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☆ 未来へのミラー ☆      宮島永太良

人の記憶は定かではありません。 宮島永太良がこれまで歩んで来た道のりを思いを込めてほんの少し振り返っています…

第10回 悩みと共に…

雲

 剣道部の活動は結局進歩せず、三年生になってすぐに部活からフリーの身となった。  しかしこの時代はこれでよかったのかもしれない。  高校受験が控えており、我が校の場合を考えれば部活を一所懸命やったところで入試に有利なわけでもなく、自分自身を考えても、この時の剣道技術では何一つ世間にアピールできるものはなかった。  ならば消去法でも勉強に集中した方が良いというわけだ。

小田原駅

 おじいさん先生はというと、そんな緊張感をよそに、かなりずれたことを言い始めていた。  この頃になると学校の宿題を一緒に片付けてくれるのが精一杯で、ある時は時間中にやりきれなかったので「あとは自分が家に問題集を持って帰って解き、明日速達で学校に送ろうか」等と言うのだった。  もちろん断ったが、そんなことをされたらどうなっていただろうか。  おそらく宮島宛に謎の郵便物が来たと問題になり、私は呼び出され「誰に宿題をやらせた」と担任から叱責を受けていたことだろう。

パン屋

 この時点で私も親もおじいさん先生に見切りをつけたのだが、それらしいことを親が告げた時「じゃあもう来なくていいですね〜」とあっさりとしたものだった。  その後この先生は私が二十歳を過ぎても毎年年賀状をくれたが、ある時急に来なくなった。  私はこの時点で先生の別世界への旅立ちを悟った。

 遊びでは、当時インベーダーゲームが流行った。  今のデジタルのゲームの走りの走りである。  通学路途中にもインベーダーゲーム機を設置した駄菓子屋やゲームセンターがいくつかあり、そこは下校時間になると生徒のたまり場と化していた。  しかし私はこのゲームがうまくできなかったので、仲間から学校帰りに誘われるのが嫌で仕方なかった。  できるだけやらないようにして観戦する側に回っていたが、見ているところで何ら面白くもなかった。  しかし今となっては、ゲームセンターのコーヒーと煙草が混ざったような不健康な匂い(大人も来ていたので)の記憶は、なぜか角川映画のテレビCMとともにノスタルジーを醸し出してくれる。

海岸

 またこの頃、女子生徒と話すのがなぜか急に恥ずかしくなってしまった。  小学校から一緒に進学してきた女子はまだよいものの、中学で初めて会った女子は、少し話しかけられただけで赤面してしまうことも少なくなかった。  やはり中学二年生頃の女子、特に小学校時代を知らない女子は、急に大人の女性と話すような感覚だったのだろうか。  「これでは一生女性とコミュニケーションができないだろうし、そうなれば結婚も無理かもしれない。  高校も男子校に行くしかないか!?」と真面目に考えてしまった。  結局は共学の高校へ進むのだが。

女子生徒
space

 女子生徒と言えばこの時代、体操服に今ではほとんど見られないブルマーを着用していた。  シャツは男子生徒と一緒なのに、下は男子が短パンなのに対しブルマーだったのが不思議だった。  同じ短パンでもおかしくはないと思うのだが。  ブルマーは小学校の時からだが、中学生の体でこれを着けられると、年頃の男子はかなり悩ませられる。  この時の衝撃が大きかったのか、現在の自分の作品にもしばしば影響しているほどである。  中学では冬場はジャージズボンもあったが、わが校では冬場も積極的にブルマーが目立った。

  ステンドグラス

 そして小学校時代に得意だった美術は、中学ではそれほど熱が入らなかったが、それに輪をかける出来事があった。  2年進級と同時に赴任してきた美術の男性教師がかなりのひねくれ者で、赴任の挨拶で最初から「この学校は汚い 」「生徒がどうかしている」「僕はそれに物を申す怖い教師です」等と平気で言うのであった。  日本画を専門にしていたらしいが、実際美術の時間になると「お前たちの中で一定基準以上の絵を描ける奴はほとんどいない」等と発言し、さらには「お前たちのようなレベルの低い奴らに美術教室は使わせられない」と言って、皆廊下で版画を彫らされたりした。

 このような環境の中で、自分自身が小学校時代に絵を好きだったことすら忘れ去ろうとしていた。

除く写真:関 幸貴) 
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