TOPTalk : 対談

画家、倉藤紀子さん登場!


倉藤紀子

◎倉藤紀子(くらふじのりこ)さんプロフィール

倉藤紀子 さんspace
space
1972年 東京生まれ
1994年 女子美術大学絵画科洋画専攻卒業 
1996年 女子美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了

修了後、
医学系研究所に勤務しながらコンスタントに国内外で発表活動を続け、
絵画講師に転職ののち、現在はヨーロッパでの作家活動を主としている。


 

倉藤紀子さん、絵との出会いを語る…

宮島永太良(以後・M):
今日は宜しくお願いします。  
改めてお尋ねしますが、何時頃から、倉藤さんは絵を描き始めたのですか?
倉藤紀子さん(以後・K):
私は物心ついた頃から、音楽や絵画等の芸術が身近な環境で育ちました。  自由学園という、建築家フランクロイドライトとその弟子による建物のなかで、幼児生活団(幼稚園)初等部(小学校)を過ごし、3歳からピアノレッスンをはじめましたのも、学園の教育の1つでもありました。

M :では、自由学園で絵に興味を?
K :興味をもったというか、様々な可能性を学ばせていただきました。  美術の時間では、もちろん、鉛筆や絵筆を握り、人物画なども描きました。  私、少しうまかったですよ(笑)。  それは、褒められれば嬉しいですから喜んで描いていました。  学園では、他の授業でも絵を描くことがありました。

M :他の授業で描く?
K :例えば、理科の授業で地層を見るための遠足に出かけ、現地で断層の様子を皆で一生懸命スケッチします。  そのとき、私たちは理科だけではなく、地理、歴史、美術から団体行動まで学んでいたのでしょう。  授業を科目で区切らず、色々な事柄に関連性を持たせ、生徒にそれを感じさせる方針だったのかもしれません。  また、生徒たちは子ども用の絵画セットでなく、画家が使う絵の具類を与えられていました。  それは学園を離れて気が付いたことでしたが。


倉藤紀子作品「流れ」
「流れ」 F200 油彩 1993

M :中学校時代は?
K :中学に入る頃、3名の先生からピアノをはじめとした音楽レッスンを受けて、とにかくレッスンの課題をこなしながら、とても忙しく過ごしていたのですが。

M :何が起こったのですか?
K :忙しさもあり、体をこわして療養も必要で、学校へ通えない時期がかなりありました。

M :それは大変でした。 ピアノは、どうされたのですか?
K :ピアノレッスンは1日休むと、指の動きを取り戻すために2週間は必要と言われます。  長いお休みがありましたので、以前のようなレッスンに復帰するのは難しいことでした。  ピアノ音楽を聴くと辛くなってしまったり、まだ子供でしたので、思うようにならないことはとてもショックなことでした。  休んでいる間は、手芸をしたり、絵も描いていました。  自然な流れで、絵の方へ進んでいたと思います。  ですが、ピアノと全く縁が切れた訳ではなく、今も描く前のウォーミングアップでピアノを弾いたりして楽しんでいます。

M :では、病気療養されていたとき絵を描かれることもあったのですね。  しかし、美術大学に進学されていますが、そのためには高校を卒業しないといけない、中学校の出席日数は少なそうです。  どうしたのですか?
K :休みが多く、試験も受けていませんでしたので、成績がとても悪く、通信教育も考えましたが、当時の担任の先生が「試しに高校受験してみては」と背中をおしてくださったんです。  何かの魔法をかけてくれたのかもしれません(笑)。  無事合格して通いましたが、私がイメージしていた高校生活とは違っていました。  美術のことを語ることもありませんでしたし、そんなとき、お茶の水の美術予備校に通うのは、仲間ができたような気持ちで楽しかったんです。  出会ったお友だちと美術館へ行ったり、講習のときにお昼をファーストフード店でとったり。  ファーストフード店、行った事なかったんです。

M :その後の大学時代はいかがでした?
K :入学当初は、具象画を描いていましたのですが、1991年に初めての外国旅行で思いがけない出会いがあり、自然と抽象画に変化していったんです。

M :どちらへ行かれたのですか?
K :当時はハワイやグアムに行って、免税店でお買い物をして帰るひとも、私は大学の同級生に誘われてインドへ行き、ニューデリーやジャイプール、いくつかの都市をまわりました。  最も印象深いのが、ベナレスでした。

M :確か、ベナレスと言えば、ヒンドゥー教、仏教の一大聖地でガンジス川が流れ、寺院等も多く、インド国内の参拝客だけではなく、世界中からの旅行者も訪ねる地だと記憶しています。
K :そうですね。ガンジス川で沐浴する人々、祈りの言葉、火葬場から川に流される灰、その雰囲気を言葉にするのは難しいのですが、カルチャーショックを受けました。  旅行中は、あまりの風土の違いからか、体調が悪くなり、病院へ連れて行ったもらったこともありました。  もちろん美しい宮殿や、象に乗ったり、きちんとインド旅行しました。  帰国後、何もかもを浄化する混沌とした川の流れを思いおこしながら、『祈りの先にあるもの』を考え始めました。  祈る姿の具象画を描くこともありましたが、そこから少しずつ、2年ほどの時間をかけて『流れ』をテーマにした抽象画に私の制作は変化していきました。

倉藤紀子さんと宮島

つづく…

(構成・写真 関 幸貴 *プロフィールは除く  撮影協力:対馬ルリ子ライフクリニック)
Copyright © 2010- Eitaroh Miyajima. All Rights Reserved.