Road : つれtakeロード
■ 好評連載!
不思議な家に魅入られて 小田原前編
「十仁病院整形外科」
その家をはじめて見たのは私がまだ幼稚園に入るか入らないかの頃だろうか。 小田原に住んでいた私は、歩いて行ける小田原城址公園に家族と共によく遊びに行っていた。
当時は観覧車もあり、よく乗ったのだが、ある日、観覧車から不思議な家が見えた。 不思議というより不可解であろうか。 小高い丘の上に、とても人が住んでいるとは思えない、昔のある時期から時が止まってしまったような、瓦屋根の日本式建築の家で、どこか怖かった。 隣には家はなく、かなり広い場所にその家しかない。 そして家の前に「十」という文字から始まる、これまた不可解な看板があった。 何年かして字がわかるようになってから、それは「十仁病院整形外科」と書いた看板であることを知った。 民家の前になぜ病院の看板なのか。 それとも民家の姿をした病院なのか。 否、そうではないことは間もなくわかった。
小田原での少年時代、ずっとこの家が気になったので、いろいろ断片的に噂は入って来る。 すでに人は住んでいないことも明らかになったが、その家の正体だけは結果いまだにわかっていない。 それはかつて小田原城の一郭であった「八幡山」(はちまんやま)と呼ばれていたあたりに存在する。 小学校時代も、よほどこの家が気になるのか、その八幡山界隈の丘に行き、家の裏まで観察したことがある。 すると不思議なことに、日本式建築の裏側に、西洋風のコンクリート建築がジョイントされていた。 これを見ると、なるほど初期の西洋医学の病院にも見える。 「もしかしたら、本当に病院を開業していたのかもしれない。 『十仁病院』 を」と考えた。 同じ名前の病院は現在も新橋にあるが、ロゴが同じなので間違いなく同じ系列だろう。 「するとフロントの日本建築は医師の住宅だったのか」いろいろなイマジネーションが掻き立てられる。
2015年現在、この敷地内の荒廃化はさらに進み、茂みに隠れてしまって母屋の様子も見えないくらいだが、おそらく半壊していることは間違いないだろう。 しかし私が小学生だった当時ですら、この日本式建築は既にかなりボロボロで、雨戸も外れており、瓦屋根や建付けなどにも「ずれ」が生じていた。 見方によれば古いお寺のようにも見える。 しかし、もし本当に裏が病院であったとしたら、寺と病院がジョイントしてあるというのは常識では考えにくいだろう。 ただこの寺のような風貌は印象的なので、この家を仮に「テラハウス」と呼ぶことにする。
看板にある十仁病院は、新橋に1933年に開業したという。 するとここではそれ以降、同院の小田原分院として開業されたのだろうか。 フロント部の日本式建築はもっと古い母屋と思えるので、おそらく裏側の西洋風建築は、病院開業が決まった際、後から増設されたものだろう。
敷地内には広い庭もあり、庭の端には大きな木を従えていたが、この木が問題だった。 そう高くもないのに、ちょうどロケーション的にかなり遠くから見える位置にあり、そのため、小田原駅より東海道線で二つ先の国府津駅のあたりからも望むことができるのだ。 遠くから木が見えて来るたびに「テラハウスここにあり」と言っているようでならなかった。
しばらくすると、看板はいつの間にか無くなっていた。 取り外されたのか、朽ち果てたのかは確認できなかった。 しかしながら 地元の人はこの場所を示す時「十仁病院」と相変わらず言っていた。
中学校に入り、この地域の友人もできると、やはり同じようにテラハウスを気にしている者が意外に多いことを知る。 彼らはすでに私の行動を越え、この中で肝試しまでやっていた。 しかも昼間である。 逆に考えると、夜はあまりに怖すぎるので避けたのだろうか。
中に入った友人に話を聞くと、病院の手術台が残っているなどの証言?も聞けたが、ほとんどが「霊柩車の車庫になっている」だの「白髪のお婆さんが一人で住んでいる」だの嘘八百を並べる者ばかりだった。 手術台のみが説得力あるが、もしかしたらそれ以外に何もないのか、あるいは手術台すら嘘で、全くのガラン堂なのか、はたまた雑多な物々が散らかった状態なのか?今となっては 肝試しに参加する機会が無かったのが悔やまれる。
しかし、私が二十歳を過ぎた昭和62年、信じがたいことが起こった。 なんと、後ろの西洋風建築に、塗り替え作業が施されたのだ。 さらにあろうことか、「十仁病院整形外科」の看板が新たに取り付けられた。 昔は紺地に白い文字で書かれていたが、今度は赤地に白の文字だ。 派手になった。 「とうとうここで病院が再開業されるのか!肝試しの会場にまでなった空間で、なんと思い切った決断(というか空気読まずの判断)をしたことだろう」と思った。 しかし結論を言うと、塗り替えと看板の復活があっただけで、その後はまたもとの不可解なテラハウスのままとなった。 おそらく回り近所から、あの物騒な家をなんとかしてほしいと言われ、とりあえず綺麗に塗り直したのだろう。 しかし、なぜ解体せず改装なのだろうか。 壊せない理由でもあったのだろうか。 だが、ここで謎が解けた気がした。 「テラハウスの土地は今でも例の病院が所有しており、何も営んではいないが、近隣住民に気を使って廃虚感を出さないように塗り替えをし、看板だけでも設置したんだろう」と。 これで全て納得した、とこの時は高を括っていた。
つづく
(文・写真・イラスト / 宮島永太良 写真 / 関幸貴)