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広島で考えたこと…

 2016年、オバマ前大統領が、アメリカ大統領として初めて広島を公式に訪れたことは記憶に新しい。  これまでの大統領はなぜ来ることがなかったのか。  オバマ氏の訪問は、広島の地をアメリカ大統領にぜひ見てもらいたいと願う人たちの、一つの夢の到達点であったという。  そして今後も、日本とアメリカとの関係が続く限り、この広島と、長崎の歴史は永遠に語り継がれることになるであろう。

原爆ドーム

 宮島永太良にとっては3回目となる広島だが、今回は市内を今まで以上に見て回ることができた。  大型都市の多くにあることだが、この広島も中心地が一つとは限らず、むしろ玄関口の広島駅より賑わっている箇所が市内に何か所かある。  そして広島駅周辺にも、東京・新宿の想い出横丁やゴールデン街を思わせる飲み屋街があり、個性豊かな店が軒を連ねている姿は、とても風流である。

 広島駅から出ている路面電車は何線かに分かれ、市内の各所に行くことができる。  この規模の都市であれば、地下鉄が主要な交通手段になっていることが多いが、広島市では地下鉄がなく、路面電車がそれに代わっているところが興味深い。

路面電車

 繁華街の一つ、八丁堀駅を過ぎたあたりから、広島港方面に行く線と、宮島口に行く線に大きく分かれる。  (他にも短い区間の線もあるが)分かれてすぐの宮島口行き方面に「紙屋町西」という駅があるが、もともと伊予国から伝わった紙の店があったことから付いた名前らしい。  そしてその次が、「原爆ドーム前」駅である。  この一帯は世界的にも有名な「平和記念公園」がある。  ちなみに以前、広島のこの地は「平和祈念公園」書く、と聞いたことがあるが、今どこを見ても「平和記念公園」となっている。  この場所の持つ意味を思えば「平和祈念公園」のが相応しいのではないかという気もするが。

 オバマ氏訪問の影響を受けてか、欧米からの観光客が多かったのは大変印象深い。  話し声も、英語をはじめ、フランス語やイタリア語らしい言葉も聞こえてくる。  おそらくアメリカ人だと思うが、中には星条旗を、めいっぱい印刷したTシャツを着ている男性もいた。  1945年8月6日の被爆の様子を生で伝えるかのように、原爆ドームは、当時の残骸をそのままの姿で見せている。  あらためて近くで見ると、本当に凄まじい。  もともと爆撃に耐えうるだけの強度を持った建物ということで、戦時中は政府の行政機関として使用されていたが、それを考えるとあらためて原子爆弾の衝撃がどれほどのものだったのかを想像できる。

原爆ドーム

 原爆ドームと平和記念公園にはさまれた元安川は、原爆が落とされた時、人々が苦しんで飛び込んだと言われる。  ここでどれだけの人の命が失われたのだろう。  それを思うと熱い哀しみが込み上げてきてならない。  しかしながら、日も暮れる寸前、元安川の水面に写った原爆ドームの姿は、非常に美しく、研ぎ澄まされた風貌を見せていた。  戦争の悲惨さが、長い年月を経て、平和への願いに浄化された様子と思えてならない。  その川を越え、毎年式典が行われている、平和記念公園に入る。

 公園に移植されたあおぎの木の話も感動を呼ぶ。  原爆が落とされた当時、三本のあおぎの木は幹が焼けてしまい、その後枯れてしまうだろうと思われていたのが、戦争を終えた翌年、3本とも新芽を出したというのだ。  この事実は、原爆で片足を失くした女性に、これからも生きようと勇気を与え、さらには多くの原爆被害者の希望の象徴となった。  この公園に移植されてから、現在もそのうちの2本が残っている。

原爆の子の像

 頂上に子供の彫刻を載せた「原爆の子の像」は、別名「千羽鶴の塔」「貞子さんの碑」とも呼ばれる。  2歳で被爆した佐々木貞子さんは、後遺症でかかった白血病の病床の中で、千羽鶴を折れば治ると信じながら、鶴を折り続けた。  思いも虚しく12歳で他界された貞子さんの願いを受け継ぎ、同級生たちが全世界の人たちに募金を募り、1958年に完成したのがこの塔である。  そして現在も全世界の子供たちから送られた折鶴が、この像の周囲を飾っている。

原爆死没者慰霊碑 原爆死没者慰霊碑

 「原爆の子の像」の前には、とてもレトロな雰囲気を持つ洋館があるが、これは被爆の前からある、唯一の破損していない建物であった。  呉服店、戦中の燃料供給所を経て、現在は公園内の売店兼レストハウスとして活用されている。  そこを離れ、まもなく行くと「平和の灯」と呼ばれる聖火が見えてきた。  そこから大きな池を経て進むと、アーチの形をした「原爆死没者慰霊碑」がある。  日本を代表する建築家・丹下健三の設計だ。  今回初めて気が付いたが、この慰霊塔のアーチの間からは、平和の灯と原爆ドームが重なって見えるように作られている。  つまり三者は一直線上だったのだ。  慰霊塔中央の碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」とう言葉が彫られている。  これからも、この言葉に嘘があってはならないと心から思う。  絶対にこの言葉を守り続けなければならない。  惨事から72年を経過した広島の地は、今や世界の平和を願う場所と変わっていったのだから。

原爆死没者慰霊碑
 

(文・写真 / 宮島永太良)

 
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