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ピアニスト 小倉まこさん登場♪ 前編


小倉まこさん

◎小倉まこ(おぐらまこ)さんプロフィール

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7月29日横浜生まれ、獅子座、A型。
横浜市立南高等学校卒業、
洗足学園大学音楽学科教育学部卒業。
大学卒業と同時にピアノ、電子オルガン講師として活動を開始。
クラシックピアノを、渡辺光子、佐々木和子、清田千津子各氏に師事。
ジャズピアノを、市川秀男氏に師事。
ピアノ教室を主宰しながら、数多くのコンサート、コンクール等に出場。
イベント等も手がけ、幅広い分野で音楽活動を行っている。
バンド「遠峰あこと爛漫社中」のメンバーでもあり、
今春、大さん橋で行われた「花まつりコンサート」にアルトサックスの
白庄司孝さんとデュオで出演、好評を博した。

☆まこさん情報
http://makotopics.blog92.fc2.com ►
https://www.facebook.com/masako.ogura.1?pnref=friends.search ►

 

まこさんがピアノとの出会いを語ります♪

宮島通信編集部(以後・Q):今日はよろしくお願いします。  まず、最初の質問です。  まこさんの子どもの頃の夢を教えてください。
小倉まこさん(以後・A):幼くて自分に何ができるか分からなかった頃の夢は、漠然とバレリーナになることでした。  しかし、その望みを母に対して一度も口にすることはありませんでした。  もし、話していたら、今とは全く違う人生を歩んでいたでしょうね。

Q :バレリーナとは、予想外の答。芸術方面ではありますが、音楽関係ではなかったのですね。  では、ピアノを始めたのはいつ頃ですか?
A :4歳ぐらいだったと思います。  おじいちゃん子だった私が可愛かったのでしょうね。  祖父は、私がピアノを習うのとほぼ同時にアップライトピアノを買ってくれ、その流れで母に連れられレッスンに通い始めました。  でも、当時の私は、ピアノにあまり興味がありませんでした。

ピアノ

Q :何故、ピアノだったのですか?
A :私が選んだワケではありません。  当時は今ほど習い事の種類がなく、多分、母親がピアノを習わせたかったのだと思います。  他に書道や絵も習っていましたが、どれも自分から途中でやめたことはありません。

Q :しかし、結果として、まこさんはピアノを選んだワケですね。
A :でも、それに関しては直線的にピアノに進まず、かなりの紆余曲折がありました。  実は、小学6年から高校2年まで母の事情でピアノレッスンを中断、ピアノは遊びで弾くぐらいでした。

Q :その間、何をしていたのですか?
A :実は私、運動が得意で小学校時代から走るのが速く、100mは13秒台、ハイジャンプでは記録も持っていました。  だから、中学校に入ってからは陸上競技に没頭。  そして、横浜南高校入学時の進学希望は、なんと体育大学、本当にバリバリのスポーツ少女でした。

小倉まこさん

Q :えっ!  ここ数年、アラメ会等でまこさんとお付き合いさせていただいていますが、当時のイメージと現在は、かなりかけ離れています。  でも、どうして再びピアノを始め、音楽の世界に進んだのですか?
A :それが、南高校に入ってから、身長が1m56cmの私は、専門のハイジャンプで大会に参加しても周囲には、背の高い選手がいっぱいで成績も芳しくなく、運動面では挫折を味わいました。  でも、幸いなことにちょうどその頃、南高校の真ん前に私が最初に習ったピアノの先生が結婚をして、引越しをして来たのです。  全くの偶然でしたが、それが復活の兆しになり、ピアノレッスンを再開しました。

Q :レッスンはどんな感じでしたか?
A :記憶が定かではありませんが、再開した当初は、部活の合間に好きな曲を練習するぐらいでしたが、音大受験を決めた後は、かなり一所懸命通いました。

Q :進学希望が体育大学から音楽大学に変わったのは、いつ頃で、動機は?
A :高校2年で陸上に少し挫折した後、頭の中から体育大学が消え、担任と進路を考えた時、選択肢から不得意分野な理系が消え、最後に音楽が残りました。

Q :それは、どうしてだと思いますか?
A :不思議ですが、幼い頃からピアノに親しんでいたので、自分自身では自然な対応でした。  例えば、高校で芸術系の選択授業で音楽、美術、書道があった時も、迷わずに音楽を選んでいますから、いつしか自分でも知らぬ間に音楽が、心の支えになっていたのでしょう。  それで、陸上ではダメだったけれど、音楽で頑張ってみようと思いました。

ピアノ

Q :そうか、まこさんの心には音楽が根付いていたのですね。
A :でも、高校時代の陸上部も楽しかったですよ。  だから、当時の仲間と今も年に一度は集まっています。  やはり体育の先生が多く、同級生の中には校長先生になった女性もいるし、変わり種は歯医者さんが一人と私かな。  でも、それもありですね(笑)。  色々なことを思い返すと、あえて平坦な道を進まず、自分にしかできないことをやってみたかったから、私は音楽大学を選んだとも言えます。

Q :受験勉強は大変でしたか?
A :約6年間のブランクは、音大受験にとってかなりマイナス状況でした。  それで、受験まで毎日、毎日6時間はピアノに向かうと同時に声楽のレッスンも受け、皆様のお陰で難関を越えることができました。

Q :まこさんの高校時代は、充実した3年間でしたね。  
一旦、ここでお休みをして、以降のお話は次号でお願いします。  

つづく

(文・写真 関 幸貴)
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