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◇新連載 第2回 宮島永太良とアートが気になるインタビュアーの対話

 

ここからアートステーション 第2回

=アートが気になるインタビュアー/A=宮島永太良

:「自分の顔の福笑い」というのは初めて聞きました。福笑いといえば、おかめやひょっとこというイメージですが、自分の顔というのは珍しいですね。
:自分の顔を部分部分として描いて、しかも並べ直すことで、自分の顔をあらためて見る機会にもなると思ったのです。よく、一日に何回かは鏡を見た方が良いと言われますが、この行動は必然的に鏡を見るし、鏡で自分の顔を見ることで、その日の体調なども何となくわかって来ます。私の場合、疲れていると目の下に隅が出るので、その時は要注意です。

:私も鏡をよく見る方ですが、気分が優れないとやはり瞼に来ます。それにしても自分の顔を確認するということは、健康面だけでなく、身だしなみのためにもなりますね。
:よく年を取ると、自分の身なりは気にならなくなり鏡も見ず、その結果人に不潔な印象を与えてしまうような例を聞きますが、これは自分以上に回りの人の健康衛生にもつながるでしょう。

:やはりいくつになっても自分の姿は捉えておきたいものですね。話を戻すと、その自分の顔福笑いは、結局は皆さんに自画像を描いてもらっていることになるんではないでしょうか。
:はい、そうです。しかし、ただ「自画像を描いて下さい」と言うよりも、切り貼りなどの行為をともなった方が、楽しみながら自分の顔が観察できると思ったのです。

:ところで自画像を描く画家というのも非常に多いですよね。
:ゴッホ等は代表的ですね。37年の生涯のうちに、少なくとも40点以上の自画像を描いたと言われます。

:やはり自分との闘いが顕著な人だったのでしょうかね。
:それと通説ですが、モデルを雇う経済力がなかったため、取り合えず自分を描いて、絵の鍛錬をしたとも言われています。私が子供の頃、家にゴッホの画集があり、パイプをくわえた自画像は印象的でした。しかし同じ画集には耳を失い包帯をしている自画像もあり、しかも自分で切ってしまったという逸話を聞き、子供心に衝撃を受けました。かわいそうだと思った私は、耳がまた付いてイヤホンをしているゴッホの自画像(というか他画像)を描いたのを覚えています。

 

 

作品名「ki-do-ai-raku-1」2003年制作 木・粘土・アクリル 15cm × 21cm

 

:確かにそれだと「他画像」ですね。面白い言葉ですが、考えてみれば似顔絵もそれに入らないでしょうか。
:はい、似顔絵も大変意味のある絵画表現だと思います。
先日、名古屋のポートメッセなごやで開催された「プライマリ・ケア学会〜医療とアートの学校」に参加してきました。そこでは似顔絵画家の方も何人か出展していて、描いてほしいお客さんの行列がありました。変わっていたのは、似顔絵を描いてもらいながら、逆に画家の顔も描いてよいというのも新鮮でした。絶対条件ではないのですが。

:ここでも、医療や健康を考える上で、自他ともに「顔」を意識することが大事であることを物語っていると言えますね。
:この「医療とアートの学校」の代表である村岡ケンイチさんも、似顔絵を得意とする方ですが、中でも村岡さんの「似顔絵セラピー」はその代表格と言えるでしょう。入院患者さんにも様々な方がいて、中には不安からかなかなかコミュニケーションが取れないという例も少なくないようです。そうした場合、似顔絵を描きながらそれまでの人生のことなどを話しているうちに、次第に心を開いて来る方も多いということです。

:写真とは違う自身の顔が出来上がったのを見て、また希望が湧くのでしょうか。現在も日本中から似顔絵セラピーの要請があるということを、私もマスコミ等で知りました。
:顔とは人間の体の一部でありながら、特殊な箇所です。その人の全てを表現している(ように感じられる)箇所だと思います。絵本などで植物や山とかを擬人化する際にも、ほとんどの場合、顔だけが描かれています。
では、次回は、そんな「顔」を構成する各要素についても考えてみましょう。

つづく

 

  
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