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☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆     文 宮島永太良

このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。

〇 出会った人はみな財産

 かつて生前の大屋政子さんが、このタイトルの著書を出していた。
 以前私の知人でこの言葉が好き、というか好きになったつもりの人がいたが、その人は何を間違えたのか、よく「『人は財産』だからな」とことあるごとに言っていた。

宮島永太良

 ずいぶん短くなってしまったが、その人は他の人にもこの言葉を言って説教していたらしいのである。  ある時「そんな考え方はおかしい」と誰かから反論されたことにすごく腹を立てていたが、おそらく「出会った人はみな財産」ではなく、いつものように「人は財産」と言ってしまったのだろう。  その言い方だと少し誤解を招くこともあるだろう。
 世の中には「財産」とかいう言葉を聞くと、頭ごなしに反感を持つ人がいる。  例えば「財産なんて金持ちだけが持っているものだ」「自分ら貧乏人はそんなモノや金などなくても生きて行ける」とか言うように。  そういう場合「財産」というのは良い意味で捉えられないので「人は財産」と言ってしまうと、「人をお金のように利用するのか?」「人を騙すのか?」というマイナスの意味に、自動的に捉えられてしまうのだろう。  では「出会った人はみな宝」といえばどうだろうか。  おそらく「自分も宝物のように大事にされている」と良い意味で理解されると思う。  大屋政子さんがタイトルで使用したのも「宝」の意味での「財産」なのではないだろうか。  しかし宝でも財産でも、そこに愛情がなかったら、どうにもならない。 ただの持ち腐れになってしまう。

大仏像

 最近、テレビで自分の宝物=自慢の品を持ち込んで鑑定してもらう番組があるが、出品者は、自分の物がたいして値がつかないということを知ると、首をうなだれるように帰っていってしまうことが多い。  また、以前中国でも同種の番組があり、そちらでは大して価値がないとわかると、その場で破壊してしまうらしい。  しかし、それはどうだろうか。 鑑定家や評論家が下した判断は、あくまで世間一般的な評価であり、それが世間的にどんなチープな価値であろうと、持ち主からしたら二つとない宝、ということはないだろうか。  例えば昔、好きだった人が初めてくれたボールペン、といったようなものは、自分だけだ最高の価値を見出せる宝物ではないだろうか。  確かに自分の評価を世間でも認めてほしいという考えは誰にでもあるだろう。  しかし、どの人が見ても宝と感じるものより、自分だけがそう感じるものがあることがどれほど貴重だろうか。  それは対人に関してもいえることである。 自分がすごく大事に思っている人でも、他人から見ると「偉くもない、頭もよくないあの人をどうしてそんなに大事にするのだろう」などとと言われることは少なくはないだろう。  出会った人の地位がどうであろうと、回りの多くの人に、自分なりの価値を見出すことができたら最高だろう。  人に価値を多く見出している人は、自分も人価値を見出されるようになるかもしれない。

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