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好評連載!
 宮島永太良、大森で下車。 目指すは!

第9回 「馬込文士村」を散策 山王編

 「馬込文士村」は、大正後期から昭和初期にかけて東京府荏原郡馬込村(現在の東京都大田区の山王、馬込、中央の一帯)を中心に多くの文士や芸術家が暮らしていた地域の呼称。  当初、多くの画家等が暮らしていたが、文士が徐々に移り住み、その数は関東大震災後に増し、文士間の交流が盛んになった。

馬込文士村案内図

 5月上旬、気温の上下変化が激しい午後2時半過ぎ、宮島永太良はJR京浜東北線 / 大森駅で下り、西口に立つ「馬込文士村」の案内図を見ていた。  「初めて大森で下りたのは、確か『しながわ水族館』を目指していた4年前です。  それまでは通過するだけの駅でしたが、周辺を少し歩いたら、地方都市みたいに独立した雰囲気がして、この土地に興味を覚えました。  その後、自分の夢に何度か大森が出て来たのです。  それが起こると、経験から夢見た土地とは、縁があると考えました」と、宮島は言った。

散策 看板

 駅前の案内図を見ただけで、地図も持たず宮島は横浜方面に向かった。 都内では珍しい程マンションが少なく、一戸建ての多い町をたんたんと歩く。  「去年の秋、あまり考えずに大森駅で下り、道も知らぬまま都営地下鉄の馬込駅を目指したのですが、その途中で文学者の記念碑みたいなものがアチコチで目に入り、かつて、この辺りが『文士村』だったことを偶然知りました」と、宮島が語っているうちに「山本有三」と「片山広子」と書かれたふたつの碑に初遭遇。  程よい感じで文士村のエリアに少し入った。

文学者の記念碑

 気を良くして、アップダウンが厳しい町をアテもなく歩く。  「そうだ、前回は神戸の北野で洋館を見て帰京した直後に、この付近を歩いたから、港町の坂のイメージがより心に残り関西を感じました。  それにしても、坂は本当に多いですね」と、宮島は笑った。

坂道

 歩き始めて約1時間、厳島神社の横にある児童公園でしばし休息。  宮島は、噴水がある池を指差しながら、そこでユックリしているカメとカモを見つけると、その動きを微笑みながら観察。  静かに午後は過ぎて行く。

児童公園で

 10分後、次の碑を探すため行き交う人に聞いたりしながら、坂だけではなく色々な花が咲く町を再び散策。 来た道や同じ様な雰囲気の道を進んでいると、3つ目の「室生犀星」の碑とバッタリ出会い安堵した。

室生犀星の碑

「以前来た時は、もっと碑があった様な気がします。 行ったことはありませんが、この坂を上ってみましょう」と、言うが速いか、宮島永太良は長い階段を軽快な足取りで進んで行った。

長い階段

 次号、馬込編に続く…

by Sekikobo
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