住宅(きゅうやのはらじゅうたく)」です。
M :そこは?

八木哲雄さんから説明を受ける宮島

Y :江戸時代後期に建てられ、現存する合掌造では最大級の民家です。  そして、園内の歴史ある建造物の中で唯一内部の見学ができます。  式台玄関、書院造の座敷など農家ながら大変立派な接客空間を備え寺院に用いられる火灯窓もあり、飛騨地方の三長者の一人と言われた矢箆原家の豪勢ぶりが分かります。  また、その地方で使われた民具も展示、囲炉裏では、毎日薪がくべられ、黒光りした柱や立ち上る煙が昔の光景を垣間見せてくれます。  見る価値は大です。
M :その建物で過去へタイムトリップができるようで興味がより沸きますね。  近いうちに三渓園は必ず再訪します。  しかし、今日は実際に庭を見て、それを造りあげた原三渓さんのエピソードを八木さんから聞いていたら、以前から公園を造ってみたかった私が、庭も造りたくなってしまいました(笑)。

Y :「庭造り」は表現行為としては究極になるかもしれませんが、永太良さんには挑戦していただきたいです。
M :でも、その時は必ず八木さんのお力をお借りすることになります。 宜しくお願いいたします。 
今日はどうもありがとうございました。

三渓園の夕景

おわり

(文・写真 関 幸貴)
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