☆ 未来へのミラー ☆ 宮島永太良
人の記憶は定かではありません。 宮島永太良がこれまで歩んで来た道のりを思いを込めてほんの少し振り返っています…
第3回大人趣味に囲まれて
大叔母の没後、3〜4歳の私には、既に大好きな物事がいくつかできていた。 そのうちの一つはクルマだった。 その頃(1968〜69年頃)の日本のクルマは車名もほとんど覚えた。 今よりもはるかにクルマの種類は少なかったが、それでも当時はいろいろなクルマがあると感動していた。 今も名前が受け継がれているクラウンやカローラ、スカイライン、少し前まであったセドリック、グロリア、コロナ、サニー、今では名前も忘れられているであろうベレット、コンテッサ、パブリカなど、当時は走っているクルマを見ているのが楽しかった。
親や家族に、ブリキでできた自動車のおもちゃ(一般に言う「ミニカー」とは少し違い、もっと大き目のもの)をよく買ってもらっていたが、今は全く残っていない。 おそらく小学校へ上がったくらいの頃、不燃物ゴミとして捨てられてしまったのかもしれない。 どんな種類を持っていたかもだいたい覚えているが、今ではものすごいプレミアがついている商品などもあったと思うので、非常に残念である。
そんな私の家に本物のクルマが来たのは、3歳後半くらいの時だろうか。 父親が初めての自家用車・日産ローレル(68年型・初代)を購入した時だった。 カラーはゴールドだったが、全然派手ではなく、むしろ風格のある色合いであった。
ローレルが我が家に来た時はとても嬉しく、思わず笑顔になってしまったのは忘れられない。 このように車好きの要因は、今となっては分からないが、おそらく当時見ていたテレビ番組の一つが影響あったのではないか。 推測だが、今になってそう思う。 それは、影絵作家として知られる藤城清治氏が監修していた「木馬座アワー」という番組である。 藤城氏は大の車マニアらしく、あのトヨタ2000GTを日本で一番最初に買った人として伝説が残っている。 「木馬座アワー」はケロヨンというカエルのキャラクターを中心にした子ども番組であったが、その中にもかなりの数の車が出ていたと記憶している。
音楽も、かなり幼い頃から馴染みがあった。家の中で聞いた音楽の影響も大きかったように思う。 クラシックが好きで声楽も嗜んだことのある母、ジャズ好きな父、ロック世代の叔父、それぞれが同居していた関係から、家のステレオでは様々な種類の音楽がかかっていたようだ。 当時は針を置いて音を出すレコード盤が主流、カセットテープすらまだ無かった。
特に母親と接している時間が多いだけに、クラシック音楽は幼稚園前からよく聞いた(というか聞かされた)記憶がある。 モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンなど、今でもこの当時に聞いた曲は覚えている。 ベートーヴェンの「交響曲第5番<運命>」にいたっては、何百回と聴いているかもしれない。 今でも部分を聞けば「運命」と分かる。 叔父が聴いていた音楽も記憶に残る。
叔父はビートルズ世代と言われる世代で、それ以外にもヴェンチャーズとか、ビーチボーイズとかもよく聴いていた。
中でも私が興味を持ったのは、イギリスのシャドウズというバンドの音楽であった。
1960年代初期にクリフ・リチャードのバックバンドをやり、ソロデビューしてからはビートルズにも影響を与えたという4人組である。
主に演奏のみの曲が中心で、たまにコーラスも入っているが、「アパッチ」という曲が特にヒットしたようだ(これは演奏のみの曲) 若干4歳くらいの私の心を動かしたということは、子どもにも受け入れられる要素を持っていたのだろうか。
こんな大人の趣味に囲まれた様子で、幼稚園に入園するようになるのである。