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☆ 未来へのミラー ☆      宮島永太良

人の記憶は定かではありません。 宮島永太良がこれまで歩んで来た道のりを思いを込めてほんの少し振り返っています…

第7回 大人趣味の小学生

宮島永太良

 小学校では2年に一度クラス替えがあった。  つまり6年間のうち、3パターンのメンバーのクラスを体験するのだ。  担任は必ずしも同じではなかったが、私の場合きっちり担任も、2年に一度の交代だった。

小学3年生になった私の担任は、親の世代よりも少し上、当時で50代前半だろうと思われる、ベテランの女性の先生だった。  今思えばこの先生にはかなり迷惑をかけたかもしれない。  昔ながらのたたき上げの小学校教師という感じで、その初老っぽい見かけとは裏腹に、体育の授業もこなすし、プールに入って水泳の指導もしていた。  また音楽の時間にはオルガンも弾き、一通りなんでもできる先生だった。

小田原城の堀

 こんな先生には教わることもいろいろあったに違いないが、勿体ないことに、この頃、私は学校があまり好きではなかった。  学年のはじめ、水疱瘡にかかり出遅れたことも原因したかはわからないが、学校で勉強するよりも、家に帰ってテレビを見るのが好きな子供になっていた。  担任が嫌いだったわけではない。  むしろ好きな先生だった。  ならば友達でうまの合わない子がいたのか?  確かにいたかもしれないが、今となってはアンチ学校の原因ははっきりとはわからない。

かもめ

 その代わり、好きなテレビのレパートリーは凄かった。  みんなが好きなドリフターズや欽ちゃんの番組などはもとより、森光子や京塚昌子主演のファミリードラマ、物語は解せずとも雰囲気がよくて見ていた「傷だらけの天使」や「Gメン75」。 はては「11PM」までこの歳で見ていた。もちろんこれも意味はわからないが、わからないながらもその怪しげな雰囲気が好きだった。  (場合によっては出演者の言っていることが全く理解できないこともあった。)

小田原城

 こうした大人趣味(?)は音楽にも表れていた。  すでに小学校前から、クラシックやロックを無意識に聴く機会を得ていたが、この頃は父が若い頃聴いていたモダンジャズのレコード(ソノシート)を戸棚から発見し、勝手に聴いていた。  もちろんモダンジャズなどというジャンルを知るわけではないのだが、何となく耳心地がよかった。  ある時など、朝からレコードの一枚に聞き入って、学校を遅刻したこともあった。  今思えばそれはソニー・ロリンズのサックスの曲だ。

マンホールの蓋

 このレコードを聴いていた張本人の父は、その頃長年勤めたガスの会社を辞め、新しい事業を始めようとしていた。  すでに何人かと物販を始めており、家にもよく商品を持ってきていた。  その中には健康に配慮した食品や、添加物の入っていない洗剤など、この時代では斬新なものもあり、私もそれらに触れて子供ながらに、にわか興味を持った。  そして父に、新しいビジネスをぜひ成功させてほしいなどと、これまた子供ながらに本気で思ったものだ。  そんな気持ちからか、画用紙に鉛筆とクレヨンで、商品カタログのようなものを、商品名と値段入りで描いたりしていた。  帰ってきた父に見せて、間違いがないか確認などもした。  本当のカタログは別にあることはわかっていたが、自分なりに何か力になりたかったのだろう。

  町名表示

 幼い頃から絵は好きだったが、この頃になると、このカタログのように純粋に絵ではない、いわゆる「規格」を持った描き物もよくしていた。  代表的なのが地図だった。 なぜかこの頃地図に興味を持ち、あちこちの地図を見ては自分でも真似をして描き、やがて自分で勝手に作った町の地図も描いていた。  こんなふうに子供らしからぬテレビを見たり音楽を聴いたり、また絵は相変わらず好きで、完全な家型少年であった。  あまりに家が良かったのか、一週間ほど軽い登校拒否のようなになり、最後の方には担任のベテラン先生が迎えに来たこともあった。  たった一人の生徒のために家まで来てくれた先生に、今思えば感謝するしかない。

小田原提灯

 ただ、小学校3年の時、祖母に親戚に会うために連れていってもらった名古屋は、夢のように素晴らしい場所だったのを覚えている。  やはり家以外の場所も好きだったのか?  名古屋名物「きしめん」を食べた時、あまりに美味しかったの で、9歳の子供にもかかわらず3杯食べたことは忘れられない。

(写真:関 幸貴) 
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