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■ 好評連載!
宮島永太良、箱根へ♪
第12回 箱根・芦ノ湖 灯籠流しの会編
夏休みに入り、心はずませる子どもたちが多くなる7月23日、宮島永太良は神奈川県箱根の芦ノ湖で行われた「流灯会」を訪ねた。
「流灯会」とは毎年お盆に行われる行事で、一般的に言えば「灯籠流し」、お盆の送り火である。 灯籠は大きな行灯型の物体で、その中に火を灯す。 大小100基以上の灯籠に祖先の名が記され、水上に浮上させながら、亡き人や見知らぬ先祖を想い、供養するのである。
「芦ノ湖畔にある日輪寺というお寺が催しているもので、小学校2年生の時からほぼ毎年見ています」灯籠を流す僧侶たちの中にも顔見知りができた宮島にとって、夏にはお馴染みの行事となっている。 「夜7時になると、灯籠を見るための船が出発します。 この船から見る灯籠は幻想的で、この世とあの世とが、このひと時だけ結ばれたような、そんな心持ちになります」。 今を生きる人間にとって、もちろん「あの世」は見たことがないのだが、それを彷彿させる場面が生まれるのは、まさに灯籠にこめられた、亡き祖先を想う心の集まりからだろうか。
「本来なら流して見えなくなるまで見送るのが供養なのでしょうけれど、最近は環境の問題もあり、時間が来たら取り込まなくてはいけないようです」そんなわけでこの幻想的な場面を見られるのも20時前まで。 お盆とは、亡くなった人の魂が帰って来るといわれる時期、その昔は「盆と正月」と、言われるほど、年間ではめでたい行事であった。 その期間中、帰ってきた魂を迎え焚くのが「迎え火」、戻って行く時に焚くのが「送り火」であり、今回は後者にあたる。
「私たちはつい、今生きている人のことしか意識しなくなってしまいがちですが、自分自身を考えてみれば、生まれてきたのは親からだし、親はまたその親から生まれている。 何代も前に遡れば、この世にいない人の方が圧倒的に多いわけです。 今自分が在る事実を考えれば、会ったこともない祖先を想うのも、当然のことかもしれません」そうした祖先たちの命は永久に存在するのだと、宮島は信じる。
「よく、死んでしまうことを『命を失う』と言いますが、あれは正しくは『肉体を失う』でしょう。 全ての生物は、もともと形のない『命』としてこの世に来ようとしますが、この世で存在するためには、その『命』を宿す『肉体』が無ければいけない。 しかし、めでたく命を宿した肉体も、形あるものなので、いずれ存在が不可能になる時が来る。 それがこの世で言う『死』です。 そして肉体が朽ちても命は永久に残り、この世と別な世界に行くかもしれないし、あるいはこの世の別の肉体にまた宿るかもしれない(生まれ変わり)そうした目に見えない命を感じよう、思いやろう、というのがこの日の夜だと思っています。」 宮島はこれからも毎年この行事に参加したいと語る。 夜8時になり、それぞれの人の思いがこもった灯籠たちは、静かに消えていった。