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住谷重光さんとの対談!  後編

 

住谷重光さんと宮島永太良
 

◎住谷重光(すみたにしげみつ)さんプロフィール

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画家
1950年7月18日兵庫県神戸市生まれ、蟹座、O型
1977年3月国立東京芸術大学油画卒業
神奈川県大磯町在住
「湘の会」主宰
町田よみうり文化センター講師
小田原カルチャーセンター講師
あらたま会会員
*個展、グループ展多数
詳しくは、
HP http://atelier-sho.jimdo.com ► へアクセス!

 

住谷重光さんと宮島永太良が、太平洋を臨む住谷家のリビングで
絵画制作について語り合った♪

宮島永太良(以後 M):場所も変わり、後半になりました。  改めて住谷さんに質問させていただきます。  現在、講師をお勤めですが、絵を教える時に心掛けていることは何ですか?
住谷重光さん(以後 S):20年ぐらいしていますが、究極、絵は自分で感じ、考えて描くものだから、人に教えられるものではないと思っています。  だから、生徒さんの作品に筆は入れず、お釈迦様や道元禅師も説いているように、「『我』のある『人間』はどこまで行っても不完全な存在、それに対して『自然』はある意味完全な存在、だから『我』を捨てることの大切さや意味」、そうした教えを伝えています。

宮島永太良

M :自然により近付けということですか?
S :答えが難しいですが、人が生きる意味、どう自然と向き合えば良いのかを考え続けて欲しい。  ゴッホは常にそうしていたと思います。  彼の作品は自己表現の様に言われているけれど、よく見れば「我」はなく「あるがままで良い」と言う想いが伝わって来ます。  その姿勢は、日本の影響があったからだと思います。

M :海外の人にしたら、日本はそうした存在だったのでしょうか?
S :西洋人から見れば、日本は思いやりも持った人々が住む国、それを象徴的に表す姿が、震災等災害時の礼儀正しさではないでしょうか。  それに加えて四季のある自然、また一神教ではないので、他を尊重しながら色々なモノが共存しているので、より味わいが増します。

住谷重光さん

M :確かに現在も外国からの情報も吸収し、色々な思想がお互いを認め合い共存する日本は、世界でも稀有な存在だと言われています。  そう考えてみると、私は良い国に育ったと思います。
S :確かに他ではあまり見られないユニークな国です。

M :ゴッホをはじめ印象派の画家たちは、日本のどこに惹かれたのでしょう?
S :答えになるか判りませんが、まず日本人は自然の良さを平面化する能力に長けていると思います。  そこをいち早く浮世絵などから理解し、どこかでお手本にしていたゴッホは、線でグイグイ描きながらも、自然を通して己が存在する宇宙全体を見ていた気がします。  あれは凄い。

M :自然の先を見ていると最終的には宇宙に到達するという意味ですね。
S :ゴッホの絵から、私は宇宙を感じます。

住谷重光さんと宮島永太良

M :話は戻りますが、住谷さんにとって教えることを通じ、自然を感じて欲しいと言うことですか?
S :そうです。  だから、具体的には自然との対話法を最も行っています。  見過ごしがちな自然から違う何かに気付いていただけたら嬉しい。  ただ、私は絵のキャリアは長いので、モノの見方、素材の使い方等、技術的なアドバイスはしています。

M :かつて、私も一年だけ絵を習っていたことがありますが、その時の先生が「自分は絵に関して何も教えることはできないけれど、紙や絵の具選びの助言はするので、感性はそれぞれで磨いて欲しい」と、言われたことが甦りました。  ただ、絵の先生でそうした視点を持てない残念な人もいますが、究極、人は皆違いますからね。
S :そうです。  生徒さん、ひとりひとりの制作風景を見ていると、絶対私には描けない絵を描いています。  そこが重要なポイントですが、本人は気付かず、いくら褒めても自覚しません。

M :絵だけではなくあらゆる分野で、実は先生より凄いことをしている生徒はいるのだけれど、本人だけが自覚していないことがありますね。
S :加えて絵で大変なのが止め時。  生徒さんを見ていて、もう筆を置いても良い頃なのに、それが判らずどんどん描き加え、最終的にはせっかくの作品を台無しにしてしまうことがあります。  やはり塩梅が難しい。

相模湾を望む

M :第三者による客観的な視線で見れば判るけれど、確かに止め時は自分ではなかなか判らず難しい。
S :私の場合、だいたい自分が「あっ、ここはいいな」と思ったところは、最後に邪魔になるから、壊さざるをえないことが多い。

M :友人が具象画で好きな人を周囲の人も認めるほど完璧に描き、展示したにもかかわらず、展示終了後にまた描き加えたそうです。  本当に人それぞれ。
S :作品に関して他人が何を言っても、最終的には自分で決めるものです。 ところで、宮島さんは絵を続けていてどうですか?

M :「絵のこと判りません。 描けません」と言わなくて済むので、描いていて良かった(笑)。  また、絵について語る機会が稀にありますが、私への質問時に「絵のことが判りませんが…」と前置きをして話し始める方がいます。  あれって最初から絵と自分の間に防波堤をつくっている感じがします。  そんなこと言わなくても良いのに、やっぱり絵やアートに対して身構えるのかな。  この場面に出会うと絵に関わっている私としては微力ながら、そうした方々と絵を繋げるのも役目だと思います。  それから、絵をやっていて一番良かったと思うのは、言葉の壁のないこと。  例えば、想いを人に伝える時、字に加えて描けば、気持ちをより素直に伝えられるのではないでしょうか。
S :究極、絵とはコミュニケーションですね。

M :だからこそ、全ての作品は人の目に触れることで生きてくると思います。
S :私も同意見。  私自身、絵があって良かったなと思うことのが多いですね。  中でも不思議なのは良い出会いが増え、同好の士が集まって来ることかな。

M :それは発表するからです?
S :いいえ、日常的にそうです。

M :確かに写生とかしていると、覗き込んでくる人と知らぬうちにコミュニケーションを取り始めますね。  やはり「類は友を呼ぶ」でしょうか。
S :それが悪いことばかりを考えていたら、悪人ばかりが寄って来ますよ。  また、今の世の中は酷いことが多いと言うけれど、私には良いことの方が多い(笑)。

あらたま展て

M :でも、世の中って根本的には良いことを見ている人の方が多くて、それが、何かの具合で悪い流れに行ってしまうのではないですか?  だからこそアートに関わっている人は、人間の良い部分を引き出すのが役目の一つだと思いますね。
S : 東北大震災の復興に関しても美の必要性を実感しました。

M :「真善美」と言われる様に、「美」は人間の理想の三要素の一つ。  重いです。
S :話は少し外れるかもしれませんが、最近、私はゴッホを見直し、改めて知ることがたくさんあります。  例えば、悲劇を生むアルルでのゴーギャンとの共同生活ですが、あのゴッホの発想は日本の禅宗の修行法が源らしい。  また、ゴッホは作品と共に色々言われていますが、彼は描く際、自然も人も対象をじっと見つめ、関係性を築いていたはず。  それが大切です。

M :ただ、現代は起きている間、スマホやPCの画面等バーチャルな世界を見ている方が多いかもしれません。
S :それは時代の流れで仕方がないけれど、アートの本質は、ゴッホの様に対象物を凝視することから始めることで、それが普遍性に通じると思います。

M :アトリエでも話しましたが、幼い頃に見ていたウチで見ていた画集で最も心惹かれたのはゴッホでした。  やはりゴッホも日本人に影響を与えていますね。
S :そうです。  本気でゴッホを語り始めたら終わりがありませんよ(笑)。

M :こうしてお話をしていて、アートに携わることも毎日毎日が修行だと判りました。  学ぶことに尽きることはありませんね。  ありがとうございました!

住谷重光さんと宮島永太良

(文・写真 関 幸貴)
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