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好評連載!
 宮島永太良、沖縄へ特別編♪

第14回 「大切な思い出に誘われた沖縄の旅…」前編

 2013年12月6日、宮島永太良は沖縄県那覇市を訪れた。  この翌日には、「沖縄セルラースタジアム那覇」で開催される「キッズベースボールチャレンジ」に、マルタと共に応援に行くことになっている。  この催しは、それまでも全国各地で開催され、元プロ野球選手が子供たちに野球を教えるというもので、マルタも何回か応援に駆け付けているが、今回ついに海を越え、那覇での開催が実現した。  実は宮島は、このイベントが決まる前から、那覇のとある場所にもう一度行きたいと思っていたという。

沖縄県那覇市・泊港

 12月に入ったといってもさすがは沖縄。  日中は汗ばむほどの陽気で、半袖や短パン姿の人もあちこちにいる。  「この機会に、およそ10年ぶりに那覇市前島の地に来ました。  その間にも沖縄県内の他の場所には来ているのですが、ここは本当に懐かしいです」。  宮島にとってこの前島には、「前島アートセンター」と、通称「レッドカフェ」という思い出の場所がある。  「前島アートセンターは、沖縄での現代芸術を支援する機関でしたが、すでに現在は閉鎖されたと聞いています。  もう一つのレッドカフェは喫茶店で、私が勝手にそう名付けていたのですが、今もあるかが楽しみです」。  ゆいれーる / 見栄橋駅を下車、海に続く川沿いの道を中心に、民家や飲食店が地味に並ぶ前島の町。  アートセンターは残らずとも、10年ぶりに来たこの町並みの風流は、当時と全く変わっていなかったという。

海に続く川沿いの街並み

 時は2003年9月、前島アートセンターで宮島の敬愛するアーティストを含めた3人の講師による写真教室が開催された。  「講師の皆さんは特に沖縄の方ではなかったのですが、なぜか沖縄での写真教室というが面白そうだったのと、私の好きなアーティストが講師の一人だったことで申し込んでしまいました。  教室は二日間のプログラムで、それぞれ抽選で各講師の班に班分けされたのですが、偶然にもその先生の班になりすごく嬉しかったのを思い出します」続けて宮島は、当時の思い出を語る。  「前島は海に近い町ですが、まず海に向かって皆で被写体を探して歩き出しました。  海沿いに公園があり、コンクリートのタイヤのような格好のオブジェが並んでいるのが印象的でした。  同じ型から抜いたのかどうかが、とても気になりますが…」。

コンクリートのタイヤのような格好のオブジェ

 その公園とオブジェは今もそのままの形で残っていた。  これをスタートに、10年前の撮影を思い起こすべく、前島を歩いてみた。  現在は「とまりん」という波止場になっている港は、まだ素朴で不思議な感じだったのを思い出す。  沖縄各地で見られる屋根のシーサーも、なぜか歓迎してくれているように見える。

とまりん 屋根のシーサー

 川沿いの工場の塀には、日用品の実物をたくさんコラージュし、白一色に塗ってしまった大胆なオブジェがあった。  一見、大きなプラモデルのパーツのようだが、よく見ると蛇口や車輪、そしてゴルフクラブなどの姿が見える。  10年前の写真教室での経験は、今日になっても、町の中の不思議な一角をカメラに収めさせてしまう。  「私が以前から感銘を受けていた先生の写真作品は、普通のスナップ写真などとは違い、街角にあるが皆が見過ごしてしまうもの、細部に目をやらなければその面白さがわからない ものをたくさん撮っています。  この写真教室でも、そうした少し変わった視点で写真を撮るのが課題でした。  またその写真にどういうタイトルを付けるかも同時の課題で、これについても先生は得意技を持っていました」。

白一色の大胆なオブジェ

 この時の受講生もみなそうした芸当が好きな人たちばかりで、皆のカメラの向けどころを見て、道行く人が「一体、何を撮っているんですか?」と不思議がって聞いたほどだという。  そしてその休み時間に入った近くの喫茶店が、思い出のレッドカフェだった。  「偶然その店で先生と一緒のテーブルになり、2人だけで話す機会がありました。  先生はとても穏やかな方なのですが、表現は写真のみにとどまらず、かつては前衛芸術家として物議をかもす作品を多く作り、スキャンダラスな行動をたくさんしていました。  例えば、実物とサイズの違う偽札を作ったり、仲間と一緒に東京の街中を清掃パフォーマンスしたりと…。  1960年代にはそういう芸術家が多くいましたが、だいたいは『俺はすごかったんだヨ!』と言ったような鼻につく態度や話し方をする人が多いのに対し、先生はそんな過去は微塵も感じさせないほど、本当に物静かな語り口で自分を過大に物語ったりしません。  その時私は、先生が出たことのある雑誌に自分も記事を書いていましたという話をしたら『ああ、あの雑誌には大変お世話になりましてねえ』と、フレンドリーに答えてくれました」。

白一色のオブジェ

 先生の中にはいつも独自の静かな宇宙があり、人と会話する時も同時にその宇宙に自問自答しているような、そんな印象を受けたという。  「もしかしたら先生にとって現代芸術は『スゴイことをしている』のでなく、興味本位で試してみたくて仕方のないことの寄せ集めだったのかもしれません。  しかしその興味本位があまりに想像を超えているので、人々からは、とてつもない進んだことをしていると、理解されているのかもしれません。  それは確かに間違えではないのですが…」。  師とのひとときの対話の思い出の場所を、宮島はその後勝手に「レッドカフェ」と名付け、ここに来たらもう一度探そう、と自分に誓った。  しかし、残念ながら探し出すことはできなかった。  あるいはもうないのかもしれない。

 次号に続く…

お断り:
今号Roadでは、横浜 / 野毛編の予定でしたが、諸事情により沖縄編に変更させていただきました。 ご了承ください。

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