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Friendsには、ジャンルを問わず宮島永太良の友人知人が登場!
毎月、ショートインタビュー、コメント、活動予定をお伝えします。
 

写真活動を休止し横浜を去る北村泰弘さんが語った…

 
 

北村泰弘(キタムラヤスヒロ)さんプロフィール

写真家
1947年:大阪生まれ 
1965年:地元工業高校卒業後工場勤務
1967年:デザイン会社に転じ写真を生業にする
1980年:横浜移り、フリーターとして働きながら作品撮りをする
1982年:男性月刊誌を中心にフリーランスの写真家として活動開始
2024年:生業としての写真活動を休止、関西に戻る

 

昨年2023年3月、以前から付き合いのある出版社から久しぶりに単行本の撮影依頼があった。でも、前年2022年春から原因不明で俺の脚の具合が悪くて思うように動けなかったから、最初は断ったんだけれど、撮影対象者が以前からの知り合いだったし、編集担当者からも「最後だから」と熱心に頼まれたので仕方なく引き受けたんだ。加えて撮影期間も余裕を持って5日間とってもらい、機材も最小にして現場に臨んだけれど、やはり自分としてうまくいかず、写真の仕上がりにも納得できなかった。だから「俺の写真を使わないで欲しい」の言葉と共に最後の判断は編集者に委ねたけれど、まだ単行本は出来上がっていない。そうして状況に加え、長年住んでいた住まいも取り壊しのため昨年から立ち退きを迫られ、熟慮した結果、俺は写真活動を休止し横浜を去ることを決めたんだ。

 

1980年大阪から移って来た頃は、写真の仕事があるわけじゃないから、食べるために日雇い労働をしながら、接写ができるマイクロレンズで街の片隅にあるゴミや廃棄物を時間があると撮っていた。 なんて言うかな人の残骸に興味があり、それをアメリカや異国の風を感じさせる横浜独特の空気感が手伝い、その雰囲気に誘われていた気がする。また、夜の東京を彷徨いながら一晩中撮っていたこともあった。で、そうした写真作品を持って営業するのだけど、当初は50〜60の出版社を回った。今にしてみれば信じられない数だけど、時間もエネルギーもあったからだろうね。そんなこんなで1982年頃から雑誌媒体を中心に活動をしてきたけれど、最初の2年ぐらいはつまらなかった。その要因は企画に対する編集者の意向や考えを俺自身が考え過ぎ、楽しい気持ちで写真に向き合うことができなかったから。でも、いつしか余分なことは考えず仕事とプライベートで撮る感覚が一緒になった時、変な縛りから解放され撮影できる様になった。でも、本当言えばフリーの写真家として動き始めて10年ぐらいは不安があったのも事実。

 

月刊誌をやっていた頃の撮影内容はスナップとインタビューの2つ。同じ撮影をするのだけれど、方法は全く違う。例えば直木賞作家/野坂昭如さんや山口洋子さんインタビューでは相手の心理状態を考え、会話を交え写真家としての自分の存在を示し安心感を与えていたつもりだった。そうすることで二人の自然な姿を撮影することができたと自負している。スナップでは撮る側の俺が何を考えてもしょうがないと思い、「自分らしさ」は出ないようにしていた。結局、自分の独自色が出てくるのは最後の作品選択時だと思うな。そんなこんなで40年以上も好きな仕事で生活できてきたのだから、自分自身に悔いはないけれど、関西に移っても横位置のモノクロ写真に拘って、ブログでも始めようかと今は考えているんだ。次のウチは海のそば、新しい光景が楽しみです(笑)。

(構成・撮影 関幸貴)

 

 

 

 

「政岡玄ちゃん音楽便り」第102回

政岡玄です。
2024年もよろしくお願い致します。
しかしながら、石川県能登半島地震災害その影響での二次災害など、いたたまれませぬ。
まずは、このたびの地震で被害に遭われた地域の被災者の皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

 


地震前日、2023年年越しでは、広島HIDEAWAYマスターで師匠TOKUさんと、最後は二人で朝3:30か4時すぎぐらいまでセッションしながら自らの本音の音楽を追究しました。そして、新たな2024年はコラボも出来るかと意気込んで、初詣をご縁ある菩提寺の教本寺 から、清限寺(毘沙門天様七福神)、岡山神社(岡山城、宇喜多家ともご縁があります)総社・備前国総社宮(128神社のご祭神を祀る。龍の口)、名前と干支の龍で、玄龍院につい寄ってしまいました。加えて、岡山県を代表する古刹でご縁のある金山寺へ初詣の護摩祈願を受け、お手伝いもさせていただき、被災地の復興への祈りを捧げて参りました。

 
 


また、出初め式では、消防団員として石川県能登半島地震災害で、今この時も救援救助をされている消防隊員、被災されている方々が多数であり、同志の消防団員の仲間を思えば、やるせない気持ちになりましたが、これから想定される南海トラフ地震などへの防災意識を高める放水訓練時には、虹がかかっており、祈りと希望をいただけたかもしれません。

 
 


そして、昨年末には班長に任命されたので、もう一度、身を引き締めて行かねばなりません。加えて今は早く平穏な日々が能登半島の被災地に訪れますよう祈っています。

Love&Peace♪(^-^)v

(文&写真提供・政岡玄)

 

 

 

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