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あるべるとさんインタビュー!

 

あるべるとさん
 

◎Jonans Arberto(あるべると じょなんず)さんプロフィール

「あるべると」は、横浜野毛の怪しい店で名付けられた通称。

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1963年4月14日北海道札幌生まれ、牡羊座、B型。
京都の専門学校を中退。
自己分析は、「ワガママなB型」。
人生の師は、明石家さんまさん。
2015年晩夏から初冬まで、
108日間世界各地を巡るピースボートに乗船。
Art Qメンバー。
2月のグループ展では海外で撮影したマルタの写真を発表予定。

Facebook:
https://www.facebook.com/jonanz.arbert?fref=ts ►

 
 

あるべるとさんに桜木町のパブで人との出会いを語っていただきました!

宮島信編集部(以後 Q):
よろしくお願いします。  ところで、あるべるとさんは、どんな子ども時代でしたか?
あるべるとさん(以後 A):
友だちが多く遊んでばかりの毎日。  小学校から中学校にかけては、可愛いい女の子との出会いを求めて隣町まで自転車で遠征する日々の繰り返し。  仲良くなるためにかなり頑張って、冬は雪の中を滑りながら走りましたが、夏には見事な夕焼けも見られました。

枯葉

Q :可愛いい子探しのパトロールのようですね。  出会いはありましたか?
A :「こんにちは!」と挨拶するぐらいで特に成果はありませんでしたが、なんだか楽しかったです。

Q :当時はどんな夢を描いていましたか?
A :初めて夢を見たのは高校生時代で、フランス料理のシェフになることでした。  そのため、NHKのフランス語講座で勉強に励みましたが、友人が貸してくれた1冊の小説との出会いで違う職業(?)に心が傾きました。

Q :それは何ですか?
A :「太鼓持ち」、「幇間(ほうかん)」です。  仕事の内容は、芸者さんたちとお座敷に出て、芸と言葉で座を盛り上げる役、「男芸者」と呼ばれたりもします。  借りた小説の主人公が太鼓持ちで、あまりにカッコ良かったのですっかり憧れてしまいました。

Q :どこが良かったのですか?
A :自分を見せないで笑いを取るところ、とにかく粋な感じを受けました。

あるべるとさん

Q :太鼓持ちになるため、具体的にはどう行動したのですか?
A :高校卒業後、太鼓持ちの本場だと考えた京都の専門学校に進み、密かにチャンスをうかがいました。

Q :どうなりました?
A :それが、学校の傍らアルバイトでファミレス勤めをしていたのですが、接客する京都人の態度が面白くて、ついバイトにはまってしまいした。

Q :京都人のどこに興味を持ったのですか?
A :昔から、「東男に京女」と言いますが、お客さんの京都女性から強いインパクトを受けました。  例えば、カップルで来て料理をオーダーするのは全て女性、お勘定は男性。  何故かそんなシーンを見ているのがすごく楽しかったので、私は学校へは行かず、太鼓持ちの夢も忘れ朝から晩までバイトに邁進。  最後には、正社員に誘われましたが、ズルズル流されたくなかったので1年後に故郷に戻りました。

札幌時計台

Q :19歳で、地元に戻ってからは?
A :一人暮らしをしながら、今で言うカフェバーに25歳まで勤めました。

Q :やはり接客業ですね。  その頃の生活はどうでしたか?
A :何店舗もの系列店で働きましたが、お客さんに美しい女性が多かったので、なかなか楽しかったです(笑)。

Q :女性たちはどんな職業の方々ですか?
A :デパートやファッションビルに勤めている美容部員の女性たちです。  まだ若かった私はお酒をはじめ色々なことを彼女たちから学びましたが、25歳の時に体調を崩してしまったので、体を治すためにカフェバーを辞め、コンピューター関連の仕事に転職。  勤務の都合で関東へ移り、最初は千葉の船橋にいたのですが、その後、横浜住まいになりました。

Q :四半世紀前のお話ですね。  当時の横浜はどんな感じでしたか?
A :街より、その頃出会ったロコさんやカブキさんとの縁を感じます。  横浜ジャズプロムナードが初期の頃で、私はジャズクルーとして働いていたのでロコさんたちとは、そこで知り合いました。

Art Qメンバーと

Q :ロコさんはどんな感じでしたか?
A :ロコさん、若くてカッコ良く、「殿上人」っていう感じでした(笑)。  ジャズクルーは特製のウィンドブレーカーをもらえるのですが、それに絵を描いてもらいました。  それから、当時、私は紅葉坂辺りに住んでいたので、ロコさんが桜木町のガード下に描いた絵を撮影しに行っていました。

Q :では、ロコさんとは20年近くもお付き合いをしているのですか?
A :いいえ、それが違うんです。  実はウクレレを9年前から始めたのですが、その頃、琢磨仁さん啓子さんのライブを楽しむために金沢文庫芸術祭に行ったのですが、そこで絵を描いているロコさんに会ってから、現在のようなお付き合いに発展しました。  ウチにはカブキさんも一緒に写っている記念写真があると思います。  それが始まりで、大岡川桜祭りや野毛大道芸で遠峰あこさんや、ピアニストの小倉まこさんやケンちゃんと知り合い、現在に至っています。  本当に人との縁は味がありますね。  この先、横浜をベースにどう広がって行くのか楽しみですよ。

・ありがとうございました。 次号から宮島永太良さんとの対談になります。 
よろしくお願いいたします。

おわり


日本丸
(文・写真 関 幸貴)
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