TOPEssay : エッセイ

☆ 名言迷路 卍 迷言名路 ☆      宮島永太良

このページでは、私が今までに聞いて興味をもったワンフレーズを紹介し、
それを考察しようというものです。
史上言い継がれてきた諺、偉人の言葉から、
著者の周り近所の人が発した言葉まで様々ですが、どれもこの世の中に暮らす人にとって、
何らかのヒントになるのではないかというものを挙げています。

〇 上善は水の如し

 この言葉だけ聞くと、酒でも飲みたくなってしまうかもしれないが、もともとは老子の言葉であり、「人間として最高の善とは、水のようであることだ」という意味である。  
水は万物の役に立ってくれているけれど、決して自分自身を主張することなく自然の流れのまま下方に去っていく。  そんなことを言い表している。

西湖の川船

 確かに水というものは、考えてみたら凄いものだ。  どんなものも綺麗にしてくれるし、乾いた喉も潤してくれる。  そもそも人間は(生物は)、水がなくては生きられないし、私たちの身体の半分以上は水分だと言われる。  地球で一番の命の恵みとである。  また、水はこの世で最も柔らかい物質とされ、順応性も一番だ。  「水は方円の器に従う」という言葉にあらわれているように、水はどんな形の器に入っても、その形になじんでしまう。

 この「水」というものを人の理想に置き換えるとどうなるか。  多くの人のために動いてくれてはいるが、決してそれを誇示することなく、さらに人が行きたがらない下の方(日のあたらない場所、あるいは地位の高くない立場)に行く、そのような人である。  また「水は方円の器に従う」を人に当てはめれば、誰とでも順応できる、ということだろうか。

水辺の風景

 しかし、上へ上へと目指す、ということは、人間なら少なからず持っている習性であり、逆に下へ下へと向かう水を摸するというのは、安易にできることではないのではなかろうか。  人間の欲望とは反対を目指すことになるのだから。  「水のごとし」在ることは、本当はとても強い人のことを言うのではないかと思う。  水はその嵩が増せば、岩や鉄の塊すらも流し出すのは言うまでもない。  「水の如き人」に近い例として、宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」を思い出す。  その終わりの部分「みんなに でくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず 」という箇所が印象的だ。  そして宮澤賢治は最後に「こういう者に私はなりたい」としめている。

「上善は水の如し」を模する人は、ある意味で損が多い人かもしれない。  だからこそ「そんな人間になるのは嫌だ」と思われることも多いが、損や得をいっさい顧みない境地に行けば、損が多く見える人こそ、最高の人なのかもしれない。

宮島永太良

(撮影:関 幸貴) 
Copyright © 2010- Eitaroh Miyajima. All Rights Reserved.