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辻美保さんに制作活動を聞く!


辻美保さん

◎辻美保(つじみほ)さんプロフィール

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1961年11月25日神奈川県鎌倉生まれ、AB型。
多摩美術大学油絵科(3〜4年生は抽象表現)卒業。
大学卒業後、高島屋デザイン室等に務め、出産を機に退職。
以後、子ども向けの絵画教室を主宰、イラストレーターとしても活動。
現在は福祉関係の仕事に就きながら、作品制作。
得意はお料理、
軽いと言われるフットワークを養うために6年間続けているテニス。

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辻美保さん、これまでとこれからを少しだけ語る♪

7月29日から始まる第3回「ART de FUKKO」に参加する辻美保さんに、これまでの制作活動について語っていただきました。

宮島通信編集部(以後・M):
今日はよろしくお願いします。 早速ですが、辻さんは何時頃から絵を描き始めましたか?
辻美保さん(以後・T):
父が絵を描くのが好きでしたし、隣に住んでいた絵描きの伯父から強い影響を受け、物心ついた4〜5歳の頃から将来の夢は「絵描きさん」と決めていました。  だから、時間があるとひとりで何かを描いていました。  また、小学校に入ると絵がコンクールで選ばれ、壁に貼り出されたりしたので、絵に対する思いは一層強くなりました。

辻美保さん

M :かなり早い時期に進路を決めていましたね。 それで、本格的に始めたのは?
T :中学校に入ってから油絵を始め、中学3年生の頃には芸大を目指して予備校に通っていました。

M :また、早いですね。
T :周囲の絵を志している人は同じ様な動きでした。  しかし、一浪しても東京芸大には入れず、多摩美大へ進みました。

M :中学から絵を主にしているわけですが、どんな生活だったのですか?
T :今から考えると信じられませんが、毎日8時間から10時間、一心不乱に描いていました。  回りの人は半ばあきれていましたが、人生で最も真剣に描いた時期かもしれません。

M :何を描いていたのですか?
T :予備校の先生が用意してくれた牛骨と果物、そして人物。  それらをモチーフに、ただひたすら描き続けました。

鶴岡八幡宮

M :異性に興味が湧く年頃ですが、それだけ絵に傾倒していると恋愛とは、縁遠くなりませんでしたか?
T :大丈夫。  小町通りにあった鎌倉美術研究所を時々サボり、ボーイフレンドと鶴岡八幡宮で鬼ごっこをしていました。  こんな風に息抜きをしていたから、一浪したのかもしれませんね(笑)。

M :話題は急に変わりますが、辻さんが影響を受けた画家は?
T :やはり伯父です。  加えて、多摩美時代に日本で展覧会があったイギリス人作家 / トニー・クラッグさんからは強いインスピレーションを受けました。

M :トニー・クラッグさんとは?
T :インスタレーションの作家です。  例えば、赤の廃材をたくさん集めて来て、ひとつのイメージを作品にして発表しています。  それまで絵画ばかり見ていた私には、ピカソ、モネ、セザンヌらが目標でしたが、あれを機に立体や半立体の表現分野にも挑む様になりました。

M :影響を受けた辻さんはどんな作品を?
T :縄を結びつけて編み編みにして、そこに布を張りドローイングした変わった作品を制作。  他にもイロイロ、正に現代美術です。

M :評価はいかがでした?
T :作家を多く語らない美術評論家の峯村敏明さんが、作品を見て「ここはこんな感じにした方が良い」と、アドバイスをしてくれた時は、誉められたも同然で嬉しかったです。

辻美保さん

M :大学を卒業してからは?
T :デザイナーの仕事をしながら、展覧会をアチコチでしていました。

M :デザインで生計を立てながら、作品制作をしているわけですから、当時は大変な上に忙しかったのではないですか?
T :かなりヘトヘトでした。  そして、結婚してからは家事が加わり、高島屋には妊娠10ヶ月まで通い退職。  その後は育児にしばらく専念しましたが、子どもが3〜4歳の頃には再び展覧会を始めました。

M :育児を経験して作品に変化はありましたか?
T :相変わらずインスタレーション系で、作品のために鉄工所に制作を発注したりしていましたが、いつも鉄を頼むには経済的負担が大きかったので、自分でハンダ付けをして工夫する様になりました。

M :今もインスタレーション系を続けていますか?
T :第2回「ART de FUKKO」のアラメちゃんの骨組みにその技を使っていますが、現在はアクリルが少々、油絵がけっこう多いです。

M :表現が3次元から2次元に戻るのは、何年前ぐらいからの傾向ですか?
T :3〜4年前からですが、ただ、インスタレーションをやめたワケではなく、必要な時にポツンポツンと出しています。

M :これまで色々な技で表現を行い、何か気がついたことはありますか?
T :最近、「油絵は平面ではなく立体だ」と、分かりました。  あのデコボコ感は、間違いなく3次元です。  そう考えながら描いていると、昔よりイメージに膨らみが出ます。

横浜大岡川

M :その辻作品発表の場でもあるアラメ会との出会いは?
T :ロコさんとは30年来の知り合い、紅葉坂アトリエやお風呂屋さんで作品展示をした仲です。  第1回から誘われたのですが、父の具合が悪く昨秋の第2回から参加し始めました。

M :「ART de FUKKO」に参加していかがですか?
T :東日本大震災以後、私も何度か被災地に赴き、ガレキの撤去、農作業のお手伝い、似顔絵描きなどのボランティアを行ってきました。  仮設住宅で描いている時に、それを見ていたおばあさんが「アンバイ、アンバイ」と方言で誉めてくれたことは忘れられません。  だから、今夏も行く予定ですが、行かなくても、グループ展に参加することによって地元横浜で同じことができるは、素晴らしいことです。  また、展覧会開催だけでなく、準備段階の集りで「集団的自衛権」をテーマにして話し合う場面もありました。  こうした現象は常に自分たちに何ができるかと、問題意識を持ち続けることに通じます。  とにかく大きな視野を持ち世に平和を訴えていければと思います。  
だから、みなさん! ゲーテ座へ是非見に来てください♪

今日はありがとうございました。

(文・写真 関 幸貴)
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