ミーツギャラリーでふたつの写真展!
9月末から10月中旬にかけ、ミーツギャラリーで写真展が連続開催され、偶然にも共に初個展だったので、新鮮な空気が流れる会場を訪ねた。
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9月25日(月)〜10月6日(金)まで開催されたSHINBARA写真展「Feeling N」の会場に一歩入ると植物のアップが際立ち、鮮やかな色の作品が展示してあるにもかかわらず、妙な静けさが漂っていた。
また、作品に大小があるのだが、大きさで写真の存在感が変わることはない。 不思議な雰囲気の写真群だったので、どんな思いで撮影したのか、SHINBARAさん本人に尋ねてみたかったが不在。 壁にあった挨拶文によれば、かなり前から自然を撮影している。 だが、ただの風景写真ではなく、撮影者の心を表している心象風景のようだ。 次回があれば是非見てみたい。
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次いで10月9日(月)〜10月14日(土)まで開催されたのは、宮野景子(みやのえいこ)さんの写真展「向日葵のように…」。
タイトルにもなった青空が美しい印象的な向日葵の写真から、ご自分の子どもさんたちの記念写真まで、約20年のキャリアを感じさせる写真23点が展示され、会場はあたたかい雰囲気を醸し出していた。 そして、撮影に使用された機材もフィルムカメラからiPhoneまでと、こちらでも時代の移り変わりを感じさせてくれた。
「20年近く写真を撮り続けた一つの節目として写真展を開催しました。 この機会に多くの友人知人に来ていただき、こんなに嬉しいことはありません。 その中にはSNSを通じてしか知らない方もいらっしゃいましたが、スマホの小さな画面だけを見て、私の写真に興味を持っていただけたことを実感。 写真を続けていて本当に良かったです。 この勢いがあれば、ニューヨークでの個展も可能かもしれません!」と、宮野さんは明るく笑った。
写真は言葉がなくても通じるメディア。 宮野さんの思いは夢に終わらないかもしれない…
宮島永太良スペシャルレポート「横浜トリエンナーレ」に寄せて!
今年も3年に一度のアートの祭典「横浜トリエンナーレ」が幕を開けた。
会場の一つとなった横浜美術館にも斬新な作品の数々が並ぶ。 特に目を引いたのは畠山直哉氏による、6年前の東日本大震災の被災地の現状を伝えている写真だ。 オランジュリー美術館のモネの「睡蓮」のように、壁一面を円形に囲んだ展示方法が臨場感を伝えている。 この作品たち、11月5日のエンディングまで、どれだけ多くの人の目に触れることだろう。
昨今、各市町村や自治体がアートフェアを開いて町おこしをするといった動きは多い。 しかし、どれもが成功しているかといえばそうとは言えず、残念ながら終わってしまったものある。 そんな中、この横浜トリエンナーレは6回目になるのだから成功していると言える。 また横浜のような魅力ある町だからこそ、多くの人が集まるし、集まれば関心の率も高くなる。 そうした連鎖がうまく作用し、実現できているアートの祭典でもあるだろう。 これからの多くのアートフェアにも課題を投げかけてくれることが期待される。 だが、その町に人が集まることと、アートを楽しむことを両立させるのは、実はそう簡単なことではなく、そもそも日本ではアートは非常に多くの人に親しまれているとは言い難い。 現代アートならなおさらのことだろう。
アートは「わからない」という人もまだ非常に多いからだ。 アートには作者個人の内部世界を表現しているものも非常に多い、というのも理由だろう。 かつて落語の世界で古典落語は昔の言葉が多くて、理解できない人も増えているのではないかと論議になったことがあった。 「なんとなく面白いとは思うけど細かい箇所が わからない」という若者も多かったのだろう。 その時「分かる人だけ楽しめばいい」という意見と、「今の言葉や解釈に変換するのも必要」という意見に分かれたという。 現在も落語が親しまれ続けていることを考えると、後者の動きがあって正解だったが、アートに置き換えると、落語の「古くて理解できない」が「個人的すぎて理解できない」と言えるだろうし、実際、そう思われていることも多いのではないだろうか。 町おこしは一種のお祭りの要素がある。 昔から、お祭りといえば観客のターゲットが絞られているわけでなく、子供から大人まで、まさに老若男女が楽しめる場として賑わっている。 アートという難解さを含む文化が、誰もが集まる「お祭り」の世界にどれだけ踏み込んでいけるのか。 多くの人がアートからメッセージを受け取れたら、こんなに楽しいことはない。 しかし現状はまだ遠く、アートの表現とは何であるか。 また人はそれをどう理解し、自分の中に吸収するか。 そういった啓蒙の場の提供も、アートフェアがまずできる役割になって来るのではないだろうか。 今回の横浜トリエンナーレにもぜひ期待したい。
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