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宮島永太良、大野愛さんと語る! 前編

 

大野愛さんと宮島永太良
 

◎大野愛(おおのめぐみ)さんプロフィール

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画家。
1988年8月12日神奈川県横浜市生まれ、獅子座、A型。
早稲田大学文学部美術史コース卒業。
卒業後、作品制作に励み、個展、グループ展等で発表。
Art Qメンバー。

大野愛 Oil Painting - Facebook ►
MEGUMI OHNO Illustration ►

 
三渓園 - up & down -
「三渓園 - up & down -」2015年by大野愛
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横浜港大さん橋で大学の先輩 / 宮島永太良と後輩 / 大野愛さんが、元町、大学、
絵について語り合いました。

宮島永太良(以下 Q):今日はよろしくお願いします。  ところで、大野さんは生まれも育ちも横浜の元町辺りだとか?
大野愛さん(以下A):はい、元町寄りの石川町です。

元町

Q :アートと関係ないですが、私は元町辺りがすごく好きで、話を聞いているだけで、あの商店街を想像してしまいます。  大野さんの様に住んでいる方が羨ましい。  同じ神奈川県小田原出身の私ですが、子ども時代、最も近い大都会は横浜。  その延長線と元町好きの母の影響が重なり、好きになったのかもしれません。  昔、鎌倉のお墓参りの帰りに、大船から根岸線に乗り換え、時々元町を訪れました。  今思えば、子ども向けの町ではありませんが、ただ一軒だけおもちゃ屋さんがあったのを覚えています。
A :元町のどこが良かったのですか?

Q :どこでしょうね、具体例があげられません。  小学校低学年の自分に問いたい。  最近のエッセイにも書きましたが、一味違う感性を持った子どもだったのかもしれません。
A :大人っぽい小学生だったのですね。

Q :元町関連の思い出話をもう一つ。  記憶が正しいかどうか分かりませんが、昔の根岸線の色は、今と違い緑色が混じった青ではなかったですか?
A :そうです。  私の子どもの頃の根岸線は緑、エメラルドグリーンでした。

Q :ちょっと変わった色、絵の具で作りづらい色でしたが、記憶に間違いがなくて良かった。  とにかく、好きな町へ連れて行ってくれる電車の色が気に入ってしまい、今でも青緑色は使っています。
A :見方を変えると好きな電車の過去の色を意識し、それを今も作品に反映しているとも言えますね。

大隈講堂

Q :そうですね。  ここで質問を変えます。  我々二人には、共通点が多い様に思います。  
まず、出身大学が同じ。
A :早稲田大学です。

Q :ただ、私は3年生から早稲田大学文学部の美術史コースに編入したので2年間だけの在学でした。
A :でも、同じ美術史だから本当の先輩になります。

Q :それにお互い一人っ子。
A :えっ、宮島さんもそうなのですね。

Q :はい。  で、前号の大野さんのインタビューを読ませていただいてシンパシーを一番感じたのが、大学卒業後は学芸員になろうとしていたことでした。  実は私もそう考えていたのですが、やはり紆余曲折があり、自分は表現する側だと思い至りました。
A :同じ、私も色々やっているうちに「自分は描きたいのだ」と分かりました。

Q :ところで美術史の講義はいかがでした?
A :4年生まで全西洋東洋、日本の美術史を学びましたが、卒業論文は自由でした。  私はボランティアをしたことがあり、地元開催で興味のあった「横浜トリエンナーレ」をテーマにしました。

Q :それは2008年です。  何故かと言えば、イベント等を西暦で記憶するのが私は得意(笑)。  だから、3年に1度開催予定のトリエンナーレの第1回は2001年、第2回は04年のはずだったけれど1年ずれ込んで05年になり、第3回は08年に開催されました。  その頃、大野さんは大学生だったのですね。
A :そうです。  「愛知のトリエンナーレ」をはじめ各地を巡り、内容を調べ比較して卒業論文を仕上げました。

宮島永太良

Q :私の卒業論文は「モンドリアン」。  しかし、早稲田の先生は東洋の仏像等を研究している方が多かったので、見てくれる人を探すのが大変でした。  それで最終的には非常勤講師の方に落ち着きました。
A :確かに近代現代の先生がほとんどいなかったです。  でも、私たち自由だったので、先生の専門外、例えばガラスをテーマにして人もして、それぞれが好きな分野に挑んでいました。  そうした状況だったので、先生は、「自分自身が、もっと勉強しなければ」と、とても忙しそうでした(笑)。

Q :学士入学だったので周囲はほとんどが年下。  その中の一人が、日本の古代美術専門の先生に、映画のことを書き見てもらっていました。  何故かと思ったら、映画の舞台が天平時代だったからだそうです。
A :面白い。  昔から美術史コースはユニークだったのですね。  それに宮島さんとお話して、先生のお名まえを出したら、すぐに分かってしまいそう。  ちなみに私の卒業論文の担当は綺麗な女性の坂上先生。  坂上先生は真面目な学生だったようですが、他の先生は学校にいない方が多かったそうです。

Q :8月に馬車道大津ギャラリーでの大野さんの個展の時、拝見したラファエロ等の模写作品がありましたが、あれも美術史を勉強された影響ですか?
A :個展「なびくだに」での展示作品ですね。  それもあります。勉強した中で私が好きな作品を選びました。  まだシマシマ画風に到達以前のことです。

Q :あれは油ですか?
A :そう、油絵です。

Q :余談ですが、あの頃のラファエロとかダビンチの絵は、科学だったのではないかと思います。  例えば、レオナルド・ダビンチってあらゆる意味で天才、その彼が描く絵も科学だったのじゃないかと思います。  今は普通に理解されている「遠近法」も、当時は難解なこと。  また、好きな絵の具を作ること自体もかなり知識が必要だったと思います。  だから、現在より絵と科学の距離は近かったのではないかな。
A :それ、あるかもしれません。

Q :大野さんは、なりたいものが色々あったようですね?
A :画家になる前は学芸員、資格も取得しました。  でも、学芸員になるには大学院を卒業しないと、就職が難しいのが現実。

Q :私も学芸員の資格を取得していますが、大学院を卒業したからといって、すぐに就職できるのではなく大学院に在学しながら、順番待ちをしていないといけない。
A :また、美術館等の受け入れ側でも誰かが退職しないと、次の募集はないと聞いたことがあります。

大野愛さん作品

Q :ところで、学芸員の実習はどこでしたか?
A :早稲田大学内の小さな美術館でした。  夏休みに1限から5限まで毎日通って、取得しました。

Q :大野さんの大学時代の夏休みは中学時代同様、忙しかったワケですね。
A :夏休みは何故かそうなります(笑)。 宮島さんはどちらで実習を?

Q :和光大学時代に取得しました。  それで大好きな横浜美術館へ行こうと思っていたのですが諸事情でダメになり、その前に決まっていた東京の中野にある三井文庫別館で行いました。
A :それは良いですね。  私も外に出てみたかったのです。  でも、やっぱり資格の授業を受けていても手先が不器用だから、テグスを結べなかったりして大変でした。

Q :作品展示に必要ですが、私も同じでヒモやテグスを結ぶのが不得手でした。
A :本当に結ぶのが難しかった。  他にも掛け軸の持ち方、巻き方等もあったし、重い屏風を持たなければいけなかったから、大変でした。

Q :もう、学芸員になる気はありませんか?
A :ありません。  美術史を学んでいましたが、絵を描く授業がないので作品を見る視点がそれまでと違い、作家の背景に目が行き、描き方に対しての解釈が足りない気がしました。

Q :私は2部だったので実技の授業がありました。  でも、石膏デッサンをするのではなく、実践に伴うニカワ絵の具の使い方を習った記憶があります。
A :やはり絵は、文字だけを追ってもダメ。  私は、描かなければ見えてこないことがあると思います。  それで、自ら描くことを選びました。

Q :大野さんとか私のように描いた経験があれば良いけれど、全く描いたことのない人も模写をしていました。  それはそれですが、知り合った学生の一人は、たまたま受かったから美術史に進み、「人の作品をあれこれ言っているだけで楽そうだから研究者になりたい」と言っていました。  その言葉で、美術に対して方向性が人それぞれだと分かりました。  だからこそ、私も描くことを選択しました。
A :同じです。  作家の一生を追っているだけでは絵に表されている気持ちは読み取れないと思います。  自分で描いていれば、学芸員にならなくても他の作家の作品を見て、気持ちが少し分かるのではないかと、私は思っています。

Q :やはり、人それぞれ。
A :私も大学で美術史をやったお陰でそれが鮮明になりました。

つづく


大野愛さんと作品
「漕ぎ出でな」2015年by大野愛

 

大野愛さん個展情報 etc
12月10日(火)〜13日(日) グループ展「imagine〜あした〜」
12月15日(火)-27日(日) 個展「おのがゐる」
会場は全てgallery fu(石川町):http://galleryfu.com ►

(文・写真 関 幸貴)
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