TOPRoad : つれtakeロード

Road : つれtakeロード

 

多摩ニュータウン今昔…

 今回の「つれTAKEロード」は、宮島永太良も思い出深い場所、多摩ニュータウンを取り上げる。東京のベッドタウンとして最大級に属する、緑も多いモダンな地域だ。宮島が初めて意識的にこの場所を訪れたのは、もう20年以上前になる。以後、頻繁ではないにしろ、時として訪れては新鮮な息吹きを感じてくるという。

車窓から

 多摩ニュータウンは、東京都の稲城市、多摩市、八王子市、町田市にまたがる多摩丘陵に開発されたに計画・開発された地域であり、その開発計画の歴史は古く、1966年(昭和41年)からだという。当時の東京都心は人口過多となり、地価も上昇の一途をたどるばかり。何とか郊外の地にも、住む場所が作れないだろうかということで開発されたのがこの多摩ニュータウンだ。

小田急永山駅

 今回用があったのは永山駅だが、その前に隣の多摩センター駅にも久々によってみた。両駅とも、京王線、小田急線の双方が乗り入れている。また数年前には立川から発している多摩モノレールもここまで乗り入れた。サンリオピューロランドがあるのことでも有名で、休日には大勢の家族連れで賑わっている。駅を降りれば、早速大きなハローキティーやマイメロディーのイラストが「ようこそいらっしゃい!」とばかりに出迎える。ディズニーリゾートのある浦安に対して、もう一つのキャラククターリゾート街になりつつあるようだ。

サンリオのキャラクターたち

 また同じ多摩センターこにあるランドマーク的な公共施設「パルテノン多摩」は、宮島にとっては思い出深い場所だ。「その昔『メビウスの卵展』という展覧会の案内スタッフをやっていたことがあるのですが、東京では大崎のO美術館とともに、このパルテノン多摩も会場になっていました。その他全国でも巡回していたように記憶します」。

パルテノン多摩

 その展覧会は科学や自然の現象をモチーフに、見て触って考える体験型の展覧会であり、ハンディキャップを持った人にも鑑賞の門戸を開いていたものだった。宮島もかねてから体験型の作品を制作・出品しているが、その原点の一部もこの展示にあったのかもしれない。

かえり橋

 この多摩センターをはじめ、両隣の永山、南大沢などにも、自然がうまく取り入れられた近代的市街、道路が見られ、以前取り上げた筑波学園都市とも、構造や街のイメージがよく似ている。それもそのはず、多摩ニュータウン周辺ももかなり大規模な「学園都市」であった。実は宮島も今回、永山駅からバスで10分ほどのところにある、多摩大学の公開セミナーを受けに、久々に訪れたのであった。この多摩大学のほか、中央大学、都立大学、明星大学、帝京大学など、いくつの大学が移転、または新設されている。そして多摩美術大学も、近年この地にエリアを伸ばしたらしい。宮島はかつてこの多摩美術大学にも聴講に行ったことがある。「美大ではありますが、音楽評論家の故・秋山邦晴さんの講義がおもしろいと噂だったので、聴講をさせてもらったことがあります。秋山さんの授業では、斬新な現代音楽を次々と聴かせてもらいました」。

多摩ニュータウンの風景

 現代音楽の斬新なイメージは、この地域のイメージとどこかあっていたのだろうか。また先にあげた都立大学は、もともと目黒区の柿の木坂にあったが(現在のパーシモンホールがその跡地)、平成になってすぐ、こちらに移転してきた。しかし元の場所には現在も東横線都立大学駅として駅名だけ残っている。
「私の知人で、以前にこちらの都立大学に通っていた人がいますが、なんとその人の家は東横線の都立大学駅近くでした。友達から『都立大学に住んでいながら1時間電車に乗ってまた都立大学に来るなんて何やってんだ』とからかわれていたそうです」。そんなナンセンスさも含みながら、学生の街ともなっているこの地は、今でも「若さ」と「アカデミズム」が垣間見られる。

横断幕・祝日本一!

 件の多摩大学は、永山駅からバスで10分ほど行くとある。こじんまりとした敷地に経営情報学部、グローバルスタディーズ学部があり、それに大学院、中学、高校も併設され、地形を利用した独特の空間が広がっている。今回は学長の寺島実郎氏の公開セミナーだ。日本を代表する評論家であり、現役の学生、社会人の聴講生を合わせ500人以上が満員の状態で講義を聴いていた。
「寺島学長の話で印象深かったのは、この30年で、日本の世界に占めるGDPの割合が16%から6%になってしまったと言うことでした」。

多摩大学

 この多摩ニュータウンのような都市を開発した日本のことを考えると、そこまで落ち込んだとは信じがたい。しかし国民が意外にその現状を知らないと言うのが現実だそうだ。確かに日本は少子高齢化になり、労働人口も減るにつれ、GDPの低下もやむないというのが残念な現状だろう。「これもある有識者が言っていましたが、日本は世界のどの国よりも早く高齢化社会がやってきている。こうした社会のモデルケースを世界に発信することが、新たな日本の役割であり、日本はそれによってまた世界をリードできるのではないかということです」…

(文・写真 宮島永太良)

 
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